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尾崎はプロデビュー後、自身や兄弟、飯合肇など同志の後輩らとジャンボ軍団を結成。合同自主トレを開催し、多くのプロゴルファーがジャンボ軍団の門を叩いた。非常に体格が良いので、一時期格闘家になろうと思ったこともあった。
プロ野球選手にも門戸を開放しており、鈴木健らはジャンボ軍団と一緒に自主トレを行っていた。
ジャンボ軍団 総帥 ジャンボ尾崎こと尾崎将司
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尾崎 将司(おざき まさし、1947年1月24日 - )は、日本のプロゴルファー、元プロ野球選手。本名およびプロ野球時代の登録名は尾崎 正司(読みは同じ)。徳島県海部郡宍喰町(現・海陽町)出身。
「ジャンボ尾崎」(ジャンボおざき)の別名でも知られる。公式ゴルフランキングでも“Masashi Jumbo Ozaki”と表記された[1]。世界ランキングの自己最高位は8位。日本ゴルフツアー通算94勝、賞金王12回、メジャー大会20勝(日本プロ6勝、日本マッチプレー1勝、フィランソロフィー1勝、日本オープン5勝、日本シリーズ7勝)は歴代1位。通算優勝回数は113回で世界プロツアー最多記録。2010年には世界ゴルフ殿堂入りを果たした。2013年には日本男子レギュラーツアー史上初のエージシュートを、年齢より4打低いスコアで達成した[2]。
ジェット尾崎こと尾崎健夫
尾崎 健夫(おざき たてお、1954年1月9日 - )はプロゴルファーである。徳島県海陽町出身。通称はジェット、あるいは姓を続けてジェット尾崎。
ジャンボ尾崎こと尾崎将司の弟であり、プロゴルファーとして知られているが、高校野球の全国大会で優勝した兄と同じく海南高校(海南町)時代は野球部のエースとして活躍した。弟は尾崎直道。
アメリカの下部ツアーを転戦していた時にアメリカ人若手プロから「ジェット」のニックネームを付けられた。これは、健夫がドライバーショットを放つとボールがジェット機のように強烈な勢いで飛んでいくのに驚いたからであり、以来この呼び方が定着している。
ジョー尾崎こと尾崎直道
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尾崎 直道(おざき なおみち、1956年5月18日 - )は徳島県出身のプロゴルファー。愛称はジョー。同じくプロゴルファーで兄の尾崎将司(ジャンボ)、尾崎健夫(ジェット)と3人で「尾崎3兄弟」と呼ばれる。
ジョー(JOE)の由来は長兄のジャンボ(JUMBO)、次兄のジェット(JET)と頭文字がJで始まるニックネームだった為、同じJで始まるニックネームを公募して付けられた。
コングこと飯合肇
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飯合 肇(めしあい はじめ、1954年3月12日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。「ジャンボ軍団」の一人で、愛称は「コング」。日本初のレギュラー / シニア両ツアーの賞金王に輝く。
川岸良兼
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川岸 良兼(かわぎし りょうけん、1966年12月6日 - )は、石川県小松市出身のプロゴルファーである。石川県立小松明峰高等学校→日本大学卒業。身長180cm、体重88kgの大型選手。師匠は尾崎将司で、ジャンボ軍団(尾崎の指導を受けながら、一緒に練習する弟子たちの集団)のひとりである。これまでに日本ゴルフツアーで6勝を挙げている。
小山内 護
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高校入学後にゴルフを始め、卒業後はオーストラリアに1年間留学して腕を磨く。その後、ジャンボ軍団に入り、1996年に4度目の挑戦でプロテストに合格した。98年の『サントリーオープン』では師匠ジャンボを抑えて初優勝。翌年の『日本プロマッチプレー』では谷口徹を破って頂点に立った。
首や左ひじを痛めた影響で09年に11年間守ってきたシードを喪失。QTも失敗して10年序盤はツアーに出場することもできなかった。シーズン初試合がマンデーを突破して出場権をつかんだ7月の『セガサミーカップ』。4位で迎えた最終日に69で回って薗田峻輔、趙珉珪とのプレーオフへ。4ホール目で決着をつけ、見事に復活した。11、12年と予選落ちは多いもののシードはキープしていたが、13年は最高順位が21位タイ、賞金ランキングも102位でシードを落としてしまった。14年はQT23位で前半戦の出場権を確保、シード復帰を狙う。
ドライビングディスタンスで1位に輝くこと最多の4度。04年にマークした306.82ヤードは今も歴代1位の記録として残っている。 <2014>
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