さだまさし
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まずはさだまさしさん。
さださんは1972年に吉田正美さんと共に音楽ユニット「グレープ」を結成。1973年にCDデビューします。翌年に「精霊流し」をリリース。まだ無名だったので売り上げはあまり上がらなかったのですが、ラジオから評判になり第16回日本レコード大賞作詩賞を受賞しました。さすがさださんですね。ですがその後病気休養したことなどもあり1976年春に解散。さださんはしばらく休んでその年の11月にソロデビューしています。
1977年にリリースした「雨やどり」がオリコンチャートで1位を獲得し、ブレイクしました。
その後もヒット曲をたくさんリリースしたさださんですが、1980年に「翔べイカロスの翼」で映画デビューします。しかもいきなりの主演でした。そして音楽も担当しています。
そして翌年1981年には「長江」で映画監督デビューをします。中国大陸の長江を舞台にしたドキュメント映画で主演はさださん自身です。
ですがさださんは映画制作の資金調達の仕組みを知らなかったことや、中国でのトラブルなどもあり結果的に28億円もの借金を抱えることになってしまいました。
その後しばらく映画にはかかわっていなかったのですが、1994年に「さだおばさん」というアニメ映画の監督をしたり、映画出演もするようになりました。そしてさださんげんさくのしょうせつがいくつも映画化されていますよね。
さださんは1972年に吉田正美さんと共に音楽ユニット「グレープ」を結成。1973年にCDデビューします。翌年に「精霊流し」をリリース。まだ無名だったので売り上げはあまり上がらなかったのですが、ラジオから評判になり第16回日本レコード大賞作詩賞を受賞しました。さすがさださんですね。ですがその後病気休養したことなどもあり1976年春に解散。さださんはしばらく休んでその年の11月にソロデビューしています。
1977年にリリースした「雨やどり」がオリコンチャートで1位を獲得し、ブレイクしました。
その後もヒット曲をたくさんリリースしたさださんですが、1980年に「翔べイカロスの翼」で映画デビューします。しかもいきなりの主演でした。そして音楽も担当しています。
そして翌年1981年には「長江」で映画監督デビューをします。中国大陸の長江を舞台にしたドキュメント映画で主演はさださん自身です。
ですがさださんは映画制作の資金調達の仕組みを知らなかったことや、中国でのトラブルなどもあり結果的に28億円もの借金を抱えることになってしまいました。
その後しばらく映画にはかかわっていなかったのですが、1994年に「さだおばさん」というアニメ映画の監督をしたり、映画出演もするようになりました。そしてさださんげんさくのしょうせつがいくつも映画化されていますよね。
桑田佳祐
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桑田佳祐さんは青山学院大学に在学中、サザンオールスターズを結成。1974年頃から音楽活動をスタートさせ、1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューします。そしてデビューからヒット曲を飛ばしていきますよね。
さらに1987年にはソロデビューもし、バンド活動と並行していきます。実際はバンドの活動休止中にソロ活動をしていることが多いですよね。
そして1990年に「稲村ジェーン」で映画監督デビューします。桑田さんが「何もない青春を描きたい」と話したことから始まった企画だそうです。
主演は加勢大周さん。舞台は東京オリンピックの翌年である1965年の鎌倉市稲村ヶ崎です。変わりゆく時代の若者たちのひと夏の青春を描いた映画です。脚本は作詞家でもある康珍化さんが担当しました。
音楽も桑田さんが担当していて、主題歌はサザンオールスターズの「真夏の果実」。挿入歌で「忘れられたBig Wave」と「希望の轍」が使われています。
1990年の日本映画配給収入年間ランキング4位、累計配収額は18億3000万円、観客動員数350万人と大ヒットしました。
興行的には成功していて、音楽の評価も高いのですが内容的には賛否両論の作品ではあります。
桑田さんの監督作品は、2023年現在この1本だけです。
さらに1987年にはソロデビューもし、バンド活動と並行していきます。実際はバンドの活動休止中にソロ活動をしていることが多いですよね。
そして1990年に「稲村ジェーン」で映画監督デビューします。桑田さんが「何もない青春を描きたい」と話したことから始まった企画だそうです。
主演は加勢大周さん。舞台は東京オリンピックの翌年である1965年の鎌倉市稲村ヶ崎です。変わりゆく時代の若者たちのひと夏の青春を描いた映画です。脚本は作詞家でもある康珍化さんが担当しました。
