美人キャスターで話題!若き日の小池百合子都知事
ここまで一つの自治体がワイドショーやニュース番組でトップを飾ることがなかった東京都の様々な問題。現在、その問題に立ち向かい時の人となっている小池百合子都知事。今、話題の人だけに、若い頃美人だったと懐古する声が続々。では、振り返ってみてみましょう。
小池 百合子(こいけ ゆりこ、1952年〈昭和27年〉7月15日 ‐ )は、日本の政治家。東京都知事(第20代)。自由民主党所属。自由民主党無電柱化小委員長、自由民主党国際人材議員連盟会長、日本ウエイトリフティング協会会長、東京都銃剣道連盟会長。元・ニュースキャスター。
アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て、1992年に政界へ転身した。
テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター(初代)、参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、総務政務次官(細川内閣)、経済企画総括政務次官(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣・第2次森内閣)、環境大臣(第5・6・7代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、防衛大臣(第2代)、自由民主党広報本部長、自由民主党総務会長(第49代)などを歴任した。
関西学院大学の社会学部からカイロ大学へ留学、カイロ大学卒業
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大阪の名門・関西学院大学に入学後、エジプトのカイロ大学社会学部に入学。そのままカイロ大学を卒業しています。今も同様ですが、海外の大学に入学となると多くはアメリカやイギリスのような英語圏大学が多い中、小池氏がカイロ大学を選んだ理由は、「将来、国連の公用語がアラビア語になるかもしれない」と言われていたから。結局、国連公用語はアラビア語にはなっていませんが、その頃から世界を見据えていますし、もし将来、総理大臣などになったら、アラビア語に堪能な首相は、外交面で大きなアドバンテージになることでしょう。
カイロ大学とは?
カイロ大学(アラビア語: جامعة القاهرة (Jāmi‘a al-Qāhira), 英語: Cairo University)は、エジプトのギーザにある国立総合大学。
イギリス保護国時代の1908年に、宗教教育の代表的最高学府であるアズハル学院に対する世俗教育の総合大学として設立された。現在も、アズハル学院が改組された総合大学であるアズハル大学と並ぶエジプトを代表する大学である。主な学部は文学部、法学部、経済学部、商学部、工学部、農学部、医学部、薬学部など。文学部には日本語・日本文学科がある。
アラブ諸国や非アラブのイスラム教国からの学生も多く集まり、自由な学風を育んでいる。ガザ地区がかつてエジプト領であったこともあってパレスチナからやってきた学生の数も多く、1950年代末にはカイロ大学のパレスチナ人学生の組織である「パレスチナ学生連合」のメンバーを中心にパレスチナ解放を目的とした「ファタハ」が結成された。
古代エジプト研究の中心的な地位を占め、特に考古学科には世界中からの留学生が集まる(日本人では吉村作治、近藤二郎など)。
アラビア語の通訳になり、国際的な要人のインタビュアーも
カイロ大学卒業後、日本に戻った小池氏は、アラビア語の通訳となる。PLOアラファト議長や、リビアのカダフィ大佐の会見には、コーディネーター兼インタビュアーを務め、国際感覚を磨いていった。
トルコ風呂の名称変更にも尽力
1984年、東京大学に在籍していたトルコ人留学生ヌスレット・サンジャクリの抗議を受け、「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」に改められた。小池はこの青年を当時から支援しており、本人も後日新聞報道でそれを認めている。小池によれば、トルコ留学生の熱心な訴えを聞き、国家の尊厳を守るという「大義」に加えて、氏への個人的な共感の結果だったという。
トルコ風呂(トルコぶろ)とは、字義どおりにはトルコ風の浴場という意味である。
一般的には、中東の都市でみられる伝統的な公衆浴場であるハンマームを指すことを意図する名詞とみなされる。ただし、日本では、かつて個室付特殊浴場(ソープランド)の名称として「トルコ風呂」の語が使われていた。しかし、1984年にトルコ人留学生の抗議運動がきっかけになって「ソープランド」と改称され、それ以降日本では、「トルコ風呂」は性風俗用語として用いられることは無くなった。
1979年~1985年日本テレビ『竹村健一の世相講談』にてキャスターデビュー
上記のような国際経験を買われ、1979年に日本テレビ『竹村健一の世相講談』にて、メインMCの武村健一のアシスタントとしてキャスターデビュー。画像の通り、かなりの美人で人気を集め、番組終了となる1985年まで6年間勤めました。
『竹村健一の世相講談』(たけむらけんいちのせそうこうだん)は、1978年4月3日から日本テレビで放送されたトーク番組。放送時間は毎週月曜 - 金曜 9:00 - 9:30(JST)。後に同時間帯で放送された『ルックルックこんにちは』の1コーナーとなり、1985年3月にコーナー終了。
竹村健一の冠番組となったトーク番組である。
1970年代後半、左に流れていた世論を右に引き戻す談話を多く発表。朝日新聞を批判し、対決姿勢を打ち出した。この番組にゲストで出演し、それらの「超法規発言」で栗栖弘臣統合幕僚会議議長の更迭には涙を流して抗議した。自民党支持と見られていたが、新人閣僚の橋本龍太郎厚生大臣の「医師優遇税制の是正問題の医師会擁護発言」には厳しく抗議したり、日教組委員長や日本共産党幹部の意見にも耳を傾けたりもしていた。