野球拳のはじまり(大正13年秋)
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お色気ゲームとしての野球拳
お座敷芸として全国的に広まり、昭和30年代(1955年 - 1964年)には現在のようなじゃんけんで負けたら脱衣するルールが定着した。
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『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(1969年4月27日・日本テレビ系列) お色気いっぱいの野球拳で視聴率を稼ぐ昭和バラエティ
『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(1969年4月27日から1970年3月29日・日本テレビ系列)
『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(コントごじゅうごごうのうらばんぐみをぶっとばせ)は、1969年4月27日から1970年3月29日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のバラエティ番組である。テレビ欄や雑誌の紹介では「コント55号! 裏番組をブッ飛ばせ!!」と表記されていた。
その名の通り、当時高視聴率を記録していた裏番組・NHK大河ドラマ『天と地と』(NHK総合テレビ)を強く意識し、「日曜日の20時台に最も視聴率の取れる番組を作る」を基本テーマとした。
コント55号を進行役に据え、萩本欽一が担当ディレクター役、坂上二郎が放送作家役の設定で開始した。元々「裏番組」という言葉は業界用語だったが、本番組がきっかけで、この言葉は一般的にも認知されるようになった。
「野球拳」のコーナーが有名で、進行役のコント55号自身も野球拳に参加していた。なお、野球拳は本来愛媛県松山市に伝わる郷土芸能だが、やがてじゃんけんで負けた者が脱衣するルールがお座敷芸として広まり、番組ではこちらのルールで行われた。
番組は好調で、1969年7月6日の放送で視聴率は29.3%を記録し、同日27.6%だった『天と地と』を初めて上回った。
1969年10月には番組の最高視聴率である33.8%にまで達し、大晦日にも『第20回NHK紅白歌合戦』の裏番組として放送された。しかし、人気の高さから「子供が野球拳をマネする」などの苦情も相次ぎ、番組は1年間で終了した。
その名の通り、当時高視聴率を記録していた裏番組・NHK大河ドラマ『天と地と』(NHK総合テレビ)を強く意識し、「日曜日の20時台に最も視聴率の取れる番組を作る」を基本テーマとした。
コント55号を進行役に据え、萩本欽一が担当ディレクター役、坂上二郎が放送作家役の設定で開始した。元々「裏番組」という言葉は業界用語だったが、本番組がきっかけで、この言葉は一般的にも認知されるようになった。
「野球拳」のコーナーが有名で、進行役のコント55号自身も野球拳に参加していた。なお、野球拳は本来愛媛県松山市に伝わる郷土芸能だが、やがてじゃんけんで負けた者が脱衣するルールがお座敷芸として広まり、番組ではこちらのルールで行われた。
番組は好調で、1969年7月6日の放送で視聴率は29.3%を記録し、同日27.6%だった『天と地と』を初めて上回った。
1969年10月には番組の最高視聴率である33.8%にまで達し、大晦日にも『第20回NHK紅白歌合戦』の裏番組として放送された。しかし、人気の高さから「子供が野球拳をマネする」などの苦情も相次ぎ、番組は1年間で終了した。
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『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(1969年4月27日から1970年3月29日・日本テレビ系列)
全国に「野球拳」の名が広く知られる要因となった。ただし、「野球拳」は元来愛媛県松山市の郷土芸能だが、番組では「脱衣する」ルールで行ったため、視聴者に野球拳が誤ったイメージで伝わる結果となった。
誤解が広まったことに責任を感じていた萩本は、2005年に松山市を訪れた際にその意思を伝え、郷土芸能の関係者に詫びたという。
誤解が広まったことに責任を感じていた萩本は、2005年に松山市を訪れた際にその意思を伝え、郷土芸能の関係者に詫びたという。
『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』の進行役の「コント55号」(萩本欽一・坂上二郎)
萩本欽一はこの番組を「最も嫌いな番組」としている。PTAから「俗悪番組」の槍玉に挙げられたことも理由だが、55号本来の芸であるコントによる笑いで勝負させてもらえず、「野球拳」という安易な企画で視聴率を取ろうとする姿勢に納得がいかなかったという。この番組では萩本の意見が一つも通らなかったという。
坂上二郎は、乗り切れなかった萩本と反対にこの番組で脚光を浴びた。自身も乗り気で参加し、代表作の一つに挙げている。また、後年ダウンタウン司会の大晦日特別番組『ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!!』としてリメイクされた際、審査委員長として出演した。
坂上二郎は、乗り切れなかった萩本と反対にこの番組で脚光を浴びた。自身も乗り気で参加し、代表作の一つに挙げている。また、後年ダウンタウン司会の大晦日特別番組『ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!!』としてリメイクされた際、審査委員長として出演した。
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PTAから「俗悪番組」の槍玉に挙げられた番組であったが、実はチャリティー番組の元祖でもあった
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野球拳で脱いだ衣裳はその場でオークションにかけられた。この収益金は交通遺児のために全額寄付されることになっており、エンディングで交通遺児の苦悩などを紹介しながら広く募金を呼びかけ、視聴者から寄せられた一円玉の詰まった小瓶なども紹介されていた。
「低俗番組」のレッテルを貼られていた当番組だが、1978年から開始された同局系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に先立ち、チャリティーの要素も持っていたのである。
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伊予鉄軍副監督であり、野球タイムスの主筆であった前田伍健先生(元伊予鉄幹部社員)が、急きょ別室に選手を集め、即席で作詞、作曲した踊りをコーチし宴席で踊ったのが野球拳のはじまりです。