徹子の部屋
『徹子の部屋』(てつこのへや)は、テレビ朝日(番組開始時の旧社名:日本教育テレビ(NET))系列で平日に放送されている長寿トーク番組。
黒柳徹子司会の冠番組である。
CS放送のテレ朝チャンネル1・2では、過去の放送回を再放送している。同局が日本教育テレビ(NET)時代に『13時ショー』の後番組として1976年2月2日にスタート。
黒柳徹子司会の冠番組である。
CS放送のテレ朝チャンネル1・2では、過去の放送回を再放送している。同局が日本教育テレビ(NET)時代に『13時ショー』の後番組として1976年2月2日にスタート。
黒柳の文化人的キャラクターや「終戦特集」などを企画するなど「お上品な番組」としてイメージされがちだが、毎年末(2013年まで)にはタモリに芸を披露させたり、2000年代後半頃からは『アメトーーク!』とコラボレーションするなど、番組発足以来、バラエティ番組としての性格も有している。番組の知名度も高く他局も含めて数多くのパロディが存在する。
本番組で放送された映像のうち初期のものについては、当時の放送用VTRが機器・テープとも高価だった上、著作権法等の縛りで番組の資料保存も安易に行えなかった事情から、大半が現存していない(黒柳自身が個人的に家庭用ビデオデッキで録画し保存したものもあるが、画質は余り良くない)ものの、出演時のスチル写真と音声を収録したカセットテープについては保存されているという。
出演ゲストは延べ10000人以上に上る。ゲストもタレント・俳優・女優・歌手・お笑いタレント・作家・政治家など幅広く、テレビ朝日や一部系列局の情報・報道番組で著名人の訃報が伝えられる際、ニュース映像に故人が本番組に出演した際の映像が頻繁に使用されており、副次的ではあるが著名人の映像アーカイブ的側面もある。
黒柳が1980年のNHK『第31回NHK紅白歌合戦』の紅組司会に起用されたのは本番組の司会ぶりの評価もその一因である。
司会の黒柳徹子の独特な話の進め方から、出演した芸人からは「芸人殺し」「ボケ殺し」と恐れられているとも。
下記動画はその一例。
下記動画はその一例。
フットボールアワー 徹子の部屋に出演し死亡!? - YouTube
via www.youtube.com
黒柳徹子の芸人殺し 被害者はバナナマン - YouTube
via www.youtube.com
タモリに限らずお笑い芸人がゲストの場合、トーク以外に持ちネタが披露されることも多い。極端な例では、2005年に清水ミチコや友近が出演した際、オンエア時間の大半がネタ披露に充てられた。
”芸人泣かせ”なのはコチラの「アメト--ク!」に詳しいです
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エピソード
黒柳徹子
黒柳徹子(1933年8月9日 - )は、日本の女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家である。血液型はA型。愛称は「トットちゃん」、「チャック」。
日本のテレビ放送開始以来長年に亘り第一線で活躍している、テレビ放送史を代表する芸能人の1人である。テレビ朝日『徹子の部屋』の司会や、累計800万部を記録し戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者として知られる。
日本のテレビ放送開始以来長年に亘り第一線で活躍している、テレビ放送史を代表する芸能人の1人である。テレビ朝日『徹子の部屋』の司会や、累計800万部を記録し戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者として知られる。
via up.gc-img.net
本番組で黒柳は「たまねぎ頭」姿である。芸能界七不思議の1つと言われるこの髪型については理由があり、毎日髪形を変えると、視聴者の関心が黒柳の髪に集中してしまってゲストの方へ行かない、また襟足が出るので、黒柳の斜め後ろからの画像になっても「ふんふん」と頷く時に髪ばっかり揺れているという絵にならず、首が見えるので少しは人間味がでる、あるいは和装でも洋装でもちょっとアレンジすれば済むなどの理由で固定していると言う。ただし扮装する時は別である。
番組を作る上でのこだわり
年間最終ゲストはタモリ
放送第1回目のゲストは森繁久彌。
