ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」の歴代アイドル・女優・グラビアアイドル(1967年から1989年)
2020年2月28日 更新

ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」の歴代アイドル・女優・グラビアアイドル(1967年から1989年)

社団法人日本雑誌協会雑誌芸能記者クラブ主催の「ゴールデン・アロー賞」には、日本雑誌写真記者会が選考する「グラフ賞」という賞があり、その年度で最も雑誌のグラビアを飾り話題を提供した被写体が受賞者に選出されます。「グラフ賞」の歴代フォトジェニック・グラビアアイドルたちは、当時のグラビアを賑わせた人気アイドル・女優・グラビアアイドルの歴史(40年)そのものです。まずは、1967年から1989年までの前半のまとめです。1990年から2007年の後半に続きます。

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河合奈保子

河合奈保子

1981年度(第19回):柏原よしえ

1981年度(第19回):柏原よしえ

1981年度(第19回):柏原よしえ

柏原 芳恵(かしわばら よしえ、1965年10月1日 - )は、日本の歌手。本名の漢字表記は同じだが苗字を「かしはら」と読む。血液型はA型。所属事務所はoffice YOSHIE。

大阪府大阪市出身。堀越高等学校卒業。1979年秋、日本テレビ系『スター誕生!』に出場、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で1980年6月1日、シングル「No.1」でフィリップス・レコードからデビュー。

1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。またレコード大賞・ゴールデン・アイドル賞を受賞して、40万枚近いセールスを記録した。

1982年10月1日、シングル「花梨」の発売と同時に“よしえ”から“芳恵”に改名。「春なのに」(1983年、TBS系『ザ・ベストテン』で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲作品を中心にトップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出した。

日本テレビ系『ザ・トップテン』では延べ19曲(『ザ・ベストテン』では14曲)がトップ10内にランキングされ、『NHK紅白歌合戦』に2度出場、『日本レコード大賞』には1981年から1987年まで連続出演していた(1985年から1987年の3年間は、最優秀歌唱賞部門にノミネートされた)。

1980年代後半は歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになる。2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演している。1989年にデビュー以来所属していたゴールデンミュージックプロモーションからソーマオフィスに移籍、1992年に独立する。

1990年代前半にはテレビ以外の仕事に重点を置き、ビデオ映画に主演の他、写真集を出版。以降、歌手の仕事を中心に、ミュージカルや舞台で活動する。ライブやディナーショーなどの歌手活動の他に、ラジオパーソナリティとしても活動、自らが創作したオブジェの個展『魅完成展』なども開催している。
(出典:Wikipedia「柏原芳恵」)

柏原よしえのシングル「ハロー・グッバイ」 (1981年) - YouTube

柏原よしえの「ハロー・グッバイ」は、1981年10月15日に7枚目のシングルとして発売された。同年12月15日には、同曲を収録した同名のアルバムも発売している。

柏原はこの曲で、初のオリコンチャートでTOP10入りを果たし、最高位は6位まで上昇した。また、シングル売り上げも38万枚を超える売上記録となり、柏原にとって最大のヒット曲となった。TBS系『ザ・ベストテン』では、1981年11月に当時堀越高校の同級生だった松本伊代と共に「今週のスポットライト」で初出演した。その後、同年12月に7位で初ランクインとなり、最高4位まで上昇、同番組の10位以内には合計8週間ランクされた。
(出典:Wikipedia「ハロー・グッドバイ」)
1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。またレコード大賞・ゴールデン・アイドル賞を受賞して、40万枚近いセールスを記録した。
柏原 芳恵さんも迫力のボディで人気でしたね。

柏原 芳恵さんも迫力のボディで人気でしたね。

柏原 芳恵さんと河合奈保子さんは巨乳アイドルの2大巨匠...

