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テレビアニメーション作品にも草創期から積極的に関わった奥山さん、ヒット作品の『狼少年ケン』・『魔法使いサリー』・『ひみつのアッコちゃん』で作画監督を務められています。
ひみつのアッコちゃん1969_op
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宮崎駿監督も認めた奥山さん、手掛けた作品では、男性アニメーターが表現してこなかった可愛い衣装や女性らしい動きが持ち味だったと絶賛されています。
小田部問題!
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この時期、出産休暇を取って復帰した奥山に、会社は契約社員となる提案をしたが奥山が拒否したところ、夫の小田部が(保育所送迎に使う運転免許取得のため)勤務時間中に自動車運転教習所に通ったことを問題視し、解雇通告する事態に発展した。奥山は組合の支援も求め、最終的に降格減給処分で決着した。
組合ではこの事件を「小田部問題」と呼んだ。
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旦那さんの「小田部問題」の他にも、奥山さんが在籍した東映動画は創立初期から労働争議が絶えずあったと言います。
その後、赤字の膨らむ東映動画は激しい合理化にさらされ、奥山さんは従業員の先頭に立って経営陣と激しく対立し、合理化阻止で戦いを挑んだ剛の人でもあっとか・・・。
争議に関して和解が成立し、指名解雇者が復帰したことで「区切りが付いた」と、1976年3月31日付で奥山さんは東映動画を退職されました。
その後、赤字の膨らむ東映動画は激しい合理化にさらされ、奥山さんは従業員の先頭に立って経営陣と激しく対立し、合理化阻止で戦いを挑んだ剛の人でもあっとか・・・。
争議に関して和解が成立し、指名解雇者が復帰したことで「区切りが付いた」と、1976年3月31日付で奥山さんは東映動画を退職されました。
哀しみのベラドンナ
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1973年、「北川玲子」の名義で旧虫プロダクション最後の劇場アニメとなった『哀しみのベラドンナ』に原画として参加されています。
東映動画を退職後
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東映動画を退職した後、奥山さんは日本アニメーションへ移り『世界名作劇場』第2作の『母をたずねて三千里』で作画監督補佐を担当されていました。
その後、は日本アニメーションを退き、フリーととなられています。
その後、は日本アニメーションを退き、フリーととなられています。
フリーとなった奥山さん
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1985年からは東京デザイナー学院アニメーション科の講師を務められていました。
また1990年代以後は銅版画作家としても活動し、銅版画によるアニメーション映画『連句アニメーション 冬の日 松尾芭蕉七部集より』(2003年 IMAGICAエンタテインメント)では絵コンテとアニメーション銅版画を担当されています。
また1990年代以後は銅版画作家としても活動し、銅版画によるアニメーション映画『連句アニメーション 冬の日 松尾芭蕉七部集より』(2003年 IMAGICAエンタテインメント)では絵コンテとアニメーション銅版画を担当されています。
お亡くなりに・・・。
via www.photo-ac.com
出生地 台湾・台北市
職業 アニメーター
キャラクターデザイナー