スーパーマリオシリーズ
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家庭用テレビゲームで最初にメジャーになった作品といえば、「スーパーマリオブラザーズ」ではないでしょうか。ファミコンが発売されたのが1983年。「スーパーマリオブラザーズ」は1985年に発売されました。(前身となる「マリオブラザーズ」は1983年に発売されています)
当時、初めてのファミコンとセットで購入する人も多かったと思います。マリオの1-1面はほとんどの人がやったことがあるのではないでしょうか。何なら頭の中でゲームできるくらい覚えています。
「マリオブラザーズ」は固定画面でしたが「スーパーマリオブラザーズ」から横スクロールのゲームになりました。
「スーパーマリオブラザーズ」は世界で一番売れたゲームソフトとしても有名です。その後も、ハードを替えて数々のマリオシリーズが発売されました。そして現在でも人気のキャラクターですよね。
当時、初めてのファミコンとセットで購入する人も多かったと思います。マリオの1-1面はほとんどの人がやったことがあるのではないでしょうか。何なら頭の中でゲームできるくらい覚えています。
「マリオブラザーズ」は固定画面でしたが「スーパーマリオブラザーズ」から横スクロールのゲームになりました。
「スーパーマリオブラザーズ」は世界で一番売れたゲームソフトとしても有名です。その後も、ハードを替えて数々のマリオシリーズが発売されました。そして現在でも人気のキャラクターですよね。
中でも熱中したのは「マリオカート」
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「スーパーマリオブラザーズ」はアクションゲームですが、同じマリオキャラクターが登場するゲームは数々あります。
「ドクターマリオ」「ヨッシーのクッキー」などのパズルゲームも一時期人気になりましたね。
派生シリーズの中で人気が高いのは1992年に発売されたマリオキャラクターのレースゲーム「スーパーマリオカート」ではないでしょうか。家族や友達みんなで楽しめることから、ゲーム好きではない人でもやったことがあると思います。
「マリオカート」も色々なハードから発売されていますが初代のスーファミバージョンが一番思い出深いです。
「桃太郎電鉄」
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1988年にファミコンソフトとしてリリースされた「桃太郎電鉄」。TVゲームではありますが、昔からなじみのあるボードゲームだったので普段ゲームをしない人でも遊んだことがあるのではないでしょうか。家族、友達みんなで遊べるのもポイントでしたね。
プレーヤーは社長に扮し、電鉄を経営しながら目的地を目指すというゲーム。ゲームの勝敗だけでなく、この土地のこの物件は欲しい、などのこだわりもあったりしましたね。
元々前年の1987年に発売されたロールプレイングゲーム「桃太郎伝説」のセリフパロディだったのですが、今や桃鉄の方が人気になりましたね。
最初は1年が「春・夏・秋・冬」の4ターンで、初期のシリーズには貧乏神が登場しないなどゲーム性は少し低かったです。その後、1989年にPCエンジンから「スーパー桃太郎電鉄」が発売。(その後、ゲームボーイ、ファミコンでも発売)
こちらは1年が4月から2月までの11クール、カードや貧乏神が登場するなどみんながよく知る「桃鉄」の仕様になっています。
プレーヤーは社長に扮し、電鉄を経営しながら目的地を目指すというゲーム。ゲームの勝敗だけでなく、この土地のこの物件は欲しい、などのこだわりもあったりしましたね。
元々前年の1987年に発売されたロールプレイングゲーム「桃太郎伝説」のセリフパロディだったのですが、今や桃鉄の方が人気になりましたね。
最初は1年が「春・夏・秋・冬」の4ターンで、初期のシリーズには貧乏神が登場しないなどゲーム性は少し低かったです。その後、1989年にPCエンジンから「スーパー桃太郎電鉄」が発売。(その後、ゲームボーイ、ファミコンでも発売)
こちらは1年が4月から2月までの11クール、カードや貧乏神が登場するなどみんながよく知る「桃鉄」の仕様になっています。
「テトリス」
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「テトリス」は元々、1984年にソビエト連邦のコンピュータ科学者アレクセイ・パジトノフが 考案したゲームです。
当時は「パズルゲーム」と呼ばれていますが落ちもののパズルゲームいわゆる落ちゲーの元祖です。1980年代末から様々なゲーム機に移植されて販売。派生ゲームも多く登場しました。