音楽も桑田さんが担当していて、主題歌はサザンオールスターズの「真夏の果実」。挿入歌で「忘れられたBig Wave」と「希望の轍」が使われています。
1990年の日本映画配給収入年間ランキング4位、累計配収額は18億3000万円、観客動員数350万人と大ヒットしました。
興行的には成功していて、音楽の評価も高いのですが内容的には賛否両論の作品ではあります。
桑田さんの監督作品は、2023年現在この1本だけです。
石井竜也
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石井竜也さんは1985年に米米CLUBを結成しデビュー。バンドではボーカルの他、ライブの舞台セット、衣装、脚本なども担当されていました。バンドではカールスモーキー石井の名前で活動されています。
1988年には米米CLUBの「KOME KOME WAR」のビデオクリップの監督として監督デビュー。「KOME KOME WAR」と翌年の「FUNK FUJIYAMA」のビデオクリップでアメリカMTVが主催するMTV Video Music AwardsのInternational Video Awardで2年連続グランプリを受賞しています。すごいですよね。
そして、1994年に石井竜也として「河童」で映画監督デビューします。タイトルの通り河童が出てくるのですが、CGの河童のデザインも担当。絵コンテも作成されています。
石井さんの父と祖父の幼少期の話と、茨城県の河童伝説が元になっています。
さらに1996年には「ACRI」でも映画監督を務めますが、監督作品は2本のみです。
1997年には歌手としてソロデビューもされていますし、衣装・アクセサリー・食器・家具等のデザイン、絵画・オブジェ制作など幅広く活動されています。
1988年には米米CLUBの「KOME KOME WAR」のビデオクリップの監督として監督デビュー。「KOME KOME WAR」と翌年の「FUNK FUJIYAMA」のビデオクリップでアメリカMTVが主催するMTV Video Music AwardsのInternational Video Awardで2年連続グランプリを受賞しています。すごいですよね。
そして、1994年に石井竜也として「河童」で映画監督デビューします。タイトルの通り河童が出てくるのですが、CGの河童のデザインも担当。絵コンテも作成されています。
石井さんの父と祖父の幼少期の話と、茨城県の河童伝説が元になっています。
さらに1996年には「ACRI」でも映画監督を務めますが、監督作品は2本のみです。
1997年には歌手としてソロデビューもされていますし、衣装・アクセサリー・食器・家具等のデザイン、絵画・オブジェ制作など幅広く活動されています。
辻仁成
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辻仁成さんは1985年にロックバンドの「ECHOES(エコーズ)」でボーカリストとしてデビューします。
1989年には『ピアニシモ』で作家デビュー。その後1991年にバンドが解散しソロ活動をするようになりますが、作家としても本格的に活動していきます。
1995年に「天使のわけまえ」という自主製作映画で監督デビュー。その後、8作品の映画監督をされています。
他にも、自身の本が映画化されたり、テレビドラマの脚本を担当されたり多彩に活動されていますね。2003年にはフランスに渡り、現在もフランスを拠点に活動されています。
ちなみに、本名と作家活動時は辻仁成(つじひとなり)、音楽活動、映画監督の時は辻仁也(つじじんせい)と読みます。漢字は同じでも読み方が違うだけでかっこいいですね。
ミュージシャンで映画監督をされている方をご紹介してきました。音楽活動と映画監督だけでなく様々な活動をされている方が多くみなさん多彩ですね。
1989年には『ピアニシモ』で作家デビュー。その後1991年にバンドが解散しソロ活動をするようになりますが、作家としても本格的に活動していきます。
1995年に「天使のわけまえ」という自主製作映画で監督デビュー。その後、8作品の映画監督をされています。
他にも、自身の本が映画化されたり、テレビドラマの脚本を担当されたり多彩に活動されていますね。2003年にはフランスに渡り、現在もフランスを拠点に活動されています。
ちなみに、本名と作家活動時は辻仁成(つじひとなり)、音楽活動、映画監督の時は辻仁也(つじじんせい)と読みます。漢字は同じでも読み方が違うだけでかっこいいですね。
ミュージシャンで映画監督をされている方をご紹介してきました。音楽活動と映画監督だけでなく様々な活動をされている方が多くみなさん多彩ですね。
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