安部譲二。
言わずと知れたベストセラー作家であり、人気タレント。
刑務所での服役経験を綴った「塀の中の懲りない面々」でベストセラー作家となりますが、「堀の外」での彼自身の人生もまたインパクトのあるものでした。
彼の生い立ちから現在までを特集します!
言わずと知れたベストセラー作家であり、人気タレント。
刑務所での服役経験を綴った「塀の中の懲りない面々」でベストセラー作家となりますが、「堀の外」での彼自身の人生もまたインパクトのあるものでした。
彼の生い立ちから現在までを特集します!
安部譲二 神童と呼ばれた幼少期
祖父は造船技師で、東京帝国大学で夏目漱石や正岡子規と同期。日本郵船に勤務していた父安部正夫、母玉枝の次男(4人兄姉の末っ子)として東京市に生まれた。父の転勤に伴い、ロンドンやローマで育つ。
シェイクスピア全集や漱石全集、世界文学全集、プルターク英雄伝、名将言行録などを国民学校(現在の小学校)低学年にして片っ端から読破。東京都港区立麻布小学校では神童と呼ばれた。
江戸川乱歩に批判されたアブノーマルな中学生
安部譲二は中学二年生のとき、推理小説雑誌「宝石」が増刊号「新鋭28人集」を出すために 小説を募集しているのを知った。
当時「宝石」は江戸川乱歩が編集長をつとめていたが、 乱歩といえばエログロな推理小説で有名な作家。
そこで安部は「腕によりをかけてすけべな話を書いた」。
彼が書いた小説「悪血(わるち)」はみごと入選。
しかし安部がまだ中学二年生だと知った乱歩は、「この子は心の病に侵されている」と安部を批判し、 他の選者も同調したので、結局安部の小説は雑誌に載る事はなく、 「新鋭28人集」には残りの27作だけが載る事になった。
via www.e-net.or.jp
小説・悪血(わるち)
安部譲二は《中2でアブノーマルSEX小説を書いた》
「『悪血(わるち)』という題名で、ボクサーの男に犯されながらも、女はそいつと同棲。タイトルマッチの相手が昔惚れた男だと知り、女は男に下剤を飲ませ復讐するという内容でした」
同じ頃、暴力団の世界に入る
中学在学中から安藤組大幹部の阿部錦吾の舎弟となり、安藤組事務所に出入りしていたため麻布高校への進学が認められず、1952年には夏祭りの場で複数のテキ屋と争い、出刃包丁による傷害事件を起こしたことから国外に逃亡した。
イギリスウィンブルドンの寄宿制学校リッジウェイス・スクールに進む。
同校在学中、南ロンドン地区の少年ボクシング大会のライトウェルター級選手として優勝している。
入寮から4ヶ月経った時、イタリアから留学中の女子生徒と全裸で戯れていたのを舎監に発見され退寮処分を受ける。
16歳のときカメラマンのアシスタントとしてオランダに渡り、ロバート・ミッチャムと売春婦を巡り殴り合いをおこなったことがある。
暴力団組員だったヤンチャな思春期
慶應義塾高校に入学。同校では体育会拳闘部の主将となったが、16歳のとき本格的に暴力団構成員となった上、早稲田大学の学生たち16人に喧嘩を挑まれて3人で叩きのめしたことが問題となり、「はなはだしく塾の名誉を汚した」との理由で1955年春に除籍処分を受けた。
19歳のときには横浜で不良外人のもとへ借金の取立に行ったところ用心棒から殺されそうになり、反撃して相手の拳銃と車を奪い逃走。このため強盗殺人未遂と銃刀剣法違反で逮捕
via ameblo.jp
また、若い時期はブラディー・ナオのリングネームで地下ボクシング活動もしており、海外を転戦していた時期もあった(世界王者・サンディ・サドラーの来日時のスパーリングパートナーもつとめたという)。
ハンブルクでは悪役プロレスラーとしてリングに登場し、力道山から「いつでも安藤組に頼みに行くから、ヤクザ辞めてレスリングやれ」と勧められたこともある。