2024年、渋沢栄一の一万円札発行予定。聖徳太子の一万円札が流通していた時代から、お金と経済の歴史を振り返る!
2020年1月2日 更新

2024年、渋沢栄一の一万円札発行予定。聖徳太子の一万円札が流通していた時代から、お金と経済の歴史を振り返る!

2024年頃発行予定の、新しい日本円紙幣が発表されました。渋沢栄一と東京駅をデザインした新一万円札は、令和という時代の象徴になるのでしょうか。

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令和の新元号が発表されてまもなく、2024年頃発行予定の、新しい日本円紙幣が発表されました。渋沢栄一と東京駅をデザインした新一万円札は、令和という時代の象徴になるのでしょうか。今回は、円紙幣や硬貨のデザインやその価値の歴史という部分に注目して、昭和と平成の時代を振り返ってみました。

「カラーテレビ」がお茶の間でも世界でも大人気だった、「聖徳太子のお札」の時代

第二次世界大戦の終戦後、疲弊した世界経済を安定させるために、アメリカ政府は西欧や日本の経済復興を支援しました。そして、固定相場のドルを基軸とした自由貿易を推奨しました。
この背景には戦前の「ブロック経済」が戦争を招いたという考えと、冷戦における東側諸国への対抗意識もありました。
こうして、1971年まで、1ドル360円の固定相場制が敷かれました。
日本製品の海外輸出に有利なレートだったため、製造業の輸出を中心として日本経済は未曾有の成長を遂げることができました。
「1ドルブラウス」と呼ばれた繊維産業の輸出の好調にはじまり、技術力を上げた日本メーカーは、カラーテレビ、自動車、半導体と、どんどん精密な機械の輸出にシフトしていきます。
1970年代はカラーテレビが主力商品でした。
アメリカでは日本製テレビのダンピング(不当な安売り)で自国内の産業が弱体化するとして何度も問題になったほどでした。
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DOSHISHA 20V型 ヴィンテージデザイン ハイビジョン液晶テレビ 外付けHDD対応 VT203-BR
あの「昭和のお茶の間」にあった、分厚いブラウン管のテレビが、アメリカを揺るがしていたのです。
そして1973年の変動相場制移行の後は何度も、アメリカ政府が、通貨レートをドル安円高にするための介入や、貿易の規制を行いました。こうした動きは日米貿易摩擦と呼ばれました。
しかし、当時の日本製品は競争力が高く、様々な規制や、オイルショックによる不況や、1978年の円高進行による1ドル200円といった事態も技術力と合理化で乗り越えて、存在感を示していました。
余談ですが、ブラウン管モニターは、液晶に比べて0.02~0.1秒程度映像が早く出る為、格闘ゲームやFPSで一瞬の反応速度を競い合うコアゲーマーの間では、現在でも需要があるそうです。
1973年のオイルショックや変動相場制移行で高度経済成長は終わりましたが、実はその後も安定成長を続けています。
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聖徳太子5000円札 Z-Z 鑑定済み EPQ
タクシーの初乗り運賃は280円から380円まで上がり、大卒初任給も、1975年から1980年にかけて8.4万円から11万円まで値上がりをみせるなど、庶民の暮らしは豊かになり続けていました。
一方で、「物価の優等生」と言われる卵などの基礎的な食料品の値段は現在とあまり変わりません。現在から考えると、成長してもなお、食べていくのが大変な時代だったようです。

この頃使われていたお札は、昭和の時代にお馴染みだったあの聖徳太子の一万円札です。正式には「C号券」と呼ばれています。
新円切り替え以降、お札のデザインや額面が刷新するたびに、「A号券」、「B号券」…と順番に名づけられています。2019年現在流通しているお金は、「E号券」にあたります。
戦後のインフレや経済混乱も収まり、紙幣の印刷体制も整ったことで、戦後はじめて長く定着したお金が、1958年から発行が開始された「C号券」だったのです。
この頃のお札には、岩倉具視の五百円札もありました。五百円札は、現在でも支払いに使えるうえに、「D号券」の二千円札よりも多く流通しているそうです。
硬貨については、五百円玉を除いては、1967年に五十円玉と百円玉のデザインが一新されて以降、半世紀以上同じデザインのものが使われています。

日本の自動車輸出で貿易摩擦が強まったバブル前夜。「福沢諭吉のお札」はこの頃はじまった!

