マイキーの兄ブランドン・ウォルシュを演じたジョシュ・ブローリン(Josh Brolin)は、1968年2月12日生まれカリフォルニア州ロサンゼルス出身の俳優です。父親は俳優のジェームズ・ブローリン。『グーニーズ』で映画デビュー以来、テレビシリーズや大作映画の脇役を多く経験しキャリアを重ねてきました。
via www.amazon.co.jp
転機となったのは2007年、映画『ノーカントリー』や『プラネット・テラー in グラインドハウス』『アメリカン・ギャングスター』など同年だけで多数の出演作で立て続けに高評価を受けると、翌2008年には伝記映画『ミルク』でアカデミー助演男優賞にノミネート。一躍ハリウッド一流俳優の仲間入りを果たしました。近年は「アベンジャーズ」シリーズの悪役サノス役としても知られています。
via www.amazon.co.jp
私生活では、1988年に女優のアリス・アデアと結婚し、2児を儲けるも1992年に離婚。2004年には女優のダイアン・レインと再婚しますが、2013年に再び離婚。現在はモデルのキャスリン・ボイドと2016年に結婚し2018年、娘が誕生しました。
【アンディ役】ケリー・グリーン
チアリーダー。なりゆきでグーニーズの冒険に同行することとなるアンドレア・カーマイケルを演じたケリー・グリーン(Kerri Green)は、1967年1月24日生まれニュージャージー州フォートリー出身の女優です。1984年、毎年参加していたサマーキャンプの代わりにいくつかのオーディションを受けるためニューヨーク行きを決意。その時訪れた映画のオーディションで『グーニーズ』の製作総指揮を務めたスティーヴン・スピルバーグらの目に留まり、同作品でのデビューが決まりました。
via www.amazon.co.jp
翌1986年公開の青春映画『ルーカスの初恋メモリー』ではメインキャストの1人に選ばれウィノナ・ライダーやコリー・ハイム、チャーリー・シーンらと共演。近年は以前ほどの活躍ではないものの、テレビドラマや映画を中心に活動し、そのキャリアを継続している模様です。
【ステフ役】マーサ・プリンプトン
アンディの友人で眼鏡をかけた女の子ステファニー・スタインブレンナーを演じたマーサ・プリンプトン(Martha Plimpton)は、1970年11月16日生まれニューヨーク出身の女優です。父親は俳優のキース・キャラダイン。母親も女優だったため、10歳で芸能界入り。『グーニーズ』出演で知名度を上げ、また一時期は『モスキート・コースト』『旅立ちの時』で共演したリヴァー・フェニックスと交際していたことからプライベートが注目されたこともありました。
via www.amazon.co.jp
演技力に定評があり2002年、テレビドラマ『LAW & ORDER』のゲスト出演でエミー賞にノミネート。2008年には舞台『トップ・ガールズ』で、第62回トニー賞助演女優賞にノミネートを果たしました。近年は舞台やインディペンデント映画を中心に活動しています。
フラッテリー一家
【フラッテリー・ママ役】アン・ラムジー
グーニーズもうひとりの主役。フラッテリー3兄弟の母親でギャングの女ボス、フラッテリー・ママを演じたアン・ラムジー(Anne Ramsey)は、1929年9月1日生まれネブラスカ州オマハ出身の女優です。夫は俳優のローガン・ラムジー。デビュー当初はブロードウェイやオフ・ブロードウェイを中心に活躍し、舞台女優としてのキャリアを築きました。1970年代に入ると、その高い演技力が認められ性格女優と評されるまでに。この頃から映画界に進出し始めます。
『グーニーズ』で知名度を上げ、1988年ダニー・デヴィートが監督・主演を務めたブラック・コメディ『鬼ママを殺せ』では主人公の母親役をユーモラスに演じ、見事ゴールデン・グローブ賞とアカデミー助演女優賞にノミネートされました。しかし同年、これからが期待されていた中、アンは癌のためロサンゼルスの病院で58歳の生涯に幕を閉じました。
『グーニーズ』で知名度を上げ、1988年ダニー・デヴィートが監督・主演を務めたブラック・コメディ『鬼ママを殺せ』では主人公の母親役をユーモラスに演じ、見事ゴールデン・グローブ賞とアカデミー助演女優賞にノミネートされました。しかし同年、これからが期待されていた中、アンは癌のためロサンゼルスの病院で58歳の生涯に幕を閉じました。
【スロース役】ジョン・マトゥザック
幼い頃から母親に虐待された事が原因で顔が崩れているフラッテリー家の末弟。心の優しいロトニー・フラッテリーを演じたジョン・マトゥザック(John Matuszak)は、1950年10月25日生まれウィスコンシン州ミルウォーキー出身の俳優です。大柄の体格を活かし、アメリカンフットボールの世界でも活躍。
via www.amazon.co.jp
俳優デビューは1979年の映画『ノース・ダラス40』でした。『グーニーズ』が出世作となり、以降も様々な作品に出演し俳優としての地位を確立しましたが、1989年鎮痛剤の過剰摂取による心不全のため38歳という若さでこの世を去りました。