ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」の歴代アイドル・女優・グラビアアイドル(1967年から1989年)
2020年2月28日 更新

ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」の歴代アイドル・女優・グラビアアイドル(1967年から1989年)

社団法人日本雑誌協会雑誌芸能記者クラブ主催の「ゴールデン・アロー賞」には、日本雑誌写真記者会が選考する「グラフ賞」という賞があり、その年度で最も雑誌のグラビアを飾り話題を提供した被写体が受賞者に選出されます。「グラフ賞」の歴代フォトジェニック・グラビアアイドルたちは、当時のグラビアを賑わせた人気アイドル・女優・グラビアアイドルの歴史(40年)そのものです。まずは、1967年から1989年までの前半のまとめです。1990年から2007年の後半に続きます。

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1970年、20歳の時に発売したセカンドシングル『経験』の「やめてぇ」と溜息混じりの歌い方が話題になり、大ヒット。以降、同年に「私生活」、翌1971年に「めまい」等をリリースし、セクシー歌謡の歌手として活躍。『私生活』で第21回NHK紅白歌合戦に初出場。

辺見マリの曲「経験」(1970年4月10日) - YouTube

作詞安井かずみ、作曲村井邦彦。フィンガーアクションが話題を呼んで大ヒットした。
オリコンヒットチャート最高2位、レコード売り上げ30万枚を記録し、1970年の新人賞レースをほぼ独走した。

同年10月6日には当時東映専属だった谷隼人の第一回主演作品として映画化され、辺見マリが本作を熱唱するシーンもある。
本作は第12回日本レコード大賞新人賞を受賞した。
歌詞の内容とフィンガーアクションから当時のNHKでは歌唱できず、辺見はこの年『第21回NHK紅白歌合戦』に出場するも本作ではなく、次作の「私生活」で出場している。
(出典:Wikipedia「経験 (辺見マリの曲)」)
辺見マリ

辺見マリ

1971年度(第9回):池玲子

1971年度(第9回):池玲子

1971年度(第9回):池玲子

池 玲子(いけ れいこ、1953年5月25日 - )は、日本の女優。東京都出身。本名:池田 玲子。東映ポルノの主演女優の一人である。

1971年『温泉みみず芸者』で映画主演デビュー。きっかけは、東映の天尾完次と鈴木則文が週刊誌のグラビアで池を見つけたことからである。当時の池は16歳だったので、天尾と鈴木は池に「(本当の年齢がバレないよう)干支を聞かれたときは間違いないこと」と念押しをしてデビューさせた。

バスト90cmのグラマラスな肢体で、『女番長』シリーズなどに主演し、1971年のゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞。天尾は池を売り出すのに「ポルノ」という言葉を使ったらどうかと鈴木に提案し、デビュー作のポスターにはこの言葉が使われている。
(出典:Wikipedia「池玲子」)
池玲子の主演映画「女番長ブルース 牝蜂の逆襲」(197...

池玲子の主演映画「女番長ブルース 牝蜂の逆襲」(1971年、東映)

1971年の池玲子の主演映画

温泉みみず芸者(1971年、東映)
女番長ブルース 牝蜂の逆襲(1971年、東映)
現代ポルノ伝 先天性淫婦(1971年、東映)
女番長ブルース 牝蜂の挑戦(1972年、東映)

1972年度(第10回):山本リンダ

1972年度(第10回):山本リンダ

1972年度(第10回):山本リンダ

山本 リンダ(やまもと リンダ、1951年3月4日[1] - )は、日本の歌手、タレントである。本名、稲葉 あつ子(いなば あつこ)。旧姓、山本(やまもと)。

『こまっちゃうナ』『どうにもとまらない』『狙いうち』などのヒット曲で知られる。身長168cm。リンダ・ミュージック・オフィス(自らの個人事務所)所属。「リンダ」という芸名は、アメリカ人の父親に生前付けられた愛称である。

『仮面ライダー』

同年7月から同年12月まで東映制作の『仮面ライダー』(毎日放送)に出演した(劇中に「困っちゃうナ」のセリフが出てくるシーンがある)。

同作のプロデューサー阿部征司は「山本は事務所移籍前で歌の仕事を控えていたため、すぐに出演OKをもらえた」と語っている。
『仮面ライダー』の北海道ロケでは、宿泊先のホテルの歓迎看板に「山本リンダ御一行様」と書かれたこともあったという。

