昭和を代表する俳優・司会者として活躍した高島忠夫さん死去。
昭和を代表する俳優・司会者として著名な高島忠夫さんが、6月26日に老衰のため自宅で死去しました。88歳でした。
第一報はこちらです。
1000RT:【訃報】俳優の高島忠夫さんが死去 88歳https://t.co/TaIyRu6UAP
— ライブドアニュース (@livedoornews) June 28, 2019
老衰のため26日に死去。通夜・告別式は遺族の希望により、家族のみで密葬を執り行ったという。 pic.twitter.com/7uvVHi6Ifu
晩年は病魔との闘いでした。
90年代後半よりうつ病、パーキンソン病などの病と闘い、自宅で静養を続けてきた高島さん。妻で女優の寿美花代さんによれば、最期は眠るように息を引き取ったとのことです。なお、葬儀等は既に家族のみの密葬で執り行われており、お別れ会などの催しも現時点では予定していないとのこと。
寿美花代さんと三男・高嶋政伸さん。
高島忠夫の役者としての功績を振り返る!
料理番組「ごちそうさま」やクイズ番組「クイズ・ドレミファドン!」などの司会者として、「イエーイ!」のフレーズも懐かしい高島さん。本格的に司会業に携わるようになったのは70年代に入ってからで、60年代以前は俳優として活躍していました。ここでは、俳優としての高島さんにスポットを当ててみたいと思います。
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1952年、映画「恋の応援団長」でデビュー。
高島さんの芸能界入りは1951年のこと。新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生となり、翌1952年に映画「恋の応援団長」でデビュー。映画出演3作目の「チョイト姐さん思い出柳」では早くも主演を務めました。
「坊ちゃん」シリーズが当たり役に!
新東宝にて、主役級の役者として頭角を現した高島さん。1956年からは富士映画にて「坊ちゃん」シリーズの主演を務め、当たり役に。「坊ちゃんの逆襲(1956年)」「坊ちゃんの主将(1957年)」「坊ちゃん天国(1958年)」など、多数の作品をヒットに導きました。
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東宝に移籍後、ミュージカルスターとして活躍を続ける!
新東宝を代表する俳優へと上り詰めた高島さんですが、その後東宝に移籍。東宝では、「キングコング対ゴジラ(1962年)」や“日本製の本格的ミュージカル映画”と呼ばれる「君も出世ができる」などに出演。さらに1963年には、日本初のブロードウェイミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演するなど、ミュージカルスターとしてもその存在感を発揮しました。
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