「週刊東京『少女A』」でデビュー
爆風スランプが結成されたのは1981年。最優秀グランプリを受賞した『爆風銃』のファンキー末吉さんと江川ほーじんさん、優秀グループ賞だった『スーパースランプ』のサンプラザ中野さん、パッパラー河合さんの4人で結成されます。バンド名は2つのバンド名を組み合わせたものだったんですね。
当時はライブ会場で観客に過激なパフォーマンスをしたり、ユニークな歌詞だったり、着ぐるみを着て演奏していたことから「イロモノバンド」として扱われることも多かったです。
そして1984年にシングル「週刊東京『少女A』」とアルバム『よい』を同時リリースしCDデビュー。
「週刊東京『少女A』」は中森明菜さんのヒット曲「少女A」のパロディ。またカップリングの「たいやきやいた」は「およげ!たいやきくん」のアンサーソングでした。デビューはパロディソングだったことからもイロモノバンドだったことが分かりますよね。
当時はライブ会場で観客に過激なパフォーマンスをしたり、ユニークな歌詞だったり、着ぐるみを着て演奏していたことから「イロモノバンド」として扱われることも多かったです。
そして1984年にシングル「週刊東京『少女A』」とアルバム『よい』を同時リリースしCDデビュー。
「週刊東京『少女A』」は中森明菜さんのヒット曲「少女A」のパロディ。またカップリングの「たいやきやいた」は「およげ!たいやきくん」のアンサーソングでした。デビューはパロディソングだったことからもイロモノバンドだったことが分かりますよね。
「Runner」でブレイク
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1986年にプロデューサーの新田一郎さんを迎えます。今までは自分たちの思うようにやっていましたが新田さんの意向でまず、CDが売れるように戦略を変えていきます。そして、そのやり方に反発した江川ほーじんさんが脱退を決意します。
サンプラザ中野さんは、去っていく江川さんの姿を想い「Runner」の歌詞を書きました。「Runner」をNHKの音楽番組で演奏するとリクエストが殺到。さらに「天才・たけしの元気が出るテレビ」の挿入歌としてヒットします。最終的に34万枚のヒット。なんだか皮肉な話ですよね。1988年松に『第39回NHK紅白歌合戦』に出場、翌1989年1月に武道館ライブを行い、江川さんは脱退していきます。
「Runner」は現在でも応援歌として人気で、高校野球の応援曲としても定番です。TVの企画でマラソンなどがあるとかかることも多いですよね。
サンプラザ中野さんは、去っていく江川さんの姿を想い「Runner」の歌詞を書きました。「Runner」をNHKの音楽番組で演奏するとリクエストが殺到。さらに「天才・たけしの元気が出るテレビ」の挿入歌としてヒットします。最終的に34万枚のヒット。なんだか皮肉な話ですよね。1988年松に『第39回NHK紅白歌合戦』に出場、翌1989年1月に武道館ライブを行い、江川さんは脱退していきます。
「Runner」は現在でも応援歌として人気で、高校野球の応援曲としても定番です。TVの企画でマラソンなどがあるとかかることも多いですよね。
「リゾ・ラバ -Resort Lovers-」
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1989年には「リゾ・ラバ -Resort Lovers-」をリリース。夏の海と冬のゲレンデというリゾート地の短期間の恋を歌った歌です。当時サーフィンやスキーなどが流行っていましたし、バブル期の恋愛という感じで時代を象徴するラブソングだなと思います。
「コスモ石油」のCMソングにも起用され、週間オリコンチャートは4位に入りました。
また、2021年にサンプラザ中野さんがこの曲の歌詞を現代版にアレンジした「リモ・ラバ-Remote Lovers-」を配信リリースしています。リモート時代の恋愛を歌った歌ですね。こちらも時代を象徴するラブソングになりました。
「コスモ石油」のCMソングにも起用され、週間オリコンチャートは4位に入りました。
また、2021年にサンプラザ中野さんがこの曲の歌詞を現代版にアレンジした「リモ・ラバ-Remote Lovers-」を配信リリースしています。リモート時代の恋愛を歌った歌ですね。こちらも時代を象徴するラブソングになりました。
「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い」
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1989年にはバラード曲「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い」をリリース。こちらは1985年にリリースしたアルバム「しあわせ」に収録されている「大きな玉ねぎの下で」のリメイクです。
爆風スランプは1985年に日本武道館でライブをします。ですが、「自分たちが武道館を満席にできるわけがないから、言い訳になるような歌を作ろう」「空席があるのはペンフレンドの相手が来なかったから」ということで作られた楽曲です。最初はギャグのつもりだったのですがだんだんいい曲になっていったのだとか。
