名女優にして冒険家としても活躍した和泉雅子さん
和泉雅子さんの経歴
生い立ち
芸能界デビュー
本日7月31日は、和泉雅子さんの🎂誕生日。😀
— 王子銀線座 (@ginsenza) July 30, 2020
コロナ禍で恒例のイベントがどうなるのか分かりませんが、元気な和泉雅子さんに再びお目にかかりたいですね。🤗
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#和泉雅子 pic.twitter.com/dCZ3ykr5OV
雑誌『近代映画』で行なわれた人気投票では、1964年から1968年の5年連続でベスト10入りを達成。さらには2年連続で、人気絶頂期だった吉永小百合に次ぐ2位にも輝いています。
1967年には同じく日活所属の俳優・山内賢とのデュエット曲を発売。『二人の銀座』『東京ナイト』といったタイトルが大ヒットすると、その後も幾つかのシングルをリリースしました。
1971年、日活が成人向けコンテンツに舵を切ったため、以降は、テレビドラマに活動の場をシフト。映画では清純なイメージだった和泉雅子さんですが、テレビドラマでは強姦されるといったカットにも挑戦しています。
浮き沈みの大きい芸能界への危惧から、この頃より、不動産への投資にも積極的になり、東京都港区の白金台二丁目にてホテルを経営しながらも居住するといった生活を送るようになりました。このホテルは2005年にはトランクルームに業態を変え、2014年まで営業していたようです。
冒険家として
スノーモービルで荷物を括ったソリを引きながらの挑戦。比較的に序盤は順調でしたが、気温の上昇によって、行く手の氷面の割れ目が拡大してしまい、前進を阻まれ、断念せざるを得ないといった状況に追い込まれます。
この冒険には1億円以上の費用がかかり、結果的には多額の借金を負うことになりました。しかし、和泉雅子さんは、この失敗で挫けず、借金を完済して再挑戦することを心に決めました。
死にもの狂いになって働き、約4年間で全ての借金を完済。1989年には、二度目の北極点到達に挑戦します。今回は補給フライトの度に隊員メンバーを入れ替え、移動のペースを速めるといった取り組みも行なわれました。こうした施策は功を奏し、とうとう和泉雅子さんは北極点到達の悲願を実現させます。日本人では初、世界では2番目となる北極点到達を成し遂げた女性として歴史に名を刻みました。
その後もグリーンランドなどの北極地方で冒険を行なっており、極地での環境に耐えられるように脂肪をつけ、紫外線の影響を受けて顔はシミだらけになってしまったそうです。
バラエティー番組に出演された際、美しかった過去と現在の容姿の差が大きな話題になりました。しかし、やりたいことを全力でやりきった和泉雅子さんに、後悔といった感情はないでしょう。
和泉雅子さんの主な出演作品
内容&あらすじ
十五歳の若枝(和泉雅子)はうす汚ないバーで酔客と酒を飲み、ヤケクソのように女給のハイヒールをかっぱらってとび出した。東京で仕事に失敗して帰って来た二十一歳の三郎(浜田光夫)は、職安通いの空虚な毎日を送っていた。暗く陰うつな北陸の空、金沢の映画館の前で幼ななじみの二人は再会した。三郎はうらぶれた彼女に、なけなしの金からスカートを買ってやった。喜んだ若枝は、のんだくれの父親長吉(浜村純)と、いやな継母のいる家をとび出したわけを話した。若枝をこれ以上堕落させまいと決心した三郎は、翌日から少しずつおくれた勉強を教えてやった。若枝の心にやすらぎがよみがえり、三郎はうれし泣きする彼女の涙をそっとすすってやるのだった‥。
内容&あらすじ
昭和五年、港町一帯に羽振をきかす大島組の主、庄三郎の一人息子の竜次(高橋英樹)はヤクザ稼業を嫌い、医者の道へと進む。しかし、父親が敵対する組によって殺されたことを知ると、自ら組を継ぐことを決意するのだった・・・。満州事変直前の日本を背景に、一人の男の意地と正義感に溢れた生涯をダイナミックに描いた豪快アクションドラマ。
生年月日:1947年7月31日
出生地 :東京都中央区銀座
血液側 :A型
職業 :女優・冒険家
活動期間:1958年~