1979年のイラン革命の影響で第2次石油ショックが起こると、ガソリン価格の高騰を嫌った欧米の庶民の間では、小型で燃費のいい日本車の人気が高まります。
1980年には、日本からアメリカへの自動車輸出台数は1965年の100倍以上まで成長。生産台数もアメリカを抜いて世界一になり、アメリカの大手メーカーは経営危機に陥ってしまうほどでした。
日本人によるアメリカ企業や不動産の買収も盛んに行われました。
そのため日米貿易摩擦はこの頃もっとも高まり、アメリカでは日本製の自動車を壊したり、日本人を襲撃する事件も起こるほどでした。
現在では当時の日本メーカー独自の仕様を愛するアメリカ人も増えているそうですが、アメリカ国内で失業者が出るほどの「集中豪雨的輸出」の時期にはそうした余裕もありませんでした。
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国産名車 ~昭和を駆け抜けた日本のスポーツカー (Motor Magazine Mook)
こうした日本経済の強さ、日本製品の競争力は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれていました。
実質的にアメリカに次ぐ世界第二位のGDPを誇るようになり、なおも成長する日本は、いずれ世界一になるだろうと思われていたのです。バブル景気とその崩壊、失われた10年といった不景気が待っているとは、誰も予測しませんでした。
実際に、1985年の大卒初任給は14万円で、かなり現在の水準に近づいています。郵便ハガキや山手線1区間、映画館入場料といったインフラは現在より2割程度安かった為、ほぼ現在と変わらない生活水準になっていたと言えるでしょう。

1984年には夏目漱石の千円札で30代の皆さんにお馴染みの「D号券」が印刷されはじめます。
現在流通している「E号券」に比較的近いデザインで、特に一万円札は現在でも引き続き福沢諭吉の肖像が使われているため、右下のホログラムがないこと以外は殆ど同じです。
しかし、このデザインの類似がトラブルを招くこともあるようです。
2004年以降の「E号券」しか知らない若い世代が、「D号券」の一万円札を「偽札」と勘違いしてしまい騒ぎになることがあったそうです。
お金のことを「諭吉」と呼ぶ言い方は、令和の今でも現役ですが、今後は肖像が渋沢栄一になるため、「栄一」と呼ぶようになるのでしょうか。

「バブル経済」の熱狂から「失われた10年」へ。「守礼門の二千円札」覚えてますか?

こうした日本製品ブームと、アメリカ企業の競争力低下に危機感を感じたアメリカは更なる円高ドル安を要求します。
1985年には「プラザ合意」が行われ、80年代前半に1ドル200-250円で推移していた円相場は、1ドル130円という現在に近い水準まで円高になります。
もちろん、輸出主導型で成長してきた日本経済は円高不況に陥りました。
また、この頃は日本人が現在に近い生活水準になっていたため、人件費が企業の負担になっており、人件費を安く抑えるため、工場や拠点を海外に移す企業も多くあらわれました。
生産拠点の海外移動は、貿易摩擦の緩和や規制の回避にも役立ちましたが、これが日本国内産業の空洞化を招き、現在でも問題となっています。


