サンドイッチマン
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現在で「サンドイッチマン」と聞くと、サンドイッチを売る人のように思ってしまうかもしれませんね。しかしそうではなくて、広告看板を体の前と後ろに吊り下げて、街中を歩く人のことなんですよ。広告に体が挟まれていて、まるでサンドイッチのようということで付いたのが「サンドイッチマン」だったそうです。
「サンドイッチマン」は、遡ると明治大正時代から始まった歴史のある職業で、戦後まもなくの昭和ぐらいに全盛期を迎えたのでした。この 「サンドイッチマン」がグループになって、楽器をもって賑やかに街を練り歩いたのが「チンドン屋」ですね。「チンドン屋」はまだ僅かに残っているようですが、絶滅危惧種であることには間違いないようですね。
「サンドイッチマン」は、遡ると明治大正時代から始まった歴史のある職業で、戦後まもなくの昭和ぐらいに全盛期を迎えたのでした。この 「サンドイッチマン」がグループになって、楽器をもって賑やかに街を練り歩いたのが「チンドン屋」ですね。「チンドン屋」はまだ僅かに残っているようですが、絶滅危惧種であることには間違いないようですね。
電話交換手
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日本に電話というものが登場した頃のこと、今のように電話相手に繋がるのではなくて、電話交換手という中間に位置する人を介して繋がっていたのです。企業などの内線電話や国際コレクトコールなどをイメージすれば分かりやすいでしょうか。
当時では直接相手に電話することはできなかったんですよ。受話器を上げれば電話交換手に繋がって、通話をしたい相手の番号を伝えます。そして電話交換手が手動でその相手へ電話を繋げてくれるのです。電話をかけるのも、結構面倒だったのですね。電話が全自動化になったのが昭和54年のこと、やっと直接相手に電話できるようになりました。
当時では直接相手に電話することはできなかったんですよ。受話器を上げれば電話交換手に繋がって、通話をしたい相手の番号を伝えます。そして電話交換手が手動でその相手へ電話を繋げてくれるのです。電話をかけるのも、結構面倒だったのですね。電話が全自動化になったのが昭和54年のこと、やっと直接相手に電話できるようになりました。
物売り
昭和の常識【物売り屋さん】をご紹介!!家の前まで●●が売りにきた!?
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昭和も戦後になって国民の生活が落ち着いてきた頃、いろんなモノを売って歩く仕事がありました。その中でも代表的なものをピックアップしてみましょう。
【金魚売り】
金魚を入れた金魚鉢を荷車に乗せて、ゆっくりと金魚を売り歩いていました。更には、前後にたらいを担いで来る人も。「きんぎょ〜え。きんぎょ」と大きな声を響かせながら、町中を歩いていましたね。
【さお竹屋】
さお竹売りのおじさん(おばさんいたかなぁ)が、「たけや~さおだけ〜」という呼び声と一緒に歩いていましたね。今では利用頻度が著しく下がったさお竹ですが、当時はよく使われていたんですね。
【ロバのパン屋】
ロバや馬でパンを運んでくる移動パン屋さんです。まだまだ自動車は高級品だった昭和初期のこと、ロバのパン屋さんが登場したのは北海道でした。製パン会社ロバパン(旧石上商店)が始めたのです。その後に株式会社ビタミンパン連鎖店本部によって、「パン売りのロバさん」という歌を奏でながら街中を巡ったことから大繁盛して、全国チェーン店にまで発展したのです。ちなみに、当時売られていたパンは、蒸しパンだったそうですよ。
【紙芝居屋】
紙芝居は、当時の子供たちには欠かせない楽しみでした。まさに子供たちの社交場として大人気だったんですよ。自転車に乗って公園・小学校・神社などにやってきて、紙芝居を披露します。そしてその後はお菓子タイム。ソースせんべい・水あめ・あんず飴などを販売するのです。 紙芝居は、まだ覚えている人も少なくないかもですね。
【風鈴売り】
