岡田有希子さんの自殺の真相を事務所元専務が明かす!!
1986年に18歳で自殺したアイドル・岡田有希子さんについて、自殺の直前までそばにいたという所属事務所「サンミュージック」の福田時雄元専務がTBS系で放送された「爆報!THEフライデー」に出演し、岡田さんの自殺についての真相を語った。
岡田さんは1984年に芸能界デビュー。1986年1月に憧れの存在でもあった松田聖子が作詞した「くちびるNetwork」をリリースし、初のオリコン1位を獲得するも、その3カ月後に自らその命を絶っている。
岡田さんは1日で2回、自殺を図ったという。1回目は、4月8日午前10時、身投げする2時間前だった。自宅の部屋にガスを充満させ手首を切った。マンションの住人がガスの警報器が鳴っていることから通報し、緊急搬送されて一命を取り留めた。しかし、その後、所属事務所の7階建てビルの屋上から投身自殺し、この世を去った。
岡田さんの死は「ユッコ・シンドローム」という社会現象を巻き起こし、「岡田有希子のようになりたい」と自ら命を絶つ者や、同じ現場で飛び降り自殺をするなど、1カ月で後追い自殺したファンは30人以上となった。
岡田さんは1日で2回、自殺を図ったという。1回目は、4月8日午前10時、身投げする2時間前だった。自宅の部屋にガスを充満させ手首を切った。マンションの住人がガスの警報器が鳴っていることから通報し、緊急搬送されて一命を取り留めた。しかし、その後、所属事務所の7階建てビルの屋上から投身自殺し、この世を去った。
岡田さんの死は「ユッコ・シンドローム」という社会現象を巻き起こし、「岡田有希子のようになりたい」と自ら命を絶つ者や、同じ現場で飛び降り自殺をするなど、1カ月で後追い自殺したファンは30人以上となった。
岡田有希子の「くちびるNetwork」
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芸能活動が岡田さんの4年先輩であるタレントの田原俊彦も番組に出演し「当時の芸能界は隔離された社会で、(岡田さんは)悩みを打ち明けたり、同業者にも言えなかったと思う」と当時の環境について語った。
1回目の自殺未遂は男性への一途な思い、2回目は自責の念
福田元専務は「1回目は誰かを思って。2回目は大変なことをしてしまったから、もう生きていけないと思い詰めたのでは。迷惑をかけたという自責の念というか」との見方を示した。
岡田さんの自殺は、遺作ドラマで共演した俳優の峰岸徹さん(享年65)との交際が原因ではないかと報じられていた。当時、峰岸さんは会見で、岡田さんとの関係を否定しており、福田元専務は「彼女の一方的な思い、そういう子だった。一途に思い続けていた」と2人が交際していなかったことも番組で明かしている。
岡田さんの自殺は、遺作ドラマで共演した俳優の峰岸徹さん(享年65)との交際が原因ではないかと報じられていた。当時、峰岸さんは会見で、岡田さんとの関係を否定しており、福田元専務は「彼女の一方的な思い、そういう子だった。一途に思い続けていた」と2人が交際していなかったことも番組で明かしている。
岡田有希子
アイドルに憧れ1982年、「スター誕生!」に出演。1984年、16歳で芸能界デビュー。同期デビューには菊池桃子、荻野目洋子、吉川晃司などそうそうたる顔ぶれが並んでいたが、数々の新人賞レースを総ナメし、デビューからわずか8カ月で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞している。
岡田有希子のデビュー曲『ファースト・デイト』
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岡田有希子 リトル・プリンセス
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アイドル歌手、女優。愛称は「ユッコ」。
身長155cm、体重44kg、B86cm(公称84cm)・W58cm・H84cm、血液型O型、視力左右0.1以下。
1980年代中期に活動したアイドル歌手のひとりであり、「ポスト松田聖子」としても期待されていたが、人気絶頂だった1986年に飛び降り自殺した。
芸能界での目標は「松田聖子や山口百恵のような、日本を代表するトップスターになること」だった。