【訃報】脚本家・山田太一さん死去。
「ふぞろいの林檎たち」など数多くのドラマで知られる脚本家・山田太一さん(やまだ たいち)が先月29日、老衰のため神奈川県川崎市内の施設で亡くなっていたことが明らかとなりました。89歳でした。
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【訃報】脚本家の山田太一さんが老衰のため死去 89歳https://t.co/y2kH2C4tDK
— ライブドアニュース (@livedoornews) November 30, 2023
山田さんは、『真夜中のあいさつ』で文化庁芸術祭大賞、『ふぞろいの林檎たち2』などで菊池寛賞、『異人たちとの夏』で山本周五郎賞、映画『少年時代』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した。 pic.twitter.com/7PTyqDmEYn
山田太一さん プロフィール
山田さんは1934年6月6日、東京市浅草区(現:東京都台東区)出身。早稲田大学卒業後に松竹大船撮影所に入社し、助監督として映画制作に携わった後、1965年に退社。フリーの脚本家としての活動を開始しました。
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テレビドラマの脚本家として活躍。
70年代に入り、1973年には「それぞれの秋」で芸術選奨新人賞を受賞。さらに同年、萩原健一主演の「河を渡ったあの夏の日々」を発表し、一躍人気作家の仲間入りを果たした山田さん。1976年には、NHKが脚本家の名前を冠した“脚本家シリーズ”の第1弾としてドラマ「男たちの旅路」を放送、1982年まで続く人気シリーズとなりました。また、1977年には自身の小説を自ら脚色した「岸辺のアルバム」を発表。中流家庭の崩壊をリアルに描いたその作風は“辛口ホームドラマ”と呼ばれました。
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「ふぞろいの林檎たち」などヒットを連発。
80年代に入ると、大河ドラマ「獅子の時代(1980年)」を皮切りに、「想い出づくり。(1981年)」、「早春スケッチブック(1983年)」などヒット作を連発。特に、1983年から1997年にかけて放送された青春群像劇「ふぞろいの林檎たち」は主題歌のサザンオールスターズ「いとしのエリー」のヒットとの相乗効果で大ヒットを記録、山田さんの代表作のひとつとなっています。
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90年代以降の山田さんですが、連続ドラマの仕事から遠ざかっていたものの、2009年には「ありふれた奇跡」を執筆。また直近では、小説家として1988年に発表していた「異人たちとの夏」がイギリス映画「All of us Strangers」として2024年春に公開予定となっていました。
そんな山田さんの訃報には、芸能界を中心に著名人から続々と追悼のコメントが寄せられており、俳優の役所広司は「大好きな作家さんだったので、えらいビックリしました。山田さんの作品にも何本か出させてもらって、本当にテレビ界の脚本家の大きな星がまた亡くなりました」と、悲痛な胸の内を語っていました。
そんな山田さんの訃報には、芸能界を中心に著名人から続々と追悼のコメントが寄せられており、俳優の役所広司は「大好きな作家さんだったので、えらいビックリしました。山田さんの作品にも何本か出させてもらって、本当にテレビ界の脚本家の大きな星がまた亡くなりました」と、悲痛な胸の内を語っていました。
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