「井村屋あずきバーの日」にあずきバーを無料配布!
毎年7月1日を「井村屋あずきバーの日」として日本記念日協会に登録している井村屋。
2016年7月1日、東京・名古屋・大阪であずきバーを無料配布するイベントを開催する。
2016年7月1日、東京・名古屋・大阪であずきバーを無料配布するイベントを開催する。
【配布 概要】
「渋谷パルコ公園通り広場」(東京都渋谷区)では6,000本を配布。時間は11時~16時、配布時間は11時、12時30分、13時30分、14時30分、15時30分を予定している。同社のキャラクター「アズキキング」が登場し写真撮影できるほか、フォトスペースが設置される。小雨決行だが、荒天の場合は中止。
「東京日本橋 三重テラス会場」(東京都中央区)では200本を配布。時間は11時30分~13時30分を予定している。
「ディアモール大阪 イベントスペースディーズスクエア」(大阪府大阪市)では5,000本を配布。時間は11時~16時、配布時間は11時、12時、13時30分、14時30分、15時30分を予定している。フォトスペースも設置される。
「名古屋駅 ナナちゃんストリート会場」(愛知県名古屋市)では4,000本を配布。時間は11時~16時、配布時間は11時、12時30分、13時30分、14時30分、15時30分を予定している。フォトスペースも設置される。
4会場とも予定数量が無くなり次第終了。
「渋谷パルコ公園通り広場」(東京都渋谷区)では6,000本を配布。時間は11時~16時、配布時間は11時、12時30分、13時30分、14時30分、15時30分を予定している。同社のキャラクター「アズキキング」が登場し写真撮影できるほか、フォトスペースが設置される。小雨決行だが、荒天の場合は中止。
「東京日本橋 三重テラス会場」(東京都中央区)では200本を配布。時間は11時30分~13時30分を予定している。
「ディアモール大阪 イベントスペースディーズスクエア」(大阪府大阪市)では5,000本を配布。時間は11時~16時、配布時間は11時、12時、13時30分、14時30分、15時30分を予定している。フォトスペースも設置される。
「名古屋駅 ナナちゃんストリート会場」(愛知県名古屋市)では4,000本を配布。時間は11時~16時、配布時間は11時、12時30分、13時30分、14時30分、15時30分を予定している。フォトスペースも設置される。
4会場とも予定数量が無くなり次第終了。
2013年にも発売40周年を記念してあずきバーを無料配布した井村屋。
今回は当時の4000本の3倍以上となる計1万5200本をふるまう予定だ。
今回は当時の4000本の3倍以上となる計1万5200本をふるまう予定だ。
≪あずきバー各種 amazonでも発売中!≫
井村屋の概要
井村屋の歴史は1896年から始まっていた!
1896年に 初代井村和蔵が三重県飯南郡松阪町(現在の松阪市)で菓子の製造を始める。
1947年に二代目が中国戦線での戦友らと株式会社井村屋を設立した。
1953年、井村屋製菓株式会社に社名変更。
1962年、ゆであずきを発売。
1964年、肉まん、あんまんを発売。
1973年、30円あずきバーを発売。また、青山にアンナミラーズ1号店をオープンさせる。
1990年、米・アンナミラーズ社から日本での商標権を取得。独自の店舗展開を見せる。
1997年、東京証券取引所第2部に株式を上場。
2010年、会社分割による持株会社制へ移行し、井村屋グループ株式会社に社名変更。
1947年に二代目が中国戦線での戦友らと株式会社井村屋を設立した。
1953年、井村屋製菓株式会社に社名変更。
1962年、ゆであずきを発売。
1964年、肉まん、あんまんを発売。
1973年、30円あずきバーを発売。また、青山にアンナミラーズ1号店をオープンさせる。
1990年、米・アンナミラーズ社から日本での商標権を取得。独自の店舗展開を見せる。
1997年、東京証券取引所第2部に株式を上場。
2010年、会社分割による持株会社制へ移行し、井村屋グループ株式会社に社名変更。
アンナミラーズは井村屋の先見の明だった!
1973年6月13日青山一丁目に1号店をオープン。
アメリカのアンナミラーズが日本へ上陸するきっかけは井村屋グループの社長だった井村二郎氏が、当時外食産業に着目し、米国に視察に行った事に始まる。
マクドナルドが日本に上陸したのが1971年、デニーズが1974年。
アンナミラーズは、立地にこだわり首都圏のみに店舗を展開していた。
原宿、赤坂、自由が丘、下北沢など、当時から流行に対する感度の高い人が集まる街に絞り、出店は慎重に、石橋をたたいて渡るように事業を展開していった。
店舗数のピークは1990年代後半ごろ、お台場に28店舗目をオープンしたときだった。業績もピークのときは全店舗の年間売上が30億円に上った。
アンナミラーズに目をつけた同氏には、まさに先見の明があったと言える。
アメリカのアンナミラーズが日本へ上陸するきっかけは井村屋グループの社長だった井村二郎氏が、当時外食産業に着目し、米国に視察に行った事に始まる。
マクドナルドが日本に上陸したのが1971年、デニーズが1974年。
アンナミラーズは、立地にこだわり首都圏のみに店舗を展開していた。
原宿、赤坂、自由が丘、下北沢など、当時から流行に対する感度の高い人が集まる街に絞り、出店は慎重に、石橋をたたいて渡るように事業を展開していった。
店舗数のピークは1990年代後半ごろ、お台場に28店舗目をオープンしたときだった。業績もピークのときは全店舗の年間売上が30億円に上った。
アンナミラーズに目をつけた同氏には、まさに先見の明があったと言える。
via bookshelf.co.jp
井村屋の代表作の一つ「あずきバー」
1973年当時、アイスキャンディは1本10円が主流で、あずきバーの値段は30円と非常に高いものだったが、あずきを贅沢に使った大人向けアイスとして人気を博した。
その後、家庭用冷蔵庫の進化や冷凍売り場の充実等によって買い置きが可能になり、1979年にはBOX入りのマルチパックが登場し、現在も続くロングセラー商品となっている。
その後、家庭用冷蔵庫の進化や冷凍売り場の充実等によって買い置きが可能になり、1979年にはBOX入りのマルチパックが登場し、現在も続くロングセラー商品となっている。
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胸元を強調したデザインで、後にブームとなるコスプレやメイド服等への影響もあったと言われている。