この時期の『仮面ライダー』はまだ一般的な知名度が低かったため、ホテル側が「リンダの名を出した方が宣伝になる」と考えた結果だったようであるが、リンダ本人は道義を欠いたこの行為に「他のみなさん方に失礼です!」と激怒し、即座に看板を「仮面ライダー御一行様」に訂正させたという。主演の佐々木剛も「事前に言ってくれれば自分も喜んで宣伝に協力したのに」と、勝手にリンダの名前が使われたことに苦言を呈している。

夏を迎えて『仮面ライダー』は大ヒットし、高視聴率を獲得。リンダの認知度は、子供達のみならずお茶の間全体で上昇した。当時、山本は孤独感が強かったらしく、『仮面ライダー』での出演者やアクションチーム(大野剣友会)が「撮影の合間に鬼ごっことかかくれんぼをして遊んでくれたのが、とても楽しかった」と述懐している。

1972年(昭和47年)、キャニオンレコード移籍第2弾目のシングルレコードとして、当時の売れっ子作詞家・作曲家であった阿久悠・都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表。

セクシーな大人の歌手にイメージチェンジして発表した同曲は大ヒットとなり、再びヒット歌手として脚光を浴びた山本は「アクション歌謡」の先駆けとなった。

当時前例のなかったへそを出して歌う大胆な衣装、情熱的で激しいダンス、扇情的な歌詞の内容などが話題になり、「こまっちゃうナ」時代を上回る人気を獲得。

「へそだしルック」の第1号となる。同年、第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡大賞放送音楽賞、有線放送大賞夜の有線大賞を受賞。また第23回NHK紅白歌合戦にも5年ぶりにカムバックした。

1973年(昭和48年)には「狙いうち」が大ヒット。この年、第10回ゴールデン・アロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞。第24回NHK紅白歌合戦にも出場する。

セクシーな激しい歌と踊りで人気を獲得し、後のピンク・レディーに先駆けて「アクション歌謡」を全国に定着させた。『狙いうち』というタイトルが「ボールをヒットさせる」ことを想起されることから、東京六大学野球の明治大学応援団は、作詞者の阿久悠が明治大学OBであったこともあり、同曲を「チャンステーマ」として導入した。それが甲子園にも伝播し、以後は高校野球の応援歌の定番となり、また中日ドラゴンズの応援(得点のチャンスを迎えた時)でも使われている。

1974年にも「闇夜にドッキリ」で第25回NHK紅白歌合戦に出場し、紅白歌合戦には3年連続で出場を果たした。その他にも「狂わせたいの」「じんじんさせて」「燃えつきそう」「きりきり舞い」といったヒット曲を連発する。
(出典:Wikipedia「山本リンダ」)
山本リンダの楽曲「どうにもとまらない」(1972年6月)

山本リンダの楽曲「どうにもとまらない」(1972年6月)

「どうにもとまらない」は、1972年6月にリリースされた日本の歌手・山本リンダのシングルである。

この曲では、これまでの路線を一新し、へそだしルック、過激な振り付けなどを披露して、アクション歌謡の先駆けとされている。

この曲はまず都倉俊一による曲の方が先に完成し、このメロディーに合わせながら作詞した阿久悠は、最初この曲に『恋のカーニバル』というタイトルを付けたが、『どうにもとまらない』に改められた。後に阿久は「タイトルが『恋のカーニバル』だったら、この曲の運命は全く違っていただろう」と述懐している(阿久自身の著書『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮社、2004年)の中でも述べている)。

オリコン集計では、累計で30万枚を突破した山本最大のヒット作である(レコード売り上げは40万枚[2]を売り上げた)。
1966年に「こまっちゃうナ」でデビューして以来、山本の人気は低迷していたが、この曲のヒットでデビュー当時を上回るヒットとなった。

この曲で1972年の第14回日本レコード大賞作曲賞、日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞し、1972年の『第23回NHK紅白歌合戦』に出場した(これは、「こまっちゃうナ」で1967年の第18回に出場して以来)。また、1991年の『第42回NHK紅白歌合戦』で同じく山本のヒット曲である「狙いうち」と共に披露した。

この曲のヒットによる影響は新聞の見出しなどでそのフレーズが流行し、当時の内閣総理大臣・田中角栄の日本列島改造論によって、1971年のドルショックから一転して地方の地価、株価が高騰したことで、地価や株価について「どうにもとまらない」と書き立てられたほどだった。
(出典:Wikipedia「どうにもとまらない」)

1972年の『第23回NHK紅白歌合戦』 山本リンダの楽曲「どうにもとまらない」(1972年6月)ほか - YouTube

山本リンダ「どうにもとまらない」、尾崎紀世彦「ゴッド・ファーザー~愛のテーマ」、いしだあゆみ「生まれかわれるものならば」、余興・ニカク等、青い三角定規「太陽がくれた季節」、南沙織「純潔」まで