日本では1988年にアーケードゲームとして登場し、1989年にゲームボーイ版が発売され大ヒットしました。このゲームは子どもだけでなく大人も熱中していました。
今ではゲームをする大人も多いですが、当時ゲームは子どものおもちゃとして考えられていたので大人もゲームに巻き込んだ貴重なゲームだったと思います。
ゲームボーイソフトとしていつでもどこでもプレイできる、対戦もできるという点が受け、国内出荷本数約424万本。これはゲームボーイソフトの中で史上1位の売り上げなんですよ。
当時は「パズルゲーム」と呼ばれていますが落ちもののパズルゲームいわゆる落ちゲーの元祖です。1980年代末から様々なゲーム機に移植されて販売。派生ゲームも多く登場しました。
日本では1988年にアーケードゲームとして登場し、1989年にゲームボーイ版が発売され大ヒットしました。このゲームは子どもだけでなく大人も熱中していました。
今ではゲームをする大人も多いですが、当時ゲームは子どものおもちゃとして考えられていたので大人もゲームに巻き込んだ貴重なゲームだったと思います。
ゲームボーイソフトとしていつでもどこでもプレイできる、対戦もできるという点が受け、国内出荷本数約424万本。これはゲームボーイソフトの中で史上1位の売り上げなんですよ。
派生ゲームの1つ「ぷよぷよ」
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「テトリス」の派生ゲームとして人気になったのは「ぷよぷよ」。
初代「ぷよぷよ」は1991年にファミコン版が発売。その後アーケードゲームになりキャラクター性が強くなり、1994年に「ぷよぷよ通」が発売。その後もシリーズ化されていました。
同じ色のぷよを4つ以上合わせると消えるというゲームですね。テトリスは機械的な感じがしますが、ぷよぷよはキャラクター性が強く、丸みもあってかわいらしくまた違う印象を受けました。
初代「ぷよぷよ」は1991年にファミコン版が発売。その後アーケードゲームになりキャラクター性が強くなり、1994年に「ぷよぷよ通」が発売。その後もシリーズ化されていました。
同じ色のぷよを4つ以上合わせると消えるというゲームですね。テトリスは機械的な感じがしますが、ぷよぷよはキャラクター性が強く、丸みもあってかわいらしくまた違う印象を受けました。
「ストリートファイター2」
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格闘ゲームで一大ブームとなったのは「ストリートファイターⅡ」。「Ⅱ」という訳なので2作目です。
1作目の「ストリートファイター」は1987年にアーケードゲームとして登場。1988年に『ファイティング・ストリート』として家庭用ゲーム機ソフトとして発売されました。1作目はそれほどのヒットにはならなかったのですが1991年に「ストリートファイターⅡ」がアーケードゲームとして大ヒット。1992年にスーパーファミコン版が発売されました。
アーケードゲームとしてすでにヒットしていたのが家庭用ゲームとなり、さらに人気に火が付きました。ゲーム好きではなくても、女子でもプレイしていた時期があるのではないでしょうか。
このゲームのヒットがきっかけで対戦型格闘ゲームがブームになります。
その後、「ストリートファイターⅡ」はシリーズ化されますし、ゲームだけでなくアニメや漫画、実写映画などメディアミックスを果たしていきます。
このように昔はゲーム好き以外も巻き込んで大ヒットしたゲームがありましたね。下手なりに楽しんでいたのが懐かしいです。
1作目の「ストリートファイター」は1987年にアーケードゲームとして登場。1988年に『ファイティング・ストリート』として家庭用ゲーム機ソフトとして発売されました。1作目はそれほどのヒットにはならなかったのですが1991年に「ストリートファイターⅡ」がアーケードゲームとして大ヒット。1992年にスーパーファミコン版が発売されました。
アーケードゲームとしてすでにヒットしていたのが家庭用ゲームとなり、さらに人気に火が付きました。ゲーム好きではなくても、女子でもプレイしていた時期があるのではないでしょうか。
このゲームのヒットがきっかけで対戦型格闘ゲームがブームになります。
その後、「ストリートファイターⅡ」はシリーズ化されますし、ゲームだけでなくアニメや漫画、実写映画などメディアミックスを果たしていきます。
このように昔はゲーム好き以外も巻き込んで大ヒットしたゲームがありましたね。下手なりに楽しんでいたのが懐かしいです。
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