かつてバラエティ番組に出まくっていた清水圭
バラエティ番組の世界において、たけしやさんまが自らの圧倒的カリスマと実力で力強く光輝く恒星であるとするならば、彼らのような大物タレントの看板番組に、その他大勢の賑やかしとして出演するタレントたちは、さながら、恒星の周囲を取り巻く惑星。彼らは何となく、いつもテレビに出ています。
決して、爆発的に面白いことをいうわけではありません。ミクロの視点でいえば、司会者の話にリアクションしたり、状況に応じて気の利いたコメントを発したり、ワイプで顔芸を披露したりすることが主な仕事。マクロの視点でみれば、いつもテレビに出ていることにより、テレビ視聴者へ、ある種の安心感を感じさせる狙いがあるといえるでしょう。
一時期の清水圭はまさにそんな存在。『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)、『平成教育委員会』(フジテレビ系)、『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)など、さまざまなバラエティ番組に出ていた彼は、まさに、『水曜日のダウンタウン』でファン0人説が唱えられていた勝俣州和のような、誰と組ませても当たり障りがない売れっ子タレントの代表格だったものです。
決して、爆発的に面白いことをいうわけではありません。ミクロの視点でいえば、司会者の話にリアクションしたり、状況に応じて気の利いたコメントを発したり、ワイプで顔芸を披露したりすることが主な仕事。マクロの視点でみれば、いつもテレビに出ていることにより、テレビ視聴者へ、ある種の安心感を感じさせる狙いがあるといえるでしょう。
一時期の清水圭はまさにそんな存在。『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)、『平成教育委員会』(フジテレビ系)、『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)など、さまざまなバラエティ番組に出ていた彼は、まさに、『水曜日のダウンタウン』でファン0人説が唱えられていた勝俣州和のような、誰と組ませても当たり障りがない売れっ子タレントの代表格だったものです。
オーソドックスなしゃべくり漫才だった
そもそも、彼はいったい何を生業にして、かつてゴールデン番組の常連タレントにまで成り上がったのかと言えば、お笑い芸人です。
1984年、同志社大学卒のエリートサラリーマンだった清水は、社会人2年目の時に人生ドブに捨てる覚悟で、大学時代の後輩・和泉修と共にお笑いの道へ行くことを決意。「清水圭・和泉修(通称:圭修)」という名前をそのままつなげただけの漫才コンビを結成し、1986年に吉本興業よりデビューするのでした。
1984年、同志社大学卒のエリートサラリーマンだった清水は、社会人2年目の時に人生ドブに捨てる覚悟で、大学時代の後輩・和泉修と共にお笑いの道へ行くことを決意。「清水圭・和泉修(通称:圭修)」という名前をそのままつなげただけの漫才コンビを結成し、1986年に吉本興業よりデビューするのでした。
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2人の漫才スタイルは、オーソドックなしゃべくり型。ボケの清水がひたすらまくしたてるようにしゃべり、和泉が静かにツッコむのが基本形。そこに適宜、清水のボケの勢いに乗っかって、和泉がノリボケをかますというのも、持ち味の一つでした。
彼らの漫才を今見返してみると、さすがに30年近く前の笑いなので、さすがに面白くはありません。しかし、客席からの黄色い声援はかなりのもの。1年早くデビューした先輩・今田耕司と東野幸治の「Wコージ」への歓声と比べると、彼らよりもはるかに人気があったことをうかがい知ることができます。
彼らの漫才を今見返してみると、さすがに30年近く前の笑いなので、さすがに面白くはありません。しかし、客席からの黄色い声援はかなりのもの。1年早くデビューした先輩・今田耕司と東野幸治の「Wコージ」への歓声と比べると、彼らよりもはるかに人気があったことをうかがい知ることができます。
'88 初笑い浪花の陣 漫才 圭・修
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'88 初笑い浪花の陣 ボブキャッツ メンバメイコボルスミ11 今田耕司・東野幸治
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デビュー2年目には『夕やけニャンニャン』の枠で帯番組の司会もつとめた
圭修は2人とも長身で、ルックスもそこそこ良好。また、漫才の腕もそれなりにあったので、吉本的には「第2のダウンタウン」に育てたかったのかも知れません。デビューして間もないにも関わらず、猛プッシュで売り出されていき、1987年4月には、放送開始されたダウンタウン司会の伝説的帯番組『4時ですよ〜だ』(毎日放送)のレギュラーに抜擢。
さらに、同年11月には『素敵!KEI-SHU5』(関西テレビ)という冠番組まで開始されていたのが、その良い証拠です。
この『素敵!KEI-SHU5』は、フジテレビの帯番組『夕やけニャンニャン』終了に伴い開始された月曜日~金曜日17時からの1時間番組。『夕ニャン』の大ヒットを機に一躍、全国区の人気タレントにのし上がっていったとんねるずのように、圭修の2人もこの枠から大きく飛躍してもらいたいとの期待が込められていたのでしょう。
さらに、同年11月には『素敵!KEI-SHU5』(関西テレビ)という冠番組まで開始されていたのが、その良い証拠です。
この『素敵!KEI-SHU5』は、フジテレビの帯番組『夕やけニャンニャン』終了に伴い開始された月曜日~金曜日17時からの1時間番組。『夕ニャン』の大ヒットを機に一躍、全国区の人気タレントにのし上がっていったとんねるずのように、圭修の2人もこの枠から大きく飛躍してもらいたいとの期待が込められていたのでしょう。
素敵!KEI-SHU5 ゲストトーク ダウンタウン
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現在は、清水⇒カフェオーナー、和泉⇒足つぼサロンのオーナーとして活躍中
1987年には『圭修のオールナイトニッポン』が始まるなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった圭修。しかし、彼らの全盛期はこの年まで。結局、鳴り物入りで始まった『素敵!KEI-SHU5』は、初期の頃こそ5%前後の視聴率を維持していたものの、徐々に人気が下降していき、1年4ヶ月でひっそりと終了。最大視聴率16%を獲得し、ダウンタウンの東京進出と共に惜しまれつつ2年半の歴史に幕を閉じた『4時ですよーだ』とは雲泥の差です。
この番組が終わってから少しずつコンビとしての活動が減っていき、1993年に清水が東京に再進出したのが決定打となり、コンビは開店休業状態に。以降、清水は先述のような、全国区のバラエティタレントとして、一方の和泉は、かつてアマチュアボクシングの一流選手だった経歴から、タレントと並行しながらプロボクサーになるなど多彩な活動を展開していきました。
この番組が終わってから少しずつコンビとしての活動が減っていき、1993年に清水が東京に再進出したのが決定打となり、コンビは開店休業状態に。以降、清水は先述のような、全国区のバラエティタレントとして、一方の和泉は、かつてアマチュアボクシングの一流選手だった経歴から、タレントと並行しながらプロボクサーになるなど多彩な活動を展開していきました。
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現在、清水は芸能界とは一定の距離を置き、カフェオーナー業に精を出し、和泉は関西のローカルタレントとしてテレビに出ながら、2011年に開業した足識食癒施術法サロンのオーナーを務めているのだとか。もう、それぞれ56歳と55歳。芸能仕事に固執せず、悠々自適にそれぞれの人生を楽しんでいるようです。
(こじへい)
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