柏原 芳恵さんと河合奈保子さんは巨乳アイドルの2大巨匠でしたね。

1982年度(第20回):美保純

1982年度(第20回):美保純

1982年度(第20回):美保純

美保 純(みほ じゅん、1960年8月4日 - )は、日本の女優、コメンテーター。本名、曽根 ちよ美(そね ちよみ)。
静岡県静岡市(現葵区)出身。ノックアウト所属。

静岡市出身。兄がいる。静岡精華学園高等学校中退。静岡市内のデパート勤務の後、1980年に「ディスコ・クィーン・コンテスト」へ出場して優勝する(審査員の1人は小林克也だったことをオフィシャルブログ内で明かしている)。

その後上京して広告代理店でアルバイト中にスカウトされ、1981年に映画『制服処女のいたみ』で主演デビューする。1982年には映画『ピンクのカーテン』でブルーリボン新人賞を獲得した。

「隣のお姉さん」的な親しみやすいキャラクターで、週刊誌のグラビアなどに登場して人気を博し、デビューから約1年後には一般映画にも出演した。『男はつらいよ』でタコ社長(太宰久雄)の娘・あけみ役などに抜擢される。

現在も多くの映画、テレビドラマ(『菊次郎とさき』、『クライマーズ・ハイ』)、バラエティ(『Dのゲキジョー』パネラー)に出演し、活躍している。
(出典:Wikipedia「美保純」)
1982年に日清食品「焼そばUFO」のテレビCMに出演した。日活ロマンポルノでデビューした女優がCM出演することは当時では珍しかった。また、同年国鉄夜行バス「ドリーム号」のポスターに採用された。掲示していたポスターが粗方盗まれるほどの人気ぶりだった。

美保純主演の映画「ピンクのカーテン」(にっかつ 1982年) - YouTube

"兄ちゃんだって男だよ"美しく熟した妹の<体臭>それは≪夢姦≫への誘い。アパート­に同居することになった兄と妹の危うい関係を軽快かつ哀感のある語り口で描いたジョー­ジ秋山原作コミックの青春ポルノグラフティ。性的に大胆ながらも、兄に無邪気に甘える­妹・野理子に美保純。彼女の圧倒的な存在感は、ともすれば暗くなりがちなプロットのこ­の作品に、爽やかな風を送り込んでいる。(C)1982日活株式会社
美保純の受賞歴

1982年 - ブルーリボン賞・新人賞(『ピンクのカーテン』その他)
1982年 - ゴールデン・アロー賞・グラフ賞
1983年 - 日本アカデミー賞・新人俳優賞(『ピンクのカーテン』シリーズ)

美保純の主な出演作品(1982年前後を抜粋)

制服処女のいたみ(製作:現代映像企画/配給:にっかつ/1981年)
宇能鴻一郎の濡れて騎る(にっかつ 1982年)
看護婦日記 獣じみた午後(にっかつ 1982年)
ポルノドキュメント トルコ特急便(にっかつ 1982年)
セーラー服鑑別所(にっかつ 1982年)
ピンクのカーテン(にっかつ 1982年)
ウィークエンド・シャッフル(ジョイパックフィルム 1982年) - 床屋の店員
ピンクのカーテン2(にっかつ 1982年)
伊賀忍法帖(東映 1982年) - 漁火
OH!タカラヅカ(にっかつ 1982年)

1983年度(第21回):田原俊彦

田原俊彦主演の映画『TOSHI in TAKARAZU...

田原俊彦主演の映画『TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever』(1983年)

『TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever』(トシ・イン・タカラヅカ ラブ・フォーエバー)は、1983年に公開された、東宝(株式会社東宝映画)の製作の映画である。監督は井上梅次。田原俊彦主演作品。

1983年1月29・30日に東京・有楽町の東京宝塚劇場にておこなわれた、『ヤング・コミュニケーション'83 Toshi in 宝塚』の模様を編集した作品。
(出典:Wikipedia「Love Forever (映画)」)

田原 俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日 - )は、日本のアイドル歌手、俳優、タレント。
神奈川県横須賀市出生、山梨県甲府市出身。。フォーミュラミュージックエンタテインメント所属。
愛称はトシちゃん。妻は元モデルの向井田彩子。長女はタレントの田原可南子。

