2020年7月29日 更新
【福留功男】日テレの顔として活躍!経歴やエピソード・出演コンテンツまとめ
『史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ!!』の初代MCとして、お茶の間から愛された福留功男さん。他にも、『ズームイン!!朝!』といった朝の看板番組の司会も担当していました。今回は、そんな福留功男さんに注目して経歴やエピソード・出演コンテンツなどをまとめましたので、ぜひ記事をご覧になってください。
日テレの顔として活躍された福留功男さん
福留功男さんのプロフィール
福留功男さんの経歴
生い立ち
高知県で生まれ、大阪府で育った福留功夫さん。中学までは地元の公立学校に通い、演劇部・放送部に所属し、さらにはアイスホッケーもしていたほどの活発ぶりだったそうです。
私立の名門校・追手門学院高等学校を卒業すると、医師になるため、数々の医大を受験するも叶わず。二浪して入った明治大学の文学部・演劇学科を卒業すると、1966年、在学中にアルバイトをしていた日本テレビに入社されます。
日テレ時代
しかし、子供向けのキャラクターという印象が定着してしまうと考えた福留功男さんは番組降板を申し出ると、これが仇となり、表舞台の仕事全てを剥奪されてしまいます。この間、内勤業務に回されましたが、話術向上のための練習やトレーニングを積んでいたそうです。
その人気ぶりから、『史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ!!』は年一回のレギュラー番組となり、福留功男さんは司会ぶりが評価され、さらにアナウンサーとしての知名度を高めていきました。
1990年頃、TBSの役員クラスから新しく始まる報道番組『ブロードキャスター』の総合司会に誘われます。当時の福留功男さんは日テレの取締役に相談すると、背中を押してくれたそうで、日テレを円満退社して、自ら事務所を設立してフリーアナウンサーとして活動することになりました。
事務所の設立
フリーに転身した後も、人気の司会者として、数多くの番組に携わってきた福留功男さん。しかし、高額なギャラや視聴率の低迷といった結果から、2004年には事務所解散といった事態となり、2009年には全ての番組が打ち切りになってしまいます。
心臓の持病が悪化したことで、ペースメーカーを入れて身体障害者1級の認定を受けました。さらには顔面麻痺といった症状も抱えるようになったことで、最前線から退き、身体への負担が少ない仕事を選ぶようになりました。
福留功男さんにまつわるエピソード
24時間テレビの出演
福留功男さん、じつは第1回目の放送から第14回までの総合司会をしており、日テレ系列の24時間テレビといえば、彼の顔を思い浮かべるミドルエッジ世代も意外と少なくはないはずです。
歴代『スームイン!!朝!』の司会者
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愛称 :トメさん
生年月日:1942年1月28日
出生地 :高知県
血液側 :A型
職業 :アナウンサー
活動期間:1966年~