1973年度(第11回):由美かおる

1973年度(第11回):由美かおる

1973年度(第11回):由美かおる

由美 かおる(ゆみ かおる、1950年11月12日 - )は、日本の女優。本名:西辻 由美子(にしつじ ゆみこ)。

京都府京都市生まれ、6歳から兵庫県川西市で育つ。血液型B型。身長157cm。体重44kg。スリーサイズはB86cm W58cm H86cm。 本人によると、スリーサイズはデビュー当時(15歳)から現在までほぼ変わっていないという。私立梅花高校中退。

1962年「西野バレエ団」に入団し、1965年『サンデー志ん朝』、1966年『11PM』に出演、抜群のプロポーションと愛らしい風貌と網タイツ姿で人気を集める。1967年、音楽番組『レ・ガールズ』(日本テレビ)で、金井克子や奈美悦子らと共演し、ミニスカート姿でマリリン・モンローのレパートリー等を歌って踊るシーンが話題を呼んだ。

歌手としては、1967年からのクラウンレコードを皮切りに、フィリップス・レコード、ミノルフォン、コロムビア・レコードと転籍する中で、『レモンとメロン』『炎の女』『しなの川』(後述する同名映画の主題歌)『別れる前に』『ちぎれ雲』などを発表する。
(出典:Wikipedia「由美かおる」)
女優としては、1973年の映画『同棲時代-今日子と次郎-』で初ヌードを披露、同年には映画『しなの川』にも出演、美しい和服姿と大胆なオールヌード、処女喪失シーンが話題となった。

1974年の『ノストラダムスの大予言』『エスパイ』、1976年の『超高層ホテル殺人事件』でもヌードを披露している。同年東映の大ヒット映画「トラック野郎シリーズ」4作目『トラック野郎・天下御免』のマドンナ役で出演、同時に『夜のひとりごと』が挿入歌として使用された。

1974年度(第12回):西城秀樹

1974年度(第12回):西城秀樹

1974年度(第12回):西城秀樹

西城 秀樹(さいじょう ひでき、1955年4月13日 - )は、日本の歌手、俳優。本名は木本 龍雄(きもと たつお)。広島県広島市出身。アースコーポレーション所属。身長181cm。血液型はAB型。既婚。

1972年3月25日、ビクター音楽産業(RCA)よりシングル「恋する季節」で歌手デビュー。キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。片仮名の「ヒデキ」が愛称となる。
(出典:Wikipedia「西城秀樹」)
1973年6月25日、「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入りとなり、一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれる。

「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得。絶唱型と言われる歌唱法を披露。『第15回日本レコード大賞』で初の歌唱賞を受賞する。

1974年、「薔薇の鎖」でマイクスタンド・アクションを披露。「激しい恋」がオリコン年間チャートの第8位を獲得。

「傷だらけのローラ」が、『第16回日本レコード大賞』で歌唱賞を受賞。これによりポップス歌手としては史上初となる2年連続受賞を樹立する。『第25回NHK紅白歌合戦』にも初出場し、その後も着実にヒットを飛ばす。

西城秀樹「傷だらけのローラ」(1974年8月25日) - YouTube

「傷だらけのローラ」(きずだらけのローラ)は、1974年8月25日にリリースされた西城秀樹の10枚目のシングルである。

さいとう大三の作詞による初めての作品で、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」に続く「愛」をテーマにした絶唱型の楽曲。

西城秀樹はこの曲で「ちぎれた愛」に続いて、第16回日本レコード大賞で2年連続して歌唱賞を受賞する。これは演歌歌手(青江三奈、森進一、五木ひろし)を除き、ポップス歌手では史上初の事であった。
この曲で『第25回NHK紅白歌合戦』にトップバッターとして待望の初出場を果たす(1984年の『第35回NHK紅白歌合戦』まで11年連続出場となる)。
(出典:Wikipedia「傷だらけのローラ」)

西城秀樹「ちぎれた愛」 1973年 - YouTube

『ちぎれた愛』(ちぎれたあい)は、1973年9月にリリースされた西城秀樹の6枚目のシングルである。

安井かずみ(作詞)と馬飼野康二(作曲)のコンビによる最初の作品で、西城は初めてオリコン週間チャート第1位を獲得した。
この楽曲で西城が初めて絶唱型と言われる歌唱法を披露し、歌詞の中にセリフが挿入された最初の作品でもある。さらに『第15回日本レコード大賞』において初の歌唱賞を受賞した。
(出典:Wikipedia「ちぎれた愛」)

1975年度(第13回):岡田奈々

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