暴力団の若手が日本航空で勤務
1961年1月に23歳で日本航空に入社。客室乗務員として国内線や国際線に乗務する。
スチュワードからパーサーまで出世するが、理不尽な要求をする乗客とトラブルになり殴ってしまったことをきっかけに、前科3犯(当時)で執行猶予中であることや暴力団組員であることが露見し、1965年1月に退社に追い込まれた。
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日本航空時代の安部譲二がモデルの作品
三島由紀夫が親交のあった作家・安部譲二をモデルにした同名小説を映画化した痛快ラブロマンス。NAL航空のスチュワード・宮城に一目惚れした冴子。さまざまな顔を見せる宮城はスパイ容疑をかけられたりと、複雑な過去を持っていた…。田宮二郎主演作。
様々な職業を経験した30歳前後
日本航空を退社した後は、新宿の暴力団の小金井一家にヘッドハンティングされる。同時にキックボクシング中継の解説者、ライブハウス経営、プロモーター、レストラン経営、競馬予想屋などの職を転々とした。
特に1960年代後半から1970年代にかけて青山でジャズクラブ「ロブロイ」を経営していた時期は本店を当時の妻の遠藤瓔子に任せ、赤坂と六本木と三田の支店をそれぞれ愛人に任せ、白いキャデラック・フリートウッドを乗り回し、ドーベルマンを飼い、東京都大田区鵜の木の敷地700坪の豪邸に住むほどの勢いがあった。
この当時、「ロブロイ」でピアノを弾いていたのが当時高校生だった矢野顕子で、後に遠藤瓔子が当時を回想して書いた「青山『ロブロイ』物語」はテレビドラマにもなった。
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ベストセラー作家となったのは50歳手前でした
1983年から小説を書き始めたが、過去の犯罪歴ゆえに著書を出してくれる出版社が見つからず、不遇をかこつ。
1984年、山本夏彦に文才を見出され、雑誌『室内』に『府中木工場の面々』と題した文章の連載を開始。
1987年、刑務所服役中の体験を書いた この連載がまとめられ、『塀の中の懲りない面々』として文藝春秋より出版される。『塀の中の懲りない面々』はベストセラーとなり映画化され、以後人気作家としての地位を築く
本の内容
再犯のベテランばかりが集められる府中刑務所―。赤軍派兵士、凄腕のニセ医者、紙食い男や女役のホモ、腹巻のテキ屋、役所専門泥棒に短歌を詠む殺人犯…。
16歳で仁侠の世界へ入った著者が、愉快痛快、悲喜こもごもの懲役たちと知られざる塀の内側をご紹介します。驚異のベストセラーとして日本中を席捲した、安部譲二会心のデビュー作。
まだまだあった!安部譲二に関するエピソード
友人・橋本龍太郎
小学校では勉強ができたのですが、麻布中学では45人のクラスで38番でした。
「ああ、おれは劣等生なんだ」、おれの後ろには7人しかいないと思ったら、その1人が橋本龍太郎さんだったそうです。