「大きな玉ねぎ」というのは日本武道館の屋根に乗っているオブジェ・擬宝珠のことです。
爆風スランプは1985年に日本武道館でライブをします。ですが、「自分たちが武道館を満席にできるわけがないから、言い訳になるような歌を作ろう」「空席があるのはペンフレンドの相手が来なかったから」ということで作られた楽曲です。最初はギャグのつもりだったのですがだんだんいい曲になっていったのだとか。
「大きな玉ねぎ」というのは日本武道館の屋根に乗っているオブジェ・擬宝珠のことです。
「涙2 (LOVEヴァージョン)」
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ヒット曲を連発していた爆風スランプですが、その後は長い低迷期に入ります。その低迷期の中でもヒットしたのは「涙2」(なみだなみだ)です。
オリコン初登場は10位以下だったのですが6週目で2位になるというロングヒット曲です。すでに売れた曲があるアーティストにしては珍しい売れ方ですね。
「涙2(LOVEヴァージョン)」は失恋を歌った曲ですが、当時進研ゼミのCMソングとして「涙2(青春ヴァージョン)」が起用されていました。卒業を乗り越えて大人になっていくことを歌った歌ですね。当時こちらはCM限定でCDリリースされていなかったのですが進研ゼミ会員に無料配布されました。
その後、2020年にサンプラザ中野くん名義のソロアルバムに「涙2 (2020 青春 Ver.)」として収録されています。
オリコン初登場は10位以下だったのですが6週目で2位になるというロングヒット曲です。すでに売れた曲があるアーティストにしては珍しい売れ方ですね。
「涙2(LOVEヴァージョン)」は失恋を歌った曲ですが、当時進研ゼミのCMソングとして「涙2(青春ヴァージョン)」が起用されていました。卒業を乗り越えて大人になっていくことを歌った歌ですね。当時こちらはCM限定でCDリリースされていなかったのですが進研ゼミ会員に無料配布されました。
その後、2020年にサンプラザ中野くん名義のソロアルバムに「涙2 (2020 青春 Ver.)」として収録されています。
「さよなら文明」
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1992年10月には「さよなら文明/涙3(ナミダサンジョウ)」をリリース。
「さよなら文明」はアニメ「ツヨシしっかりしなさい!」の主題歌、「涙3」はエンディングテーマでした。
「さよなら文明」はもしこの世に〇〇がなかったら~という歌詞なのですが、アニメのスポンサーにNTTが付いたため、1番の「もしもこの世に電話がなかったら」という歌詞ではなく2番のAメロが流れていました。
「さよなら文明」はアニメ「ツヨシしっかりしなさい!」の主題歌、「涙3」はエンディングテーマでした。
「さよなら文明」はもしこの世に〇〇がなかったら~という歌詞なのですが、アニメのスポンサーにNTTが付いたため、1番の「もしもこの世に電話がなかったら」という歌詞ではなく2番のAメロが流れていました。
「旅人よ 〜The Longest Journey」
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1996年には「旅人よ 〜The Longest Journey」をリリース。こちらは『進め!電波少年』の「猿岩石ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」のテーマソングとして作られました。猿岩石がブレイクしたのでこの曲もヒットしましたよね。「Runner」に続く応援ソング、という感じでした。
電波少年のプロデューサーだった土屋さんが猿岩石のテーマソングが欲しいと思っていたところ、爆風スランプから「猿岩石が好きだ」といわれ、テーマソングを依頼したそうです。さらに猿岩石の応援のためにインドまで行き、この曲を歌いました。
爆風スランプはその後3枚のシングルをリリースしますが1998年3月に「暖かい日々」、4月にアルバム「ハードボイルド」をリリースしたのち1999年4月に活動を休止しました。その後、1日だけの復活はありましたが正式な活動再開はされていません。いつかまた復活してほしいですね。
電波少年のプロデューサーだった土屋さんが猿岩石のテーマソングが欲しいと思っていたところ、爆風スランプから「猿岩石が好きだ」といわれ、テーマソングを依頼したそうです。さらに猿岩石の応援のためにインドまで行き、この曲を歌いました。
爆風スランプはその後3枚のシングルをリリースしますが1998年3月に「暖かい日々」、4月にアルバム「ハードボイルド」をリリースしたのち1999年4月に活動を休止しました。その後、1日だけの復活はありましたが正式な活動再開はされていません。いつかまた復活してほしいですね。
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