風鈴売りは、まさに夏の風物詩といえるお仕事ですね。その名の通り、風鈴を売り歩く職業です。風鈴売りに関しては、縁日やイベントが開催される時に見かけることもあるようです。
【金魚売り】
金魚を入れた金魚鉢を荷車に乗せて、ゆっくりと金魚を売り歩いていました。更には、前後にたらいを担いで来る人も。「きんぎょ〜え。きんぎょ」と大きな声を響かせながら、町中を歩いていましたね。
【さお竹屋】
さお竹売りのおじさん(おばさんいたかなぁ)が、「たけや~さおだけ〜」という呼び声と一緒に歩いていましたね。今では利用頻度が著しく下がったさお竹ですが、当時はよく使われていたんですね。
【ロバのパン屋】
ロバや馬でパンを運んでくる移動パン屋さんです。まだまだ自動車は高級品だった昭和初期のこと、ロバのパン屋さんが登場したのは北海道でした。製パン会社ロバパン(旧石上商店)が始めたのです。その後に株式会社ビタミンパン連鎖店本部によって、「パン売りのロバさん」という歌を奏でながら街中を巡ったことから大繁盛して、全国チェーン店にまで発展したのです。ちなみに、当時売られていたパンは、蒸しパンだったそうですよ。
【紙芝居屋】
紙芝居は、当時の子供たちには欠かせない楽しみでした。まさに子供たちの社交場として大人気だったんですよ。自転車に乗って公園・小学校・神社などにやってきて、紙芝居を披露します。そしてその後はお菓子タイム。ソースせんべい・水あめ・あんず飴などを販売するのです。 紙芝居は、まだ覚えている人も少なくないかもですね。
【風鈴売り】
風鈴売りは、まさに夏の風物詩といえるお仕事ですね。その名の通り、風鈴を売り歩く職業です。風鈴売りに関しては、縁日やイベントが開催される時に見かけることもあるようです。
こうもり傘修理
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まだまだ物が少なかった昭和の中期、今のようなビニール傘や安い傘も世間にはありませんでした。こうもり傘も昭和中期くらいまでは高級品だったのです。そのために、傘はとても大切に使われていたアイテムで、壊れたら専用の職人さんが修理をしてくれるんですよ。
当時の傘は、ほとんどが骨や布も上質で丈夫なものでした。しっかりとした造りだったこともあり、修理をしながら使い続けるのが普通だったようです。今のような使い捨て時代では考えられないかもしれませんね。上質なものを長く使い回す、これこそエコロジーなのではないでしょうか。
当時の傘は、ほとんどが骨や布も上質で丈夫なものでした。しっかりとした造りだったこともあり、修理をしながら使い続けるのが普通だったようです。今のような使い捨て時代では考えられないかもしれませんね。上質なものを長く使い回す、これこそエコロジーなのではないでしょうか。
エレベーターガール
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昭和も国民の生活レベルが上がってきた頃、百貨店・書店・展望施設などにいたのがエレベーターガールです。1929年に東京上野の松坂屋が採用したのが始まりになった職業だとか。今思うと当時の職業として、まさに伝説と言っても良い職業ですね。
エレベーターがまだ自動ではなかった昭和時代には、昇降機ガールと呼ばれていて、エレベーターを手動で操作する人員として配置されていました。デパートガールや電話交換手と並んで、女性の憧れの職業だったそうですよ。
エレベーターがまだ自動ではなかった昭和時代には、昇降機ガールと呼ばれていて、エレベーターを手動で操作する人員として配置されていました。デパートガールや電話交換手と並んで、女性の憧れの職業だったそうですよ。
15 件
show-wa 2022/9/3 18:24
「メディアの発達
ジェンダーの問題
AIの台頭など」で時代の流れですね・・・
ライモン 2022/9/2 00:20
他にも鉄道関係ばかりだけど踏み切りを見守る警備員みたいな人とか、切符を切る改札の方、新幹線の車内販売員もすっかり消えたよなー。サンドイッチマンは今ではお笑い芸人のほうが有名ですけどあの広告をぶら下げた人の事を指す言葉だとは知らなかった。