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中森明菜 1980年代の名曲 スローモーション
中森明菜『スローモーション』
作詞・作曲:来生えつこ・来生たかお
1982年5月1日に発売したデビュー曲。自身にとって初のレコーディングであったが、「スローモーション」のレコーディングでは、どうしても「スローモションー」と歌ってしまい、ディレクターの島田雄三に複数回注意されてしまったと中森は明かしている。
デビュー曲候補を4曲に絞っていた際に、母校の清瀬中学校の校内放送で候補曲を流し、アンケートを実施。その結果「Tシャツ・サンセット」が1位となったが最終的には2番人気の「スローモーション」がデビュー曲に選ばれた。
1982年5月1日に発売したデビュー曲。自身にとって初のレコーディングであったが、「スローモーション」のレコーディングでは、どうしても「スローモションー」と歌ってしまい、ディレクターの島田雄三に複数回注意されてしまったと中森は明かしている。
デビュー曲候補を4曲に絞っていた際に、母校の清瀬中学校の校内放送で候補曲を流し、アンケートを実施。その結果「Tシャツ・サンセット」が1位となったが最終的には2番人気の「スローモーション」がデビュー曲に選ばれた。
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中森明菜 1980年代の名曲 少女A
中森明菜『少女A』
作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明
1982年7月28日にリリースしたセカンドシングル。アイドル歌手としての地位を強固なものとした楽曲。本曲の詞については、もともと沢田研二向けに「ロリータ」のタイトルで提供され廃案になった歌詞を書き直したものだという。中森本人は「少女A」について、好きではないとのコメントを残している。
1982年7月28日にリリースしたセカンドシングル。アイドル歌手としての地位を強固なものとした楽曲。本曲の詞については、もともと沢田研二向けに「ロリータ」のタイトルで提供され廃案になった歌詞を書き直したものだという。中森本人は「少女A」について、好きではないとのコメントを残している。
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中森明菜 1980年代の名曲 セカンド・ラブ
中森明菜『セカンド・ラブ』
作詞・作曲:来生えつこ・来生たかお
1982年11月10日にリリース。中森は、この楽曲に深く感動し、繊細な歌詞とメロディに心を揺さぶられるあまり、自身が歌うべきなのか?、また、他の歌手が歌唱しても大ヒットする楽曲との確信から、ヒットしなかったらこの曲に対し申し訳無い気持ちであったと明かしている。
1982年11月10日にリリース。中森は、この楽曲に深く感動し、繊細な歌詞とメロディに心を揺さぶられるあまり、自身が歌うべきなのか?、また、他の歌手が歌唱しても大ヒットする楽曲との確信から、ヒットしなかったらこの曲に対し申し訳無い気持ちであったと明かしている。
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中森明菜 1980年代の名曲 1/2の神話
中森明菜『1/2の神話』
作詞:売野雅勇、作曲:大沢誉志幸
1983年2月23日にリリース。ソロデビュー前の大沢誉志幸が作曲し、後に大沢がセルフカバーしている。
1983年2月23日にリリース。ソロデビュー前の大沢誉志幸が作曲し、後に大沢がセルフカバーしている。
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中森明菜 1980年代の名曲 禁区
中森明菜『禁区』
作詞:売野雅勇、作曲:細野晴臣
1983年9月7日リリース。YMOの細野晴臣が作曲を手掛け、作曲した細野とともに萩田光雄によって編曲されたテクノ歌謡。1983年度のオリコン年間シングルチャートでは、17位を記録し、51万枚を上回る売り上げとなった。
1983年9月7日リリース。YMOの細野晴臣が作曲を手掛け、作曲した細野とともに萩田光雄によって編曲されたテクノ歌謡。1983年度のオリコン年間シングルチャートでは、17位を記録し、51万枚を上回る売り上げとなった。
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中森明菜 1980年代の名曲 北ウイング
中森明菜『北ウイング』
作詞:康珍化、作曲:林哲司
7枚目のシングルとして1984年1月1日リリース。林の起用は、中森の指名によって実現された。「北ウイング」のタイトルは、候補として、「ミッドナイトフライト」・「夜間飛行」などもあったが、中森の提案によりこのタイトルに決定された。中森はこのタイトルについて、松任谷由実の「中央フリーウェイ」に影響を受けたと明かしている。
7枚目のシングルとして1984年1月1日リリース。林の起用は、中森の指名によって実現された。「北ウイング」のタイトルは、候補として、「ミッドナイトフライト」・「夜間飛行」などもあったが、中森の提案によりこのタイトルに決定された。中森はこのタイトルについて、松任谷由実の「中央フリーウェイ」に影響を受けたと明かしている。
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中森明菜 1980年代の名曲 サザン・ウインド
中森明菜 サザン・ウインド - YouTube
作詞:来生えつこ、作曲:玉置浩二
1984年4月11日リリース。作曲はシングルでは「禁区」のB面「雨のレクイエム」以来となる安全地帯の玉置浩二が手掛け、編曲は瀬尾一三が手掛けた。1984年度のオリコン年間シングルチャートでは、10位を記録。以降、この「サザン・ウインド」から1988年の「TATTOO」まで15作連続で1位を記録していく。
1984年4月11日リリース。作曲はシングルでは「禁区」のB面「雨のレクイエム」以来となる安全地帯の玉置浩二が手掛け、編曲は瀬尾一三が手掛けた。1984年度のオリコン年間シングルチャートでは、10位を記録。以降、この「サザン・ウインド」から1988年の「TATTOO」まで15作連続で1位を記録していく。
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中森明菜 1980年代の名曲 十戒 (1984)
中森明菜『十戒』
作詞:売野雅勇、作曲:高中正義
1984年7月25日リリース。「十戒 (1984)」の作詞について売野は、ディレクター間での打ち合わせのみで、実際に詞の内容について中森と意見を交わしたことはなかったが、「ぼくの創り上げた詞の主人公を見事に演じ、脚本以上の映像をつくってしまう素晴らしきシンガーアクトレスだ」と語っている。
1984年7月25日リリース。「十戒 (1984)」の作詞について売野は、ディレクター間での打ち合わせのみで、実際に詞の内容について中森と意見を交わしたことはなかったが、「ぼくの創り上げた詞の主人公を見事に演じ、脚本以上の映像をつくってしまう素晴らしきシンガーアクトレスだ」と語っている。
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中森明菜 1980年代の名曲 飾りじゃないのよ涙は
中森明菜『飾りじゃないのよ涙は』
作詞・作曲:井上陽水
1984年11月14日リリース。中森にとってこの楽曲は、アイドルからシンガー、アーティストへの転機となった。中森のシングル楽曲では、1位の「セカンド・ラブ」、2位の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」に次いで、3位の売上枚数を記録している。
1984年11月14日リリース。中森にとってこの楽曲は、アイドルからシンガー、アーティストへの転機となった。中森のシングル楽曲では、1位の「セカンド・ラブ」、2位の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」に次いで、3位の売上枚数を記録している。
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本名同じ。東京都大田区生まれ、清瀬市育ち。
16歳の時に出場した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』合格を機に、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結。1982年にシングル「スローモーション」でデビュー以降、次々とヒットを連発。1985年・1986年と日本レコード大賞を受賞した。