「微笑」と出逢うきっかけとなったのは、なんと!
私が「微笑」と出逢ったのは、OL時代に同僚が放った一言がきっかけでした。会社でのお昼は同僚とお弁当を食べながら談笑をして過ごすことがほとんどでした。女子ばかりの会話は、どこの部署のだれだれってカッコイイよね~とか、上司の悪口だったり、付き合っている人のことだったり、とかく男性の話しで盛り上がる毎日でした。私は、あまり興味もなく、話している会話のほとんどがわからず、ぼーっとしていたその時のこと。「あんた!微笑くらい読んで勉強した方が良いよ!」と・・。
えーー、「微笑」って何?と聞き返すと女性向けの雑誌ということでした。そうして私は、高校卒業したての春に「微笑」と出逢ったのでした。
えーー、「微笑」って何?と聞き返すと女性向けの雑誌ということでした。そうして私は、高校卒業したての春に「微笑」と出逢ったのでした。
よくわからず手にした「微笑」しかし・・
強烈な一言を浴びせられた私は、とにかくみんなの会話についていけるようにと思い、頭の中は、仕事より?「微笑」の二文字が浮かぶ日々でした。今のようにインターネットですぐに検索して調べることもできませんでしたので、本屋さんに行ったのか、、今では記憶にないくらいですが、とりあえず手にした「微笑」。しかし、、やはりよくわからず、とにかく男性のことを勉強しろということだったのだろうと続けて何冊かを購入した覚えがあります。
この目次に見覚えが!
私が、赤面した目次がありました。これです。
性についての教育は高校生の保健体育の授業でやったのですが、なんと、一番大事な性についての教育のときだけ風邪を引いて休んでしまったのでした。今でもどんな授業だったのか、、気になります。同僚たちは、すでにいろいろなことを知っていたのですね。私は、微笑で教えてもらいましたよ。
性についての教育は高校生の保健体育の授業でやったのですが、なんと、一番大事な性についての教育のときだけ風邪を引いて休んでしまったのでした。今でもどんな授業だったのか、、気になります。同僚たちは、すでにいろいろなことを知っていたのですね。私は、微笑で教えてもらいましたよ。
微笑をご存じない方のために
「微笑」は、女性向け週刊誌でありながら、当時は珍しく性に切り込んだ雑誌だったのです。女性だけではなく、男性の方も読んでいたのではないでしょうか?
そう、まぎれもなく、私の青春のバイブルは、「微笑」だったのです!
そう、まぎれもなく、私の青春のバイブルは、「微笑」だったのです!
1971年創刊の雑誌『微笑』は、女性向けの性の記事に初めて本格的に取り組んだことで知られている(1996年休刊)
「微笑」の姉妹誌「新鮮」という雑誌もでてました
そのうちに「微笑」も読まなくなり、あまり女性誌を買うことはなくなりましたが、1978年には、「微笑」の姉妹誌として、さらに過激な「新鮮」(月刊誌)という雑誌がでました。「新鮮」は、ほとんど記憶にないのですが、付録もついていたようで、付録は、当時としては斬新で、サイズ(ご想像にお任せします)を計れるように切り取って使える実用(付録)カードなどがついていたようで、それは、友人の家で見たような記憶がうっすら蘇ってきました。※あっ、実際に計ったことはありませんよ!
「微笑」と「新鮮」を創刊した「祥伝社」とは
当時しては過激で斬新だったこの二誌。創刊したのは「祥伝社」という出版社です。「祥伝社」は、1970年に創業ですので、翌年には「微笑」を創刊したということになりますね。
1970年11月5日に阿佐ヶ谷にて創業 。創業者は小学館出身の佐々部承象、光文社出身の黒崎勇、伊賀弘三良、櫻井秀勲、藤岡俊夫ら5人。「ノン・ブック」と呼ばれる新書サイズのシリーズでベストセラーを連発。
創業メンバーのひとり「櫻井秀勲」氏がスゴイ人
櫻井秀勲氏は、祥伝社から独立し、株式会社ウーマンウェーブを設立。55歳の時の初めての著書「女がわからないでメシが食えるか」は、シリーズ40万部を越えるベストセラーに。
2013年には、なんと、82歳で「きずな出版」も立ち上げた人物。作家養成講座も開催されています。
2013年には、なんと、82歳で「きずな出版」も立ち上げた人物。作家養成講座も開催されています。