『金八先生』で共演した近藤と野村とは、共に「たのきんトリオ」の愛称で人気を博することになった。『金八先生』に出演していた当時の田原の人気は凄まじく、全国から送られてくるファンレターの数が最高で月18万通にも達したという。

1980年6月、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『ニューヨークシティナイト』をカバーした『哀愁でいと』で歌手デビュー、1980年代のトップアイドルとして活躍する。ダンスのうまさも手伝い、日本におけるダンスビートにのせて踊りながら歌うポップスの男性アイドルとしての存在を明確にした。

第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞。その後も『教師びんびん物語』など、多くのドラマに主演するなど、俳優としても活躍した。
1982年、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップ。
(出典:Wikipedia「田原俊彦」)

田原俊彦「シャワーな気分 (1983.05.18)」 - YouTube

「シャワーな気分」(シャワーなきぶん)は、1983年5月にリリースされた田原俊彦の14枚目のシングル。

TBS系『ザ・ベストテン』のとある出演時に、田原自ら衣装を脱いで上半身裸となり、シャワーの雨に打たれながら歌唱するというパフォーマンスを披露した。その歌唱中、マイクを上に勢いよく投げて一回転してキャッチすることに成功し話題になった。今でもYoutube等の動画サイトや、本人がテレビに出演する際に話題になることがある。

シャワーな気分
作詞:三浦徳子 作曲:筒美京平 編曲:大村雅朗
「さらば‥夏」(さらば・・なつ)は、1983年8月にリリースされた田原俊彦の15枚目のシングル。

1983年の「第14回日本歌謡大賞」グランプリ受賞曲(但し作曲者が外国人採用の為、「第25回日本レコード大賞」にはノミネートされなかった)。
同年大晦日の「第34回NHK紅白歌合戦」へ4年連続4回目の出場を果たし、同曲を歌唱した。

田原俊彦 さらば・・・夏 - YouTube

「さらば‥夏」(さらば・・なつ)は、1983年8月にリリースされた田原俊彦の15枚目のシングル。

1983年の「第14回日本歌謡大賞」グランプリ受賞曲(但し作曲者が外国人採用の為、「第25回日本レコード大賞」にはノミネートされなかった)。
同年大晦日の「第34回NHK紅白歌合戦」へ4年連続4回目の出場を果たし、同曲を歌唱した。

1984年度(第22回):小泉今日子

1984年度(第22回):小泉今日子

1984年度(第22回):小泉今日子

小泉 今日子(こいずみ きょうこ、1966年2月4日 - )は、日本の女性歌手・女優である。所属芸能事務所は、株式会社バーニングプロダクション。身長153cm。血液型O型。KYON 2 (キョンキョン)の愛称で知られる。

1981年1 - 3月、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に出場、石野真子の「彼が初恋」を歌って合格。その石野が当時所属していた芸能事務所(バーニングプロダクション)およびレコード会社(ビクター音楽産業)と契約する。

1982年3月21日にシングル「私の16才」でアイドル歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「微笑少女。君の笑顔が好きだ」。

同期に、堀ちえみ、三田寛子、石川秀美、松本伊代、早見優、中森明菜、シブがき隊らがおり、「花の82年組」と呼ばれるアイドルの一人に数えられた。

髪をショートカットにイメージチェンジした5作目のシングル『まっ赤な女の子』でブレイクし、1984年にリリースした9作目の『渚のはいから人魚』でオリコン週間チャート1位を獲得、33万枚を越える売上となった。明るくキュートな容姿が広く支持され、その人気は不動のものとなり、歌手活動以外にも、ドラマや映画に出演して一躍トップアイドルに躍り出た。

新曲をリリースするごとにザ・ベストテンやザ・トップテンにランクインされたが、女優としても活動していたために映画やドラマの撮影場所からの中継も多かった。年末に発表される年間ベストテンにも100位以内に複数曲がランクインされ、女性歌手では松田聖子、中森明菜に続く勢いであった。
(出典:Wikipedia「小泉今日子」)
小泉今日子さんはショートカットで明るくキュートな容姿が...

小泉今日子さんはショートカットで明るくキュートな容姿が広く支持され、その人気は不動のものとなる

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