年間最終の放送のゲストは1978年から2013年まで約36年間、毎年必ずタモリ(初出演日は1977年8月11日放送)で、2013年12月27日放送の出演で37回目を数え、ゲスト出演回数では加山雄三、永六輔に次いで3位(2015年5月現在)。
年間最終の放送のゲストは1978年から2013年まで約36年間、毎年必ずタモリ(初出演日は1977年8月11日放送)で、2013年12月27日放送の出演で37回目を数え、ゲスト出演回数では加山雄三、永六輔に次いで3位(2015年5月現在)。
本番組を始めるにあたり、黒柳がテレビ朝日に出した条件が「スタッフの入れ替えをしないこと」「編集をしないこと(撮って出しの手法)」であった(ただしこれは番組がいつまで続くか分からなかった開始当初のことであり、実際には後述の通りプロデューサーやディレクターは入れ替わっている)。
後者の理由は「ゲストのありのままの姿を引き出すため」「番組の質の低下を防ぐため(帯番組を編集するのは多大な労力がかかる)」「ゲスト・黒柳・スタッフの三者間で『ここをカットしてほしい』『ここを残してほしい』と編集に関する意見が衝突するのを防ぐため」の3点である。
黒柳は「一切編集をしない。ほぼ生放送の状態。だから皆さん本心を話してくれるんでしょう。」と語っている。ゲスト一人当たりに一時間ほどかけてスタッフと綿密な打ち合わせをする、「その打ち合わせをする金曜日が一番大変」と明かす 。
各種データ
黒柳とゲストの間に置かれている生け花は、毎回取り替えられており、フラワーコーディネーターが、ゲストのキャラクターや、衣装との見栄えの相性を勘案しながら生けている。
黒柳とゲストが座る椅子は基本的にはソファだが、出演者の数や季節に応じてなどで全く異なる椅子に変更される時が不定期にある。
黒柳とゲストが座る椅子は基本的にはソファだが、出演者の数や季節に応じてなどで全く異なる椅子に変更される時が不定期にある。
via img02.hamazo.tv
【最多出演ゲスト】
加山雄三(41回、2015年5月21日出演分まで)
【最年長出演ゲスト】
成田きん、蟹江ぎん(1998年12月23日、106歳)
【最年少出演ゲスト】
単独出演最年少は、芦田愛菜(2011年1月19日、6歳7か月)
【最多人数ゲスト】
モイセーエフバレエ学校(モイセーエフバレエ団)(1997年7月18日) - 44人
【歴代高視聴率ゲスト】
1. 1981年4月10日(金) 14.5% 三浦友和
2. 1984年1月5日(木) 13.5% 武田鉄矢
3. 1981年11月3日(火) 13.4% マッハ文朱
4. 1983年4月1日(金) 13.0% わらべ
5. 1982年9月15日(水) 12.7% 江本孟紀
5. 1985年5月6日(月) 12.7% 松田聖子
7. 1982年4月29日(木) 12.6% ビートたけし
8. 1983年4月29日(金) 12.3% 野々村真
9. 1983年9月16日(金) 12.2% あき竹城
10. 1979年8月23日(木) 11.9% 松方弘樹
10. 1985年8月29日(木) 11.9% ジェリー藤尾
加山雄三(41回、2015年5月21日出演分まで)
【最年長出演ゲスト】
成田きん、蟹江ぎん(1998年12月23日、106歳)
【最年少出演ゲスト】
単独出演最年少は、芦田愛菜(2011年1月19日、6歳7か月)
【最多人数ゲスト】
モイセーエフバレエ学校(モイセーエフバレエ団)(1997年7月18日) - 44人
【歴代高視聴率ゲスト】
1. 1981年4月10日(金) 14.5% 三浦友和
2. 1984年1月5日(木) 13.5% 武田鉄矢
3. 1981年11月3日(火) 13.4% マッハ文朱
4. 1983年4月1日(金) 13.0% わらべ
5. 1982年9月15日(水) 12.7% 江本孟紀
5. 1985年5月6日(月) 12.7% 松田聖子
7. 1982年4月29日(木) 12.6% ビートたけし
8. 1983年4月29日(金) 12.3% 野々村真
9. 1983年9月16日(金) 12.2% あき竹城
10. 1979年8月23日(木) 11.9% 松方弘樹
10. 1985年8月29日(木) 11.9% ジェリー藤尾
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2015年5月27日にて放送10000回を突破。