この円高に対して、日本銀行は円高を抑え経済活動を活発にするため、公定歩合を下げました。
1987年には、アメリカの公定歩合を他国に比べて高くするという目的から「ルーブル合意」が行われ、日本銀行が更に公定歩合を下げることになります。
「公定歩合」が下がると、利息が安い為、銀行からお金を借りやすくなるので、企業は借金を増やして将来への投資を行うようになり、
個人も利息の少ない銀行に貯金しておくより、株や不動産に投資してお金を増やそうとする人々が増えます。
こうした「財テク」ブームで、土地や株が値上がりしたことで、更なる値上がりでお金を儲けようとして買う人々の投資を呼び込み、実際の価値とかけ離れた値段まで吊り上がっていきました。
この時期、都心部では億ションどころか10億円クラスの分譲マンションが次々と企画されました。
現在では売買を成立させることすら難しいような地方の山間部や農村部の土地でも、この時期には1億円以上の値がついていました。
これが「バブル経済」です。高級車やブランド品が飛ぶように売れ、就活生の囲い込みとしての海外旅行が流行し、夜な夜なド派手な女性がクラブで踊り狂うといった時代でした。
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懐かしきバブル時代! (TJMOOK ふくろうBOOKS)
しかし、1989年には、過熱した経済を落ち着かせるために、公定歩合の引き上げが何度も行われます。急激に利子が上がりお金が借りにくくなった影響で1990年には「バブル景気」ははじけ、株価と地価の暴落が起こりました。
この後の企業の経営悪化やリストラ、不良債権の増加で、日本は長い不景気に苦しむことになります。
そんな90年代でも日本製品の輸出はまだ好調でしたが、1995年には阪神大震災という未曾有の大災害と、1ドル79円を記録するほどの円高に苦しみました。
1997年にはバブル崩壊の余波で山一証券や日本長期信用銀行の破綻が起こりました。絶対に潰れないと思われた大手証券会社が破綻してしまい、泣きながら会見する社長の様子には、衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか。
株の運用で損害を被った顧客による殺人事件も発生し、日本の先行きに暗いムードが漂うことになってしまいました。

物価や賃金は、1995年頃から現在まで、残念ながらあまり上がっていません。21世紀に入り、二度の長い好景気を経験しましたが、成長率がわずかで実感がわかないという意見もあるようです。70年代や80年代のような高成長はもう見られないのかもしれませんね。

西暦2000年には、沖縄サミット記念と「2000」年に掛詞をして新たな「D号券」の二千円札が発行されました。
表面には沖縄を象徴する守礼門が刷られています。人物ではなく建物を紙幣の表面に印刷するデザインは、なんと終戦直後に刷られた「A号券」の十円札以来54年ぶりでした。
当初はデザインの美しさと話題性から、記念に二千円札を手に入れようと銀行に向かう人々が殺到しましたが、残念ながらあまり買い物には使われませんでした。「E号券」では二千円札は採用されず、現在殆ど流通していません。
2000年には、500円硬貨のデザインも変更されています。「500」の「0」の部分に特殊な加工がされているのが特徴です。
ミドル世代の皆さんは、たまにお釣りで古いタイプの500円玉が返ってくると懐かしい気分になるのではないでしょうか。
紙幣のデザイン変更に比べてあまり話題になっていませんが、実は500円玉も2021年から新デザインで発行するそうです。
外側が金色で真ん中が銀色の「バイカラー」を採用した、ちょっとオシャレなデザインなので、楽しみですね!
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バブル崩壊のイラスト
いかがでしたか?1ドル200円以上だった時代があるなんて、現在から振り返ると信じられませんね。
現在は海外旅行に行ったり海外の商品を買うのはとても便利な世の中になりましたが、日本の製造業にとっては苦しい時代ですね。
筆者も2010年頃の円高の頃に、海外メーカーのパソコンをお得な値段で購入して便利さに気づいて以降、日本メーカーの家電をあまり買わなくなってしまいました。
繊維、カラーテレビ、自動車、半導体と時代ごとに日本の輸出が競争力を持つ商品は移りかわってきましたが、次はどんな製品が主力になるのでしょうね。
これからの令和の時代には、また新たな製品の流行りが来ると思います。その時には、日本メーカーが品質や機能で選ばれる新製品を作れるようにがんばってほしいところです。
渋沢栄一のお札で迎える2020年代が経済的にもいい時代になることを願います。
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