内田春菊さんのプロフィール
【本人登場】内田春菊さんの子どもの名前
生年月日:1959年8月7日
出身地:長崎県長崎市
デビュー:1984年「シーラカンスぶれいん」で漫画家デビュー。
以降性的な描写を赤裸々に描き、「女の子エッチ漫画家」として桜沢エリカさんや、岡崎京子さんと共に人気を博します。
4回ドラマ化された「南くんの恋人」は1986年~1987年にかけて月刊マンガ「ガロ」で連載されています。
東京電力のキャラクター「でんこちゃん」は1987年に初めてパンフレットに登場しました。
内田春菊さんの作品
【電気を大切に】ラクして省エネできるの!?編
あまり見かけなくなったとも思っていましたが、東京電力は2011年の東日本大震災における、福島第一原子力発電所事故後以降CMを自粛していました。
2012年の3月にキャラクターの使用期限が切れましたが、コスト削減を理由に更新せずにそのまま「でんこちゃん」は終了しています。
ただ2年後の2014年から再び、ウエブサイトの節電を呼びかけるページで使用されるようになりました。
友達でいいから・・・ 南くんの恋人
ドラマはハッピーエンドですが、原作ではちよみは車をよけようとした南くんと共に崖に落ちて、命を落としてしまうという衝撃のラストでした。
この件について内田春菊さんは、あとがきで↓このように語っています。
漫画あとがきでは原作者が「ちよみは本来存在すべきではない」「(原作者自身が)子どもを諦めたという心情の表れだったのかもしれない」とコメントし、物議をかもしました。
自伝ファザーファッカーでは、厳しいホステスをしている母親と、甘え上手な妹、そして愛人がいる父親という家庭で育ちました。
いつしかホステスをしていた母親の客だという男が養父となり4人で暮らすようになった主人公静子が描かれています。
思春期の静子の身体を触り、執着をする養父。
静子は中学3年のときに、交際していた男子との性交で妊娠してしまいます。
怒った養父は中絶させるという名目で、静子を犯しました。
中絶手術後も性的虐待を続ける養父。
母親はそのことに気付いていましたが、養父を落ち着かせる手段として口出しはしなかったのです。
やがて高校に入学し、新しい世界を知った静子は家を出ていったのでした。
1986年27歳当時、母と妹は漫画家になった春菊の稼ぎに依存していたことで「母にされたことを世間に出さなければ、死んでも死にきれない。養父の行為を黙認した母が何よりいやがったのが、世間体でしたから」と小説「ファザーファッカー」を書き始めた時のことを明かしている。そして、自分に子どもがいないまま死んだら、稼いだお金が全部母たちに相続されてしまうと危機感を覚え、母親と絶縁している[1]。
ファザーファッカー読みましたが、酷すぎて気分が悪くなってしまいました。
養父も本当に最悪ですが、自己防衛ばかりで子供を守らない母親に腹がたちます。
内田春菊の現在
内田春菊がガンを告白!4人の子供の名前が超絶独特だった! #内田春菊 https://t.co/qJ3NhQmlAc pic.twitter.com/QJmyOyYkxI
— 斜め上からこんにちは (@nanameuekarakon) August 30, 2017
その後1992年に長男を出産しました。
1995年には同居していた男性と再婚。
1997年には長女を出産します。
1999年に次女を出産。
2000年に離婚し、同居していた俳優の貴山侑哉さんと3度目の結婚をします。
2001年には4人目の子供となる次男を出産しました。
2006年には離婚しますが、2012年まで貴山侑哉さんとは事実婚状態で一緒に暮らしています。
2010年には音楽活動を再開し、自身の映画の主題歌を担当し、映画や舞台、ドラマなど女優としても活躍していました。
内田春菊(原作)×友松直之(監督)「最近、蝶々は...」特別対談 その③
精力的に活動を続ける内田春菊さんですが、2017年には大腸がんを患い、人口肛門を造設したことを公表しました。
当初は進行している疑いがありましたが、手術をしたら子宮の裏側が炎症を起こしていただけで、ステージ1だったことが判明します。
その後は転移も再発もなく、お元気で過ごされていてホッとしました。
まとめ
大変な思いをされてきた内田春菊さんですが、4人のお子さんにも恵まれ多くの名作を生みだしています。
今後の活躍も楽しみですね。