このような謎だらけの人を誰が演技したのか??
戦後、1960年に明智光秀を主人公にした映画が初めて上映された!!。
初代 松本白鸚(1955年撮影、当時は8代目松本幸四郎)
生年月日 1910年7月7日
没年月日 1982年1月11日(71歳没)
本名 藤間順次郎
襲名歴
1. 二代目松本純蔵
2. 五代目市川染五郎
3. 八代目松本幸四郎
4. 初代松本白鸚
出身地 日本の旗 日本 東京府東京市
父 七代目松本幸四郎
兄弟 十一代目市川團十郎(兄)
二代目尾上松緑(弟)
妻 藤間正子(初代吉右衛門の娘)
子 二代目松本白鸚
二代目中村吉右衛門
生まれながらの歌舞伎役者であり、男らしい風格のある芸風で、父・七代目幸四郎の豪快さと岳父・初代吉右衛門の丸本物の素養とが見事に融合したものがあった。
忍者の野望に利用されてしまう光秀!!
続・忍びの者(1963年) 【DVD】
山村 聰(やまむら そう)
別名義 山村 聡
生年月日 1910年2月24日
没年月日 2000年5月26日(90歳没)
出生地 奈良県天理市
死没地 東京都中野区
身長 171cm
職業 俳優 映画監督
ジャンル 映画 演劇 テレビドラマ
活動期間 1936年 - 2000年
NHK大河で初めて明智光秀を演じた俳優は??
その後上京し、1952年(昭和27年)に俳優座養成所に第4期生として入団した。同期には宇津井健・佐藤允・仲代達矢・中谷一郎らがいる。
当時、新大型時代劇と呼称された大河ドラマは2作で終わるはずだったが、「せっかくだから新人だけで、もう1作だけ作ろう」ということになり、この作品はスター総出演の前2作とはガラリと変わって、新人を抜擢してのキャスティングとなった。佐藤慶もその一人であった。
当時から怜悧な視線、知性を秘めた語り口、彼が画面に登場すると、それだけで空気が引き締まる、そんな役者だった。
しかし、だからこそ時折瓢軽な役柄を演じると(というかそんな役も意外に少なくない)奇妙な面白みが生まれて、これまた良かった。
さらに忘れられないのが、その渋い声。NTVで長く放送されたドキュメント番組「知られざる世界」のナレーター、ドキュメンタリー映画では小林正樹監督『東京裁判』(1983年)の、緊張感を途切れさせないナレーションが印象に残る。
ちなみに、『敵は本能寺にあり(てきはほんのうじにあり)』とは、先ほど説明したと思うが、江戸時代中期以後に書かれた軍記物『明智軍記』の中にある記述で、武将・明智光秀が本能寺の変の際に発したとされる台詞であり、この映画の題名にもなった。
主演には8代目松本幸四郎(明智光秀)・、共演には嵐寛寿郎(徳川家康)、淡島千景(明智皐月)、田村高廣(織田信長)、河津清三郎(羽柴秀吉)、岸惠子(明智珠)など。要するに昔の時代劇の”鉄板”たちが出演する映画であり、また「勧善懲悪」の論理がまかり通っているから8代目松本幸四郎演じる明智光秀はあくまでも”善”として、河津清三郎が演じる羽柴秀吉などはどこまでも”悪”として描かれている。
映画の作りは60年代のやくざ映画のようであるから、娯楽映画として見れば良いと思う。