Poison - Unskinny Bop (video oficial)
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内紛・急降下
3rdアルバム『Flesh & Blood』も全米アルバムチャート2位と順調に売れ、人気も揺るぎないものとなっていたPoisonは、翌1991年11月には、初のライヴアルバムとなる『 Swallow This Live』もリリースしました。
しかし、このころから、ギターでバンドの主要メンバーであったデヴィルが深刻なドラッグ依存状態になってしまい、しまいには、楽屋で、ヴォーカルのブレット・マイケルズと殴り合いの乱闘騒ぎを起こすなどして、バンド内は滅茶苦茶になり、遂に、バンドはデヴィルを解雇しました。
後任のギタリストには、リッチー・コッツェンが加入しました。
しかし、リッチーを擁して制作された4枚目のスタジオアルバム『Native Tongue』の出来はあまり良いとは言えず、セールスの方も何とか100万枚売ったとはいえ、全米アルバムチャート最高位16位というPoisonとしてはまったく芳しくない結果に終わってしまいました。
更に、悪いことに、この後、リッチーは、ドラムのリッキー・ロケットの恋人を奪うという騒動を起こし、他のメンバーとの内紛が勃発。
結局、リッチー・コッツェンも解雇され、後任にはブルース・サラセノが収まるという内紛、ゴタゴタが続き、それに比例するように、バンドはどんどん落ちぶれていきました。
しかし、このころから、ギターでバンドの主要メンバーであったデヴィルが深刻なドラッグ依存状態になってしまい、しまいには、楽屋で、ヴォーカルのブレット・マイケルズと殴り合いの乱闘騒ぎを起こすなどして、バンド内は滅茶苦茶になり、遂に、バンドはデヴィルを解雇しました。
後任のギタリストには、リッチー・コッツェンが加入しました。
しかし、リッチーを擁して制作された4枚目のスタジオアルバム『Native Tongue』の出来はあまり良いとは言えず、セールスの方も何とか100万枚売ったとはいえ、全米アルバムチャート最高位16位というPoisonとしてはまったく芳しくない結果に終わってしまいました。
更に、悪いことに、この後、リッチーは、ドラムのリッキー・ロケットの恋人を奪うという騒動を起こし、他のメンバーとの内紛が勃発。
結局、リッチー・コッツェンも解雇され、後任にはブルース・サラセノが収まるという内紛、ゴタゴタが続き、それに比例するように、バンドはどんどん落ちぶれていきました。
重なる不幸、不運を乗り越えて再起へ
悪いことは続くもので、こうして、バンドが内紛やゴタゴタでどんどんダメになっていく最中の、1994年の5月、Poisonは新作のレコーディングの最中でしたが、ヴォーカルのブレット・マイケルズが愛車のフェラーリを運転していて交通事故を起こしてしまい、重傷を負います。
深刻な後遺症のために、その後長い療養とリハビリの生活に入らねばならず、レコーディングは中断されてしまいました。(結局、この新作は、1996年にリリースしたベストアルバムに組み込まれるという苦肉の策で世に出ました)。
とはいえ、最重要メンバーのマイケルズは、大事故のリハビリに加えて、生まれつき1型糖尿病(先天性の糖尿病)とずっと戦っており、インスリンを打ちながらステージに挑んできて、ステージで昏睡状態となり病院へ運ばれることもたびたびありました。
このような不安材料だらけの中、進退を考えなければならなかった時期の1999年。
バンドにとって朗報がもたらされます。
薬物依存となり、マイケルズとも揉めてPoisonを去っていたC・C・デヴィルがマイケルズと和解。
ドラッグも辞めてすっかり健康となって、バンドに戻ってきたのです。
その直後に行われた全米ツアーは大成功を収めて、Poisonはバンド消滅の最大の危機を乗り切ることができました。
以後、全盛期みたいなヒットは出せないものの、Poisonは精力的にライヴを中心に音楽活動を続けています。
1980年代後半を打ち上げ花火のようにド派手に盛り上げたPoisonの華やかなヴィジュアルとキャッチーな名曲の数々は、今後もあの時代を生きた世界中の人々の記憶の中に生き続けます。
深刻な後遺症のために、その後長い療養とリハビリの生活に入らねばならず、レコーディングは中断されてしまいました。(結局、この新作は、1996年にリリースしたベストアルバムに組み込まれるという苦肉の策で世に出ました)。
とはいえ、最重要メンバーのマイケルズは、大事故のリハビリに加えて、生まれつき1型糖尿病(先天性の糖尿病)とずっと戦っており、インスリンを打ちながらステージに挑んできて、ステージで昏睡状態となり病院へ運ばれることもたびたびありました。
このような不安材料だらけの中、進退を考えなければならなかった時期の1999年。
バンドにとって朗報がもたらされます。
薬物依存となり、マイケルズとも揉めてPoisonを去っていたC・C・デヴィルがマイケルズと和解。
ドラッグも辞めてすっかり健康となって、バンドに戻ってきたのです。
その直後に行われた全米ツアーは大成功を収めて、Poisonはバンド消滅の最大の危機を乗り切ることができました。
以後、全盛期みたいなヒットは出せないものの、Poisonは精力的にライヴを中心に音楽活動を続けています。
1980年代後半を打ち上げ花火のようにド派手に盛り上げたPoisonの華やかなヴィジュアルとキャッチーな名曲の数々は、今後もあの時代を生きた世界中の人々の記憶の中に生き続けます。
via amass.jp
実にPoisonらしさが曲の随所に炸裂していて、この後脱退してしまうC・C・デヴィルのギターの冴えも最高のナンバーです。