アイドルの歴史年表:1)60年代の映画スターと映画の斜陽化 2)アイドルの隆盛期 3)アイドル黄金期と多様化 4)グラドルの隆盛期 5)集団アイドルの隆盛期
2015年9月15日 更新

アイドルの歴史年表:1)60年代の映画スターと映画の斜陽化 2)アイドルの隆盛期 3)アイドル黄金期と多様化 4)グラドルの隆盛期 5)集団アイドルの隆盛期

1960年代から現在までのアイドルの歴史をまとめました。今回のまとめでは、アイドルの歴史は5つのフェーズに大きく分けられています。1)60年代の映画スターと映画の斜陽化 2)70年代のアイドルの隆盛期 3)80年代のアイドル黄金期と多様化 4)90年代はグラドルの隆盛期 5)2000年以降の集団アイドルの隆盛期。この5つのフェーズごとに一緒に歴史を振り返っていきましょう。

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【1】1960年代:映画界の青春スターや映画会社の看板スター

戦後から1960年代:映画界の看板スター、銀幕スターに青春スターの隆盛期

日本の芸能人を対象としては、一般的に「スター」と呼ばれ、特に未だテレビが普及していない時代における日本の芸能界の主力が映画だったことから、人気ある若手の芸能人もほとんどが加山雄三、吉永小百合、浜田光夫ら特に「青春スター」と呼ばれた映画の俳優であった。
その後、本格的なテレビ時代の到来、産業としての映画の全体的な斜陽化、そして絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなどのグループ・サウンズのブームが巻き起こる過程で、徐々に「青春スター」の呼称も使われなくなり、「アイドル」の呼称に取って代わられるようになった。その更に後の1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造され、1980年代には、市民権を得るようになった。

1960年代初頭以降:テレビの普及と娯楽の多様化により日本の映画産業全体の斜陽化

新東宝の倒産に始まる、1960年代初頭からの日本の映画産業全体の斜陽化は著しく、テレビの急速な普及・発展や高度経済成長による娯楽の多様化などに圧倒されることになった。

日活は青春スター(文芸)路線からロマンポルノ路線へ

1971年、8月に日活は業績不振で一般劇映画からは撤退(夏休み向け、正月向けに限り一般作品も製作)、同年秋より低予算の成人向けポルノ映画「日活ロマンポルノへと移行した。残りの大手映画会社も1970年代に入ると制作本数を激減させ、東宝も主力映画作品であった東宝4大喜劇シリーズを終了させ、1971年に専属俳優の一斉解雇に踏み切った。東映もこの時期にテレビへと比重を移し、撮影所などの自社施設でドラマや子供向けのテレビ番組の制作を数多く手掛けるようになるなど、映画会社もテレビなくしては経営が成り立たなくなった。

1971年:大映の倒産

大映は、1969年に最後の頼み綱であった専属スター市川雷蔵を病で失って以降いよいよ末期的な凋落傾向となっていたが、1971年秋についに映画製作を中断、年末には経営破綻する。

大手映画会社の五社協定の弊害も映画産業の衰退に拍車をかけたと思われる

五社協定(ごしゃきょうてい)は日本の大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が1953年9月10日に調印した専属監督・俳優らに関する協定。後に日活が加わり、新東宝が倒産するまでの3年間は六社協定となっていた。

映画会社の既得権確保に重点をおいたこの協定は、所属する監督・俳優の自由な活動を縛った結果、多くの軋轢を起こしたのみでなく、日本映画産業の発展の阻害要因となり、日本映画の衰退の一因となったという厳しい評価がなされている。
監督・俳優の貸し出し禁止という一項は数多くの軋轢を生んだ。完全禁止とまでは行かなかったが、監督の他社俳優の起用や俳優の他社出演の希望は実現しなかったことが多く、監督も俳優も会社と揉めたり、涙を飲んだことがたびたびあった。
また、会社間の枠を超えての監督や俳優の交流も六本木など繁華街での呑み友達などといったごくプライベートなレベルでの繋がりの発生を別にすれば難しく、公的なレベルでの交流は映画会社対抗の映画人野球大会を例外にすればほとんどなかった。俳優の映画会社専属制度が崩壊して以降も、テレビドラマなどでの共演機会がなければ、スター俳優間に全く接点がないことはさして珍しくなく、例えば東宝専属であった夏木陽介と日活専属であった松原智恵子は、2011年10月11日放送のBS-TBSのテレビ番組『関口宏の昭和青春グラフィティ』の番組収録が両者の初対面であり、夏木は五社協定の影響があって、専属時代には松原と顔を合わせる機会がなかったという旨のことをこの番組で語っている。

【2】1970年代:アイドル隆盛期

アイドル隆盛期

1970年代以降、日本では、『スター誕生!』や「ミスセブンティーンコンテスト」、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」などの大規模なオーディションが相次いで開催されるようになり、森昌子、桜田淳子、山口百恵から成る「花の中三トリオ」やピンク・レディー(『スター誕生!』)、松田聖子や国生さゆり、工藤静香(「ミスセブンティーンコンテスト」)ら、後の人気アイドルを輩出した。1980年代に入り、松田聖子・田原俊彦・近藤真彦・小泉今日子・中森明菜ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の定着が見られた。小学館の学年別学習雑誌の表紙は、それ以前に子供の写真か子供を描いた水彩画が用いられていたのに対し、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになった。

1971年:歌手のオーディション番組「スター誕生!」放送開始(~83年9月)。山口百恵、ピンクレディー、中森明菜など後の人気アイドルを続々と輩出した。

本田美奈子 スター誕生 14才 - YouTube

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