2021年6月1日 更新
【内藤洋子】全盛期は酒井和歌子と人気を二分した青春スター!長女・喜多嶋舞もリサーチ!
清純派モデル・女優として活躍し、20歳には結婚して芸能界を引退。その美貌は美人というより庶民的な可愛らしさで、当時は多くの男性ファンに愛された内藤洋子さん。今回の記事では、そんな彼女の全盛期やプライベート・近況などをリサーチしましたので、記事として取り上げたいと思います。実娘にしてお騒がせ女優・喜多嶋舞さんのこともご紹介していきますね。
清純派モデル・女優として活躍した内藤洋子さん
内藤洋子さんの経歴
1950年、茨城県鹿島郡に4人姉妹の三女として生まれた内藤洋子さん。彼女の父親は勤務医をしており、内藤家は藤原氏の流れを汲む名家。小学校は公立学校に通うも、中学・高校は私立の名門・北鎌倉女子学園に進学して卒業されています。
黒澤明さんの長女がりぼんを購読しており、当時、その表紙を飾っていた内藤洋子さんの姿が黒澤明さんの目にとまったみたい。彼女は直々にオーディションを受けるように勧められ、最終選考では、黒澤明さんは酒井和歌子さんと内藤洋子さんのどちらにするのかで、とても悩んだというエピソードが残っています。
『氷点』は高視聴率が続いたことで、観光バスの遊覧コースに彼女の自宅が組み込まれ、バスガイドからもご紹介アナウンスが入るほどの人気ぶりだったといいます。
順調な芸能生活を送っていた内藤洋子さんですが、1970年に音楽家・喜多嶋修さんとご結婚。
そして、ご結婚を機に芸能界から完全に引退されました。
1972年には長女である喜多嶋舞さんをご出産。1974年にはご家族でアメリカ・カリフォルニア州に移住し、その後も長男・次女が生まれています。
内藤洋子さんの長女・喜多嶋舞さんについて
喜多嶋舞さんのデビュー当初は、母親・内藤洋子さんと同じように清純派として売り出されました。しかし、人気は次第に低迷し、悪女を演じたり、濡れ場に挑戦。写真家・篠山紀信さん撮影によるヌード写真集も発売されています。
ご結婚されたとき、喜多嶋舞さんは妊娠3カ月を迎えていましたね。後に男子を出産するも、2005年に喜多嶋舞さんと大沢樹生さんは離婚されています。
離婚後は男子の親権をもって養育していた大沢樹生さん。しかし、兼ねてより疑問を抱いていた大沢樹生さんは、男子とのDNA鑑定を実施します。その結果は男子との間に血縁関係がないことが明らかになります。その後、男子の親権は喜多嶋舞さんに戻るかと思われましたが、彼女はそれを拒否されました。
男子の親権をもつことになったのは、血縁的には祖母にあたる内藤洋子さん。男子は内藤洋子さんの元で育てられ、現在は成人されて立派に一人立ちしているようです。
内藤洋子さんの主な出演作品
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生年月日:1950年5月28日
出身地 :神奈川県鎌倉市
職業 :モデル
女優
童話作家
活動期間:1965年~