「シーナ&ザ・ロケッツ」の鮎川誠
鮎川誠は、ロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」のリーダーです。
via sheena.cc
博多の「めんたいロック」と「福岡フォーク」
70年代から80年代のロックとフォークの発祥地が九州福岡だったと言われています。
めんたいロックのめんたいとは博多土産の定番、辛子明太子のことです。
福岡の博多で発祥したロックは、別名「めんたいビート」とも呼ばれ、音楽的特徴はビートの効いたシャープなロックンロールです。
めんたいロックのめんたいとは博多土産の定番、辛子明太子のことです。
福岡の博多で発祥したロックは、別名「めんたいビート」とも呼ばれ、音楽的特徴はビートの効いたシャープなロックンロールです。
1975年 サンハウス1stアルバム「有頂天」
サンハウス (SONHOUSE)は、1970年代に柴山俊之が福岡で鮎川誠らと結成されました。
「めんたいロック」がメジャーになる前の1975年にファーストアルバム『有頂天』でデビューしています。
日比谷野外音楽堂にてデビューライブを行いました。ゴダイゴ・charと全国ツアーに参加、1978年に解散しました。
「めんたいロック」がメジャーになる前の1975年にファーストアルバム『有頂天』でデビューしています。
日比谷野外音楽堂にてデビューライブを行いました。ゴダイゴ・charと全国ツアーに参加、1978年に解散しました。
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その後、鮎川誠は、ARBがデビューした1978年に「シーナ&ザロケッツ」としてデビューします。
1981年 THE MODS 1stアルバム「FIGHT OR FLIGHT」
「めんたいロック」と言われているバンド
1980年にデビュー
「ザ・ルースターズ」や「ザ・ロッカーズ」
1981年にデビュー
「THE MODS」(ザ・モッズ)
1980年にデビュー
「ザ・ルースターズ」や「ザ・ロッカーズ」
1981年にデビュー
「THE MODS」(ザ・モッズ)
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九州には「めんたいロック」以外の音楽シーンも存在します。海援隊、甲斐バンド、チューリップ、長渕剛などです。70年代に九州で発祥したフォークグループは「福岡フォーク」として知られています。
鮎川誠とシーナの出会い・同棲~結婚へ
鮎川誠の妻シーナ(SHEENA)旧姓、副田悦子は、1953年11月23日生まれ、福岡県北九州市出身。
1971年夏にバンドマンとして働いていた鮎川誠に声をかけたのが、高校3年生のシーナ でした。
ふたりは初対面で意気投合。出会ってすぐに3畳のアパートを借りて一緒に暮らすようになりました。
同棲生活を始めてから四年後にシーナが妊娠、二人は結婚します。
ふたりは初対面で意気投合。出会ってすぐに3畳のアパートを借りて一緒に暮らすようになりました。
同棲生活を始めてから四年後にシーナが妊娠、二人は結婚します。
1978年にサンハウス解散後の鮎川とシーナは福岡から上京します。
同年10月25日、シーナがシンガーとして参加します。
「鮎川誠&シーナ・ロケット」の『涙のハイウェイ』でデビュー。
1979年12月5日にリリースした2ndシングル「ユー・メイ・ドリーム」がヒットします。
同年10月25日、シーナがシンガーとして参加します。
「鮎川誠&シーナ・ロケット」の『涙のハイウェイ』でデビュー。
1979年12月5日にリリースした2ndシングル「ユー・メイ・ドリーム」がヒットします。
真空パック SHEENA & THE ROKKETS
「ユー・メイ・ドリーム」は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の細野晴臣がプロデュースを担当しました。
ロック・バンド、シーナ&ザ・ロケッツ(SHEENA & THE ROKKETS)が1979年10月25日に発売した、2ndアルバム「真空パック」は、YMOとのコラボで制作されました。
ロック・バンド、シーナ&ザ・ロケッツ(SHEENA & THE ROKKETS)が1979年10月25日に発売した、2ndアルバム「真空パック」は、YMOとのコラボで制作されました。
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1980年、鮎川誠はYMOのツアーにゲストギターとして参加。
1981年には、日々谷野音におけるライヴの模様を収録した、鮎川誠の初のソロアルバムをリリース。
その後、鮎川誠はテレビドラマや映画に出演、また、シーナとラジオ・パーソナリティも務めています。
1981年には、日々谷野音におけるライヴの模様を収録した、鮎川誠の初のソロアルバムをリリース。
その後、鮎川誠はテレビドラマや映画に出演、また、シーナとラジオ・パーソナリティも務めています。
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ギターリスト 鮎川誠が愛用するレスポール
via www.j-guitar.com
鮎川誠の愛用のギターは「レスポール(Gibson 1969 Les Paul Custom)」
もう一台の楽器は、1987年にニューヨークにて購入したギター「Gibson 1964 SG Custom」
アルバム「キングスネーク・ハイウェイ 」鮎川誠 Early Works 1975-1979の収録曲にも使われているギターです。
もう一台の楽器は、1987年にニューヨークにて購入したギター「Gibson 1964 SG Custom」
アルバム「キングスネーク・ハイウェイ 」鮎川誠 Early Works 1975-1979の収録曲にも使われているギターです。
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鮎川誠が出演したCM
鮎川誠は、ハーフであるため子供の頃は差別をお受けたこともありました。下積み時代の鮎川誠は、長身とハーフを武器にモデルの仕事もしていました。
父親は、アメリカ人で母親が日本人のハーフです。身長180cm。
中学の時に父を亡くし、久留米で名門の福岡県立明善高等学校を卒業後、1968年に一浪して九州大学農学部に入学。奨学金を得て学ぶ傍ら音楽活動をしていました。
1974年に九州大学農学部農政経済学科を卒業。同年夏にジョン・レノンとオノ・ヨーコが結成したバンド「のプラスティック・オノ・バンド」との 共演を果たします。
鮎川誠 のトレードマークの黒縁の眼鏡です。
鮎川モデルのサングラスが発売されています。