1993年 逸見政孝さん≪癌との闘い≫
本稿では逸見さんの癌との闘いをまとめています。当時、異例だった癌告白の記者会見を一部文字起こししています。生前、逸見さんが闘病へと向かう直前の決意表明を、今一度ご覧ください。
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逸見政孝さんの癌告白会見【マスコミに発表した「許される嘘」】
≪1993年9月6日≫逸見政孝さんが胃癌であることを告白した記者会見
会見冒頭に逸見さんが発した「私が今、侵されている病気の名前、病名は、癌です」との告白は、彼が非常に深刻な状態であることを瞬時に伝え、ただならぬ覚悟を持って会見に臨んでいることを感じさせました。
息子である逸見太郎さんによると、会見前日の逸見さんは自室で告白内容や構成を黙々と考えていたそう。自身の癌罹患を告白するというとてつもない勇気のいる会見となりました。
1993年9月6日午後3時から行われた逸見政孝のがん公表記者会見は業界だけでなく世間に大きな衝撃を与えた。レギュラー番組5本を抱え人気絶頂の中での休養は秋改編を間近に控えたテレビ業界においてはあまりにも大きすぎる痛手だった。#1993年 #逸見政孝 pic.twitter.com/YzhELCQo1d
— Hopegenki (@Hopegenki1) August 7, 2018
逸見政孝さん亡くなったの48歳だったのね。
— とおます (@lgted) July 22, 2020
俺ももうすぐ同い年になるよ。
今の自分は死と隣り合わせの年齢なんだなぁと、本当に思う……#逸見政孝 #死 pic.twitter.com/BToOxWFfuf
マスコミに発表した「許される嘘」
続けて嘘をついた理由について「当時、本当のことを言うことによって、迷惑が掛かる人が大変多かった」と発言。おそらく人気タレントであるがゆえに様々な番組でキャスティングされていたことが、真実を語ることを妨げていたのだと思われます。
逸見 政孝 (著)「ガン再発す」
(-内容(「MARC」データベースより)-)
「私は1年後に亡くなるのは、本意ではありません。今から13年前にたった一人の弟を胃癌で亡くしております。お陰様で両親は健在なんですが、もう一人残った息子までも同じ癌でもっていかれるという事はおそらく忍びないと思います。」
「三ヶ月、ここで休養して闘ってみようという風に思いました。先生に、もし先生にお任せすれば治りますか?と聞いたんですけども。大丈夫、任せておけと胸を張って100%治ると言える状態ではないと言われました。要は逸見さんの気力、そして、先生たちのチームに任せていただけるのならば、チームとして全力を挙げて癌細胞をできるだけゼロに近い状態にするように努力すると、それは約束すると仰ってくれました。」
逸見政孝さんのガン告白会見、その最後の部分です。93年9月7日放送「おはよう!ナイスデイ」より。最後に拍手が沸き起こる記者会見を私は他に知りません。この後の前田忠明さんの「ガン告白とは誰も予想していなかった。ガンとの言葉を聞いて泣き出した女性レポーターもいた」との言葉も印象的でした。 pic.twitter.com/VtKRJW7RWb
— デいモん店長 (@showbymagical) August 9, 2018
記者からの声援と拍手
その後の発言にも彼の矜持と強い精神力を感じることができます。
記者の「三ヶ月間、ご自身は何を思って病院生活を送ろうと思ってますか?」との質問に笑顔でこう答えています。「自分には難しいことですけど、仕事を忘れるということですね。一番それが難しいことじゃないかと思いますけどね。なるべくそうして、闘いに行ってきます。」
会見終了時に「頑張ってください!」と多数の掛け声と共に拍手で見送られる逸見さん。それが公の場での最後の姿となりました。