潮哲也(うしお てつや)プロフィール
本名 本保 明啓(ほんぼ あきひろ)
生年月日 1949年12月13日(70歳)
出生地 京都府与謝郡岩滝町
身長 178 cm
血液型 AB
職業 俳優、声優、歌手
生年月日 1949年12月13日(70歳)
出生地 京都府与謝郡岩滝町
身長 178 cm
血液型 AB
職業 俳優、声優、歌手
生立ち
その昔 ここの2階に東映演技研修所という芝居の学校があった。 https://t.co/LtakbpqFER
— 藤木義勝 (@fujiki750) December 19, 2015
1949年12月13日に京都府与謝郡岩滝町で警察官の息子として生まれたさん、14歳のころに石川県金沢市に転居されます。(因みに、姉が3人いるそうです。)
高校卒業後、製紙会社勤務、レコード店事務を経て上京し、東映演技研修所を経て、東映芸能部に所属。
その後は数本のテレビドラマに端役で出演されていました。
高校卒業後、製紙会社勤務、レコード店事務を経て上京し、東映演技研修所を経て、東映芸能部に所属。
その後は数本のテレビドラマに端役で出演されていました。
via aucfree.com
1972年の23歳の時に『快傑ライオン丸』の主役に大抜擢され本格的デビューを果たします。
『快傑ライオン丸』はオーディションで起用されたが、クランクイン直前であったためすんなり決まったといいます。
第7話の撮影時に岩場を降りるシーンで足を骨折し入院したが、スケジュールが切迫していたため撮影は中断されず、潮は病院から撮影現場に通っていたそうです。
因みに、全治1ヶ月ほどであったが、撮影現場の湿気で石膏がふやけてしまうため2週間程度でギプスを外していたとか・・・。
『快傑ライオン丸』はオーディションで起用されたが、クランクイン直前であったためすんなり決まったといいます。
第7話の撮影時に岩場を降りるシーンで足を骨折し入院したが、スケジュールが切迫していたため撮影は中断されず、潮は病院から撮影現場に通っていたそうです。
因みに、全治1ヶ月ほどであったが、撮影現場の湿気で石膏がふやけてしまうため2週間程度でギプスを外していたとか・・・。
潮氏はこの共演者の戸野広氏の事故死をきっかけになるべく撮影中は共演者やスタッフと積極的に話すようになったとのこと。なお潮氏は今は俳優業を完全に引退しています。 pic.twitter.com/FjN52Yeafg
— ノンマルトRX (@AceriderZ) October 29, 2017
via www.amazon.co.jp
続く『風雲ライオン丸』でも主演を務めています。
芸名の由来
via p-production.jp
「潮哲也」の芸名は、『快傑ライオン丸』の時にピー・プロダクション社長のうしおそうじさんにより、「うしお」の字を譲られたものだそうです。
移籍
via ja.wikipedia.org
潮さんは『ライオン丸』の終了後に東映芸能部を退部され、黒沢年男さんの所属事務所を経て、1974年からは東宝芸能に所属。
(右側のビル)