このような謎だらけの人を誰が演技したのか??
戦後、1960年に明智光秀を主人公にした映画が初めて上映された!!。
via buyee.jp
初代 松本白鸚(1955年撮影、当時は8代目松本幸四郎)
屋号 高麗屋
生年月日 1910年7月7日
没年月日 1982年1月11日(71歳没)
本名 藤間順次郎
襲名歴
1. 二代目松本純蔵
2. 五代目市川染五郎
3. 八代目松本幸四郎
4. 初代松本白鸚
出身地 日本の旗 日本 東京府東京市
父 七代目松本幸四郎
兄弟 十一代目市川團十郎(兄)
二代目尾上松緑(弟)
妻 藤間正子(初代吉右衛門の娘)
子 二代目松本白鸚
二代目中村吉右衛門
生まれながらの歌舞伎役者であり、男らしい風格のある芸風で、父・七代目幸四郎の豪快さと岳父・初代吉右衛門の丸本物の素養とが見事に融合したものがあった。
生年月日 1910年7月7日
没年月日 1982年1月11日(71歳没)
本名 藤間順次郎
襲名歴
1. 二代目松本純蔵
2. 五代目市川染五郎
3. 八代目松本幸四郎
4. 初代松本白鸚
出身地 日本の旗 日本 東京府東京市
父 七代目松本幸四郎
兄弟 十一代目市川團十郎(兄)
二代目尾上松緑(弟)
妻 藤間正子(初代吉右衛門の娘)
子 二代目松本白鸚
二代目中村吉右衛門
生まれながらの歌舞伎役者であり、男らしい風格のある芸風で、父・七代目幸四郎の豪快さと岳父・初代吉右衛門の丸本物の素養とが見事に融合したものがあった。
via ja.wikipedia.org
忍者の野望に利用されてしまう光秀!!
続・忍びの者(1963年) 【DVD】
大映が山本薩夫監督、市川雷蔵主演で製作する村山知義原作の『続・忍びの者』は、その後の“忍者もの”ブームの先端を開いたと言われる『忍びの者』の続編だ。霧隠才蔵=石川五右衛門(市川雷蔵)夫婦は、執拗な忍者狩りによって幼児を殺され、信長を生涯の仇と狙う。たまたま家康の部下で、同じ忍者の服部半蔵から、明智光秀(山村聡)が信長に反感を抱いていることを知らされ、彼のもとに仕官。光秀の敵対感情を煽り立て、ついに本能寺の変を起させ、信長を虐殺、見事愛児の仇討ちに成功する。
さらに天下を掌中に収めんとする秀吉は、五右衛門の妻マキ(藤村志保)の生まれ故郷であり、農民の武力抵抗最後の拠点である雑賀(和歌山市)の部落を襲うが、この戦いで愛妻を失った五右衛門は、家康の連絡をえて、こんどは秀吉の命を狙うが、ついに失敗。捕えられて三条河原で処刑されるという、これが有名な五右衛門の釜煎りの刑である。そして最後に、意味深にほくそ笑む徳川家康!!!
山村 聰(やまむら そう)
本名 古賀 寛定(こが ひろさだ)
別名義 山村 聡
生年月日 1910年2月24日
没年月日 2000年5月26日(90歳没)
出生地 奈良県天理市
死没地 東京都中野区
身長 171cm
職業 俳優 映画監督
ジャンル 映画 演劇 テレビドラマ
活動期間 1936年 - 2000年
別名義 山村 聡
生年月日 1910年2月24日
没年月日 2000年5月26日(90歳没)
出生地 奈良県天理市
死没地 東京都中野区
身長 171cm
職業 俳優 映画監督
ジャンル 映画 演劇 テレビドラマ
活動期間 1936年 - 2000年
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威厳のある大物や歴史上の人物(徳川家康・保科正之・平賀源内など)もカバーしており、日本演劇界で最も多く総理大臣を演じた俳優でもある。私は1970年に真珠湾攻撃を描いた日米合作の戦争映画『トラ・トラ・トラ!』で連合艦隊司令長官山本五十六を演じた山村聰が一番記憶に残っている。
NHK大河で初めて明智光秀を演じた俳優は??
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佐藤 慶は、福島県立会津工業学校染織科卒業後、会津若松市役所戸籍係に勤務するかたわら、地元で結成した新劇愛好会で演劇に打ち込むが、会の発表会の日に無断欠勤をして役所を免職されたという「根っからの新劇人」。
その後上京し、1952年(昭和27年)に俳優座養成所に第4期生として入団した。同期には宇津井健・佐藤允・仲代達矢・中谷一郎らがいる。
当時、新大型時代劇と呼称された大河ドラマは2作で終わるはずだったが、「せっかくだから新人だけで、もう1作だけ作ろう」ということになり、この作品はスター総出演の前2作とはガラリと変わって、新人を抜擢してのキャスティングとなった。佐藤慶もその一人であった。
当時から怜悧な視線、知性を秘めた語り口、彼が画面に登場すると、それだけで空気が引き締まる、そんな役者だった。
しかし、だからこそ時折瓢軽な役柄を演じると(というかそんな役も意外に少なくない)奇妙な面白みが生まれて、これまた良かった。
さらに忘れられないのが、その渋い声。NTVで長く放送されたドキュメント番組「知られざる世界」のナレーター、ドキュメンタリー映画では小林正樹監督『東京裁判』(1983年)の、緊張感を途切れさせないナレーションが印象に残る。
その後上京し、1952年(昭和27年)に俳優座養成所に第4期生として入団した。同期には宇津井健・佐藤允・仲代達矢・中谷一郎らがいる。
当時、新大型時代劇と呼称された大河ドラマは2作で終わるはずだったが、「せっかくだから新人だけで、もう1作だけ作ろう」ということになり、この作品はスター総出演の前2作とはガラリと変わって、新人を抜擢してのキャスティングとなった。佐藤慶もその一人であった。
当時から怜悧な視線、知性を秘めた語り口、彼が画面に登場すると、それだけで空気が引き締まる、そんな役者だった。
しかし、だからこそ時折瓢軽な役柄を演じると(というかそんな役も意外に少なくない)奇妙な面白みが生まれて、これまた良かった。
さらに忘れられないのが、その渋い声。NTVで長く放送されたドキュメント番組「知られざる世界」のナレーター、ドキュメンタリー映画では小林正樹監督『東京裁判』(1983年)の、緊張感を途切れさせないナレーションが印象に残る。
ちなみに、『敵は本能寺にあり(てきはほんのうじにあり)』とは、先ほど説明したと思うが、江戸時代中期以後に書かれた軍記物『明智軍記』の中にある記述で、武将・明智光秀が本能寺の変の際に発したとされる台詞であり、この映画の題名にもなった。
主演には8代目松本幸四郎(明智光秀)・、共演には嵐寛寿郎(徳川家康)、淡島千景(明智皐月)、田村高廣(織田信長)、河津清三郎(羽柴秀吉)、岸惠子(明智珠)など。要するに昔の時代劇の”鉄板”たちが出演する映画であり、また「勧善懲悪」の論理がまかり通っているから8代目松本幸四郎演じる明智光秀はあくまでも”善”として、河津清三郎が演じる羽柴秀吉などはどこまでも”悪”として描かれている。
映画の作りは60年代のやくざ映画のようであるから、娯楽映画として見れば良いと思う。