アイドル水泳大会の歴史
暗黒時代へ
アイドル本人のみならず事務所も慎重になり、水泳大会でも人気アイドルが出演を拒否したり、ビキニをやめてワンピースに移行していった。女性用水着の流行もワンピースが主流となった。こうして水泳大会は本数も激減し、深夜に細々と行われるだけになった。
フジテレビだけが復活に挑戦!
この番組は水泳大会の復権にある程度貢献したが、水着が既にワンピース主流であった。
ワンピースだらけの中に、ビキニ姿のアダルトモデルが若干数おり、騎馬戦などでやらせのポロリを披露するために出演していることは一目瞭然であった。こうした出演者を「ポロリ要員」などと呼んだ。
『女だらけの水泳大会』は、1993年夏から微妙にタイトルを変えながら、1998年冬の第18回まで続き、しばらく年月をおいて2003年春の『ドキッ!丸ごと水着!!アイドルだらけの水泳大会』が最後となった。
水泳大会はアイドルブームと合わせて放映本数・内容とも高まりを見せた。
この頃「アクション・カメラ術」なる、女性の隙をとらえたのぞき撮り(盗撮)に関する書籍がヒットし、「ヒット・カメラ術」「アタック・カメラ術」などのぞき撮り写真集が多数刊行。それら書籍の中では水泳大会もかなりの比率を占め、中には水泳大会写真集としか言えない出来の本もあった。