「元祖どっきりカメラ」赤ヘルのプラカード持ちだった野呂圭介は陶芸家になっていた!
2019年5月12日 更新

「元祖どっきりカメラ」赤ヘルのプラカード持ちだった野呂圭介は陶芸家になっていた!

宍戸錠と石川牧子が司会を務めていた「元祖どっきりカメラ」で騙された人にプラカードを掲げる大事な役割をしていた赤いヘルメットをかぶった人を覚えていますか?その体を張った体当たりの出演が話題となった野呂圭介さんは地元で陶芸家となっていました!

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長髪にGパン、デニムベストのヒッピー風スタイルで赤ヘルを被ったアバンギャルドなスタイルでどっきりの最後に「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを掲げて登場した人物を覚えていますか?

この”ネタばらし”役で一躍有名人となったのが、野呂圭介さんでした。
今であれば、この役はお笑い芸人が担うポジションですが、野呂さんは日活で俳優をしていた役者でした。そんな野呂さんが陶芸家になっていたってご存知でしたか?

野呂圭介さん 略歴

野呂圭介の灯芸展in福岡2

野呂圭介さん、本名は板元義典さん。

1933年に鹿児島県鹿児島市で生まれ、幼少時代は鹿児島で育ちます。高校卒業後に俳優を志して上京をします。その後、日活ニューフェイスとして1958年に「踏みはずした春」でデビューします。日活ニューフェイスの同期には、若くして亡くなった赤木圭一郎がいました。

日活に所属し俳優として活動するが、1969年に日活を退社し、日活の先輩であった宍戸錠の事務所に所属することになります。宍戸錠が司会を務めた関係で「元祖どっきりカメラ」に出演し、ここでのプラカードを掲げる役で19年間にわたって人気を集めることになります。

1978年にメニエール病を患い、療養のため地元である鹿児島に帰郷します。「元祖どっきりカメラ」の収録については、年4回の放送になったため、放送収録前に上京する生活が続いていたそう。

『元祖どっきりカメラ』

野呂圭介

野呂圭介

灯芸 野呂窯ブログより
『元祖どっきりカメラ』は、1969年から同局で放送された『なんでもやりまショー』内の1コーナーだった「どっきりカメラ」を番組に格上げし、1970年10月3日に金原二郎アナウンサーを総合司会に、タイトルはコーナーそのままに『どっきりカメラ』と題して、レギュラー番組化したが、半年後に終了となりました。

今度は、『いたずら大作戦』と題して番組をリニューアルし、牧伸二を司会に迎えて再開したが、こちらも半年後に終了してしまいます。懲りずに、高橋圭三を司会に迎え、『ビックリ決定版!!』と題して2年後に再登場したが、こちらも半年で終了してしまいます。

『木曜スペシャル』の中で3か月に1回程度の単発番組として、『元祖どっきりカメラ』が放送されます。司会は、のちに宍戸錠と石川牧子アナウンサーでした。プラカードを掲げる役の野呂圭介の降板と共に一旦、番組は終了となります。

のちに司会に高橋英樹と山田邦子で、プラカード役は笑福亭笑瓶を起用し新作を放送しましたが、結局定期放送には至りませんでした。
元祖!どっきりカメラ 高橋英樹 山田邦子

元祖!どっきりカメラ 高橋英樹 山田邦子

現在は『陶芸家』に転身!?

鹿児島に帰郷後は、鹿児島テレビやテレビ熊本などのローカル番組に出演しながら、鹿児島市の繁華街である天文館で「スナック どっきりカメラ」を経営していました。
「スナック どっきりカメラ」は、番組に縁のあるグッズ(番組で使用した赤ヘルメットやプラカード)が飾られており、番組と野呂さんファンで盛り上がっていたそうです。

その後、1995年に趣味だった陶芸に本腰を入れるため、芸能活動を一旦止めて、陶芸家の道へと進みます。1999年には、日置市に「陶呂庵 野呂窯工房」を構えて、自作の陶芸作品を展示・販売しています。

2003年に肝臓がんを発症してしまい、肝臓の3分の2を摘出する大手術を経験します。2006年に知大分県由布市に移住しますが、今度は2011年に腹膜炎が悪化し、意識不明の重体となったが回復し、後遺症もなく無事に済みました。

2度の大病を経て、最後は鹿児島で過ごそうと決意した野呂さんは、薩摩川内市に一軒家を見つけて引っ越し、自宅とアトリエとギャラリーを兼ねた「野呂窯」を開いています。
ふくろうランプ 野呂窯 野呂圭介

ふくろうランプ 野呂窯 野呂圭介

まだまだ俳優としても陶芸家としても、現役で活躍している野呂圭介さん。
いつまでもお若く元気で活躍して欲しいです!
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  • NTV 2020/1/27 07:16

    「驚異の世界/木曜スペシャル」も
    アニメ枠改編で終了したんでしたっけ?
    定かでありません

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