昭和を象徴する歌手・弘田三枝子さん死去。
昭和を代表する歌手の一人・弘田三枝子さんが、7月21日に心不全のため千葉県内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。73歳でした。
第一報はこちらです!
【訃報】歌手の弘田三枝子さんが心不全のため死去 73歳https://t.co/RSE5RaZcyg
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 27, 2020
弘田さんは1961年にレコードデビュー。『ヴァケーション』『夢見るシャンソン人形』『レオのうた』など大ヒットを連発した。 pic.twitter.com/QB4mVuIkQQ
弘田さんは1947年、東京・世田谷区生まれ。60年代初頭より「ミコちゃん」の愛称で当時流行していた洋楽のカバーポップスで人気を博し、和製R&Bの先駆者として紅白歌合戦の常連歌手となりました。その後も、カバーポップスから脱却した歌謡曲「人形の家」をヒットさせるなど歌手としての幅を広げ、今年はデビュー60周年を記念したコンサートなどを企画していたものの、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期となっていました。なお、葬儀に関しては既に近親者で密葬を執り行ったとのことです。
こちらは近年の弘田さん。
弘田三枝子が遺した名曲の数々!!
60年代から70年代にかけて紅白歌合戦の常連となるなど、昭和中期の邦楽を語る上では外すことの出来ない歌手・弘田三枝子さん。ここでは、彼女が遺したシングルレコードをいくつか振り返ってみましょう。
子供ぢゃないの(1961年)
すてきな16才(1962年)
ヴァケーション(1962年)
渚のうわさ(1967年)
人形の家(1969年)
via www.amazon.co.jp
初期のヒットとしては、1961年に発表したヘレン・シャピロのカバー「子供ぢゃないの
」や翌1962年に発表したニール・セダカのカバー「すてきな16才」などが著名であり、カバーポップスの流行がひと段落した60年代後半以降は、1967年に筒美京平が作曲した「渚のうわさ」、1969年に川口真が作曲した「人形の家」など、職業作曲家のペンによるヒット曲を量産していました。
70年代以降もニューヨークでアルバムを制作したり、ジャズにスポットを当てた作品に挑戦するなど、歌手として生涯を全うした弘田さん。昭和という時代を彩った彼女の歌声はこれからも語り継がれていくことは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
」や翌1962年に発表したニール・セダカのカバー「すてきな16才」などが著名であり、カバーポップスの流行がひと段落した60年代後半以降は、1967年に筒美京平が作曲した「渚のうわさ」、1969年に川口真が作曲した「人形の家」など、職業作曲家のペンによるヒット曲を量産していました。
70年代以降もニューヨークでアルバムを制作したり、ジャズにスポットを当てた作品に挑戦するなど、歌手として生涯を全うした弘田さん。昭和という時代を彩った彼女の歌声はこれからも語り継がれていくことは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。