【ハイ・スパンキー】とは
【メンバー】
・山崎淳一 (リーダー、愛称:ジュン)
・橋本タイジ (本名:橋本泰治)
・五島薫 (本名:五島純一)
・遠藤いさお(本名:遠藤五佐緒)
ハイ・スパンキー「当時、大好きだったー!」という方にはおさらいという事でご紹介。彼らの結成には日本テレビ系番組「プラチナゴールデンショー」という番組がポイントになります。
この番組自体2期に分かれていて、彼らは第1期の終わり頃(1971年4月25日放送終了)メイン司会だったジャニーズ事務所の人気アイドル「フォーリーブス」が多忙により降板、後継グループとして1970年10月から第1期放送終了までサブMCで活躍したアイドルグループ。
リンゴの樹の下で/ハイ・スパンキー
— 石川ちんぺい@いないいないBAR連載中 (@isikawk) December 28, 2019
スクールメイツ出身男性アイドルグループ。もう一枚の「ともだち」は見かけるがこっちはあまり見かけない。とにかくアレンジがアッパーでカッコ良く、昔は和モノ人気盤的位置だったが最近トンとそんな話を聞かない。ボーカルがほぼフォーリーブスみたいだからか。 pic.twitter.com/KriEZIuG6G
デビューは1971年3月10日「ともだち(日本コロムビア)」でデビューまもなく、「プラチナゴールデンショー」自体の放送が終わり、同テレビ局の「全国テキに歌ァ!」でアシスタント起用されるも野球中継で番組休止が度重なり、わずか3ヶ月で番組終了。
その後の活動情報が見つからないため、結成から1年経たずに事実上解散となってしまった様です。なお、現在音源も見当たらず、リリースしたのもシングルEP2つのみです。
【ディスコグラフィー】
① ともだち 1971年3月10日発売
c/w思い出は薔薇のように
② リンゴの樹の下で 1971年8月発売
c/w何かいいこと起こるから
【ハイ・スパンキー】の結成について
ハイ・スパンキーの結成には「プラチナゴールデンショー」がポイントであると冒頭でお話ししました。そもそもこの番組、放送開始当時の番組名は「プラチナアワー 明星ゴールデンショー」だったが改名。
集英社のアイドル雑誌「明星」が協賛、ハイ・スパンキーのメンバーオーディションがなされた結果、結成されたアイドルということ。ちなみにハイ・スパンキーのオーディションには後にジャニーズ事務所に所属する「星克己さん(ソロ・スーパーエイジスで活動)」も参加している。
では、ハイ・スパンキーはジャニーズ事務所なのか?それともよく見かける渡辺プロダクション(以下ナベプロ)なのか?次でご紹介して行きましょう。
花と少女/星克己
— 石川ちんぺい@いないいないBAR連載中 (@isikawk) March 16, 2020
ハイスパンキーのオーディションを受けてソロデビュー、その後ジャニーズのグループにも参加したらしい。アイドルソングではあるが、時期が時期だけに若干のアフターGS感があり、グルーヴしている。途中、急にガナリというか絶叫というか、ヤケクソ気味になるところがご愛機。 pic.twitter.com/8kakdFE4qf
ハイ・スパンキーの所属事務所は?スクールメイツ出身?
昔はよくスクールメイトがテレビに出とったよー!踊姫ここな♥
— BMO🐵美少女教育委員会 (@ptw1dmw2ptw3) October 1, 2017
1962年渡辺プロの渡辺美佐(現名誉会長)が欧米研修から帰国した時に「本格的なジャズ・ポップスの合唱団をつくり後継者を育てたい」と東京音楽学院が発足。その中から優秀な生徒を集めて結成されたのがスクールメイツ。 pic.twitter.com/urRhU2PIkq
プラチナゴールデンショーでは、ナベプロのアイドルやスクールメイツ、ジャニーズ事務所のアイドルが共演していました。ちなみに、スクールメイツは渡辺プロダクションの名誉会長「渡辺美佐さん」によって発足した「東京音楽学院」の中で優秀な生徒で結成したグループということをご存知だろうか。
さらに毎度番組終わりに「あなたもフォーリーブスと共演しませんか?」と銘打ち、東京音楽学院の各地の生徒等アイドルの卵発掘、いわゆる生徒募集をしていた模様。
また、当時とナベプロとジャニーズ事務所(ナベプロ傘下)は業務提携を結んでいたことから、この番組を通してオーディションを行い、方向性で所属事務所を決めていたことが見える。
そこで、ハイ・スパンキーの場合は各地のスクールメイツの中から抜擢されて結成されたということになります。
※山崎(大阪校のスクールメイツ)/橋本(広島校のスクールメイツ)/五島・遠藤(東京校のスクールメイツ)
ハイ・スパンキー解散後は?
遠藤五佐緒さんはジャニーズ事務所にスタッフとして入所し、THE GOOD-BYEや忍者のチーフマネージャーをされていましたが、現在もいらっしゃるかは不明です。
橋本タイジ(元ハイ・スパンキー)*が俺たちのサポーターで、すごくよくやってくれた。俺たちとは強いきずながあったんだ。
* ハイ・スパンキーは、ジャニーズJR出身で渡辺プロからデビューしたアイドルグループだった。 タイジはウォッカ・コリンズのツアー・マネージャーとしてメンバーを支えて献身的に仕事をしたようだ。再結成アルバム 「ボーイズ・ライフ」の中では、コーラスも担当している。また2010年1月に行われた大口さんの追悼コンサートでは、横内タケと共に登場、ストーンズナンバーを熱唱した
🌈ラジオ関西からお届けするTHE TOMBOYSのDream Tues Box 🌈
— THE TOMBOYS (@the_tomboys) August 1, 2018
今週の🍩盤
GGワカナ
ともだち/ハイ・スパンキー
新譜紹介
和木マドカ
ライター/忘れてモーテルズ
タイムフリーで今すぐ聴ける〜〜!
☜☞https://t.co/oeFhTtsXUw pic.twitter.com/CkEF5SXjHq