セカンドシングルはまだアイドル路線をしっかり走っているように思いますが、3枚目のシングルくらいから松本明子というタレント性が出てきています。アイドルとしてはオープン過ぎるという感じですね。すっかりバラエティー向きアイドル歌手という雰囲気が漂っています。
夏色のギャルソン
1984.06.10リリースの3枚目のシングル曲
via www.youtube.com
スタ誕から出てきたアイドルとして活躍することが約束されていたかのようにデビュー曲をリリースしましたが、オリコンチャート最高位が131位とヒットに繋がりませんでした。
次曲の「キャラメル・ラブ」、3枚目のシングル「夏色のギャルソン」から4枚目のシングル「この恋いけませんか」をリリースするまである事件を巻き起こし時間が空きました。
次曲の「キャラメル・ラブ」、3枚目のシングル「夏色のギャルソン」から4枚目のシングル「この恋いけませんか」をリリースするまである事件を巻き起こし時間が空きました。
仕事0からの救世主はあの人
なんとかアイドル歌手として活躍して行きたい松本がアイドルとしてではなく有名になった事件が勃発します。
1984年3月31日放送分でのこと。当日はニッポン放送の深夜番組『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』とのドッキング放送(サイマル放送)となり、『オールナイトニッポン』用のアナブースをフジテレビ第4スタジオ内に設置、オールナイトニッポンはそこから(番組が終了する午前5時まで)放送されていた。
放送禁止用語を言えと言われた松本明子はその言葉が言ってはならない言葉だとは知らずに言ってしまったというのが事実なので言ってしまった松本のみが芸能界から干されたという状態になってしまうのは少し可哀そうな気もします。
活動休止を余儀なくされてしまった松本は約2年間仕事がなく路頭に迷う日々が続いていました。その日々から救ってくれたのが、現在は司会業で活躍しているタレントの中山秀征でした。
活動休止を余儀なくされてしまった松本は約2年間仕事がなく路頭に迷う日々が続いていました。その日々から救ってくれたのが、現在は司会業で活躍しているタレントの中山秀征でした。
via www.mbok.jp
「ネエさん、よかったら、俺もいるし、バラエティー班に来ませんか?」
この言葉がなかったら故郷に帰っていたと言っているほど救われた瞬間だったのでしょう。その言葉に動かされバラエティータレントとしての活躍を始めます。
有名なところで準レギュラーとして「オレたちひょうきん族」の後期と言われている1985年以降に出ていたり、ものまね女四天王と呼ばれた「ものまね王座決定戦」、芸能界復帰のチャンスをくれた中山と飯島直子と出ていた「DAISUKI!」、「進め!電波少年」などの電波少年シリーズなどがあります。
有名なところで準レギュラーとして「オレたちひょうきん族」の後期と言われている1985年以降に出ていたり、ものまね女四天王と呼ばれた「ものまね王座決定戦」、芸能界復帰のチャンスをくれた中山と飯島直子と出ていた「DAISUKI!」、「進め!電波少年」などの電波少年シリーズなどがあります。
バラドルとしての活躍
バラエティータレントとしての活動を開始した松本を一躍有名にしてくれた番組と言えば数々ありますが中でも「ものまね王座決定戦」は有名ではないでしょうか。
同じ時期にアイドルとしてデビューし売れきれなかった山瀬まみや森口博子、井森美幸、松居直美などがバラエティ番組で活躍したくさんの番組などに出るようになっていたこの時期に森口博子、松居直美などが「ものまね王座決定戦」に出演し、その歌唱力に器用さを加算してものまね女四天王と呼ばれるようにもなりました。
同じ時期にアイドルとしてデビューし売れきれなかった山瀬まみや森口博子、井森美幸、松居直美などがバラエティ番組で活躍したくさんの番組などに出るようになっていたこの時期に森口博子、松居直美などが「ものまね王座決定戦」に出演し、その歌唱力に器用さを加算してものまね女四天王と呼ばれるようにもなりました。
ものまね女四天王の1人、森口博子
工藤静香 のものまね
via www.youtube.com
ものまね女四天王の1人、松居直美
アグネス・チャンのものまね
via www.youtube.com
ものまね女四天王の1人、篠塚満由美
欧陽菲菲、テレサテン、桂銀淑のものまね
via www.youtube.com
ものまね女四天王の1人、松本明子
平松愛理、研ナオコのものまね
via www.youtube.com
中でも松本は1989年12月5日に放送された「第6回爆笑!スターものまね王座決定戦」、1990年10月2日に放送された「第22回オールスターものまね王座決定戦スペシャル」で優勝もしています。
実力はあるものの時代の求めるクォリティーに少し何かが足りなかった、もしくはデビューする時期が少しずれていたのならトップアイドルになっていたかもしれないバラドルという新しいジャンルにうまく入った松本の快進撃は止まりませんでした。
実力はあるものの時代の求めるクォリティーに少し何かが足りなかった、もしくはデビューする時期が少しずれていたのならトップアイドルになっていたかもしれないバラドルという新しいジャンルにうまく入った松本の快進撃は止まりませんでした。
冠番組を持つほどの人気
松本明子と言えば飯島直子と吉村明宏の3人でスタートし、後に吉村明宏と入れ替わった中山秀征とた軽快なトークが売りになったバラエティ番組「DAISUKI!」とタレント松村邦洋やチューヤンと顔のみの映像で番組進行をするというスタイルの「電波少年」が広く知られています。