1975年5月10日、16歳でシングル『ひとりごと』がNAVレコードより発売され歌手としてデビューした。
以来ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、『俺たちの旅』での田中健演ずる中谷隆夫の妹・中谷真弓役、1976年のシングル『青春の坂道』のヒットなど、アイドルとして活躍。
1976年度(第14回):松本ちえこ
1976年度(第14回):松本ちえこ
松本 ちえこ(まつもと ちえこ、1959年11月12日 - )は日本のタレント、女優。本名は松本 千枝子。東京都出身。中延学園高等学校卒業。血液型O型。身長160cm。B84cm、W61cm、H88cm。音楽レーベルはポニー・キャニオン。
友達と歌番組の見学に行った際にスカウトされる。テレビ局の人から「冗談でいいから番組で今度桜田淳子ちゃんの歌をうたってみてくれない?」と持ちかけられ、OKしたことがデビューの発端となる。
1974年、アイドル歌手としてシングル『ボーイフレンド』でデビューした。しかしデビュー当時は平凡や明星などの白黒ページに取り上げられることはあっても、かなりパッとしない存在で、本人も事務所もアイドルとしての成功はあきらめていたらしい。
2曲目の「まぶしい彼」から1年あまりブランクがあったのはそのため。その間の活動は不明だが、1976年、資生堂バスボンのCMでブレイク、活動を再開する。
1976年発売のシングル『恋人試験』は歌詞が話題になった。
その後はにっかつロマンポルノに出演するなど女優業に転進。
(出典:Wikipedia「松本ちえこ」)
友達と歌番組の見学に行った際にスカウトされる。テレビ局の人から「冗談でいいから番組で今度桜田淳子ちゃんの歌をうたってみてくれない?」と持ちかけられ、OKしたことがデビューの発端となる。
1974年、アイドル歌手としてシングル『ボーイフレンド』でデビューした。しかしデビュー当時は平凡や明星などの白黒ページに取り上げられることはあっても、かなりパッとしない存在で、本人も事務所もアイドルとしての成功はあきらめていたらしい。
2曲目の「まぶしい彼」から1年あまりブランクがあったのはそのため。その間の活動は不明だが、1976年、資生堂バスボンのCMでブレイク、活動を再開する。
1976年発売のシングル『恋人試験』は歌詞が話題になった。
その後はにっかつロマンポルノに出演するなど女優業に転進。
(出典:Wikipedia「松本ちえこ」)
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懐かしいCM11 資生堂バスボン石鹸・松本ちえこ、トヨタハイエース、YAMAHAヤマハホーム機器 - YouTube
「まん丸顔の、女の子は~♪」で始まる、松本ちえこの資生堂 (バスボン:石鹸、シャンプー)CMは3つ目。
via www.youtube.com
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1977年度(第15回):夏目雅子
1977年度(第15回):夏目雅子
夏目 雅子(なつめ まさこ、1957年12月17日 - 1985年9月11日)は、日本の女優である。本名、西山 雅子(にしやま まさこ)。旧姓、小達(おだて)。其田事務所などに所属していた。
東京女学館小学校、中学校、高等学校卒業[3]。学生時代のあだ名は「ダテピン」。あけっぴろげでテストで悪い点数をとったときに限って「見て、見て」と答案を見せたがるからとのこと。
1976年、東京女学館短期大学にそのまま進学してフランス語を専攻するが、入学直後に、父の友人のツテでタオルメーカー内野株式会社(現UCHINO)のコマーシャルに出演。これはデビュー前で最初のテレビ挑戦だったが、厳しい学校であったので、結局、短大は中退することになる。
同年、日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか』のオーディションで486人の応募者の中から盲目のヒロイン役に選ばれ、本名(小達雅子)で女優デビューした。この時の演技は57回連続NGを出され、「お嬢さん芸」と言われたほど拙いものであった。周囲から“お嬢さん”と見られることは後々まで彼女のコンプレックスであった。
(出典:Wikipedia「夏目雅子」)
東京女学館小学校、中学校、高等学校卒業[3]。学生時代のあだ名は「ダテピン」。あけっぴろげでテストで悪い点数をとったときに限って「見て、見て」と答案を見せたがるからとのこと。
1976年、東京女学館短期大学にそのまま進学してフランス語を専攻するが、入学直後に、父の友人のツテでタオルメーカー内野株式会社(現UCHINO)のコマーシャルに出演。これはデビュー前で最初のテレビ挑戦だったが、厳しい学校であったので、結局、短大は中退することになる。
同年、日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか』のオーディションで486人の応募者の中から盲目のヒロイン役に選ばれ、本名(小達雅子)で女優デビューした。この時の演技は57回連続NGを出され、「お嬢さん芸」と言われたほど拙いものであった。周囲から“お嬢さん”と見られることは後々まで彼女のコンプレックスであった。
(出典:Wikipedia「夏目雅子」)
1977年から8年間、山口銀行の広告に登場。同年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、この時、夏の注目の目玉商品になることで、芸名を本名の小達雅子から夏目雅子へと改名する。ブレイクのきっかけを作ったこのときのCMディレクターが後の直木賞作家で夫の伊集院静であった。
夏目雅子 CM 1977年 カネボウ サンケーキ クッキーフェイス - YouTube
カネボウ化粧品 CM 夏目雅子 クッキーフェイス (当時19歳)
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1959年(昭和34年)2月12日、岐阜県岐阜市鏡島に生まれる。生家は稲葉郡鏡島村(1955年岐阜市に編入)で、代々絹織物業(岐阜縮緬など)を営んでいた旧家であった。
1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学時に、オーディション番組『あなたをスターに!』の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日、16歳でシングル『ひとりごと』がNAVレコードより発売され歌手としてデビューした。
以来ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、『俺たちの旅』での田中健演ずる中谷隆夫の妹・中谷真弓役、1976年のシングル『青春の坂道』のヒットなど、アイドルとして活躍。
(出典:Wikipedia「岡田奈々」)