2020年9月16日 更新
【訃報】俳優・タレントの岸部四郎さん死去。ザ・タイガース、西遊記、ルックルックこんにちはなど
タレント・司会業など芸能界で幅広く活躍した岸部四郎さんが、8月28日に拡張型心筋症による急性心不全のため亡くなっていたことが明らかとなりました。71歳でした。
タイガース、西遊記、ルックルックこんにちはなどで活躍した岸部四郎さん死去。
タレント・司会業など芸能界で幅広く活躍した岸部四郎さんが、8月28日に拡張型心筋症による急性心不全のため亡くなっていたことが明らかとなりました。71歳でした。
第一報はこちらです!
岸部さんは1949年、京都府京都市生まれ。中学卒業後印刷会社勤務を経て、1969年に岸部シロー名義で兄である岸部一徳が所属するバンド「ザ・タイガース」に加入。同バンドの解散後は俳優・タレントに転向しテレビドラマ「西遊記」などに出演、またワイドショー「ルックルックこんにちは」の司会としても活躍し、お茶の間の人気者となっていました。
そんな岸部さんですが、2003年に脳内出血で倒れてからは闘病生活を余儀なくされ、2005年のテレビドラマ「電車男」に出演するなど元気な姿を見せてくれる時期もあったものの、近年は体調が悪化し、公の場に姿を見せることが無くなっていました。葬儀については、既に家族のみで執り行われたとのことです。
かつて仕事を共にした著名人から続々と追悼コメントが!
このたびの岸部さんの訃報に対し、かつて「西遊記」で共演した堺正章は所属事務所を通じて「四郎ちゃんには西遊記で沙悟浄役を頑張って頂いた思い出が大きく残っています。同じグループサウンド出身の四郎ちゃんにお会い出来ないかと思うと残念の極み」とコメント。同じく「西遊記」で共演した西田敏行も「現世の旅を終えてパライソに旅立ったんだね。シローちゃんの沙悟浄、最高だったよ。」とコメントし、故人を偲んでいました。またキャスターの小倉智昭も、「ルックルックこんにちは」について「ものすごい強い番組で、女ののど自慢とか名物コーナーがあって、面白いかったですよ。私も見ていて喜んでいた時代がありました」と当時を振り返っていました。
岸部四郎(岸部シロー)の芸能界での軌跡!!
ミュージシャン、俳優、タレントと、長年にわたり幅広い活躍を見せた岸部さん。ここでは、彼の芸能界における軌跡を軽く振り返っておきましょう。
1969年、ザ・タイガースに加入!
1969年、加橋かつみの脱退に伴いザ・タイガースに加入した岸部さん。加橋の穴を埋めるためギターを担当したものの、当時ギターを弾けなかったため弾く真似をしたり、タンバリンを担当するなどしていました(その後上達しライブで演奏するようになります)。またライブで司会を担当し、その際の軽快なトークが好評に。ミュージシャンという枠に留まらないそのタレント性が当時から高く評価されていました。
「西遊記」の沙悟浄役を熱演!
1971年にタイガースが解散すると、「おとこ鷹」「おんな家族」「家族あわせ」といったテレビドラマを中心に俳優として出演するようになり、1978年からは日本テレビ系列で放送された「西遊記」に沙悟浄役で出演。当たり役となり、俳優としての岸部さんの代表作となりました。その後も80年代~90年代にかけて、様々なドラマ・映画に顔を出すこととなります。
「ルックルックこんにちは」で司会としても活躍!
俳優として成功する一方で、そのトークの上手さから1984年には日本テレビ系列で放送されていたワイドショー「ルックルックこんにちは」の司会に抜擢。1998年までのおよそ13年半にわたり、平日午前中の顔としてお茶の間に浸透していました。
ルックルックこんにちは ED 1994年 平成6年 岸部シロー 懐かしい番組
それ以外にも、東京ガスや旭化成などのCM出演や、「オレを誰や思てんねん!元・金持ちやぞっ!!」といったギャグの持ちネタ、「岸部シローのお金上手」といったお金にまつわる著書を多数発表するなど、マルチな活躍を展開していた岸部さん。彼の芸能界における軌跡はこれからも語り継がれていくに違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
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