昔はアングラフォークシンガーだった、なぎら健壱
今ではすっかり「『タモリ倶楽部』によく出るオッサン」としてのイメージが強いなぎら健壱ですが、そもそも彼の本業はフォークシンガー。今でも、吉祥寺や横浜あたりで精力的にライブ活動を行っているようで、かつて筆者が住んでいた実家近くの公民館にも、よくこんな感じのポスターが貼られていました↓
『およげ!たいやきくん』のB面『いっぽんでもニンジン』の歌唱も担当していた
当然、若かりし頃は今以上に活発な活動を展開しており、楽曲も数多く残しています。特に有名な曲といえば、1975年にリリースされて空前の大ヒットを記録した『およげ!たいやきくん』のB面『いっぽんでもニンジン』でしょう。
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「いっぽんでーも ニンジン♪ にそくでーも サンダル♪ さんそうでーも ヨット♪」というキャッチーなフレーズでお馴染みのこの数え歌は、当時、子供たちの間で大流行。さぞかし、印税でガッポリ儲けたのかというと、実は、そうでもないらしく、歌唱のみの担当で、かつ、買取契約だったために、たった3万円しかもらえなかったのだとか。もっとも、自他共に認める嘘つきのなぎらの言うことなので、“盛っている”可能性も否定できませんが…。
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1973年にリリースされた『悲惨な戦い』
さて、そんな歌手・なぎら健壱のソロワークスにおける代表的楽曲の一つに『悲惨な戦い』というシングルがあります。これは、1973年1月25日にエレックレコードからリリースされた楽曲であり、ジャケットのイラストレーションもなぎらが担当しています。
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実績としては、オリコン最高位38位で、総売り上げ枚数は15万枚。まずまずのセールスです。しかしこの曲、「相撲協会への配慮」との名目により、「放送禁止歌扱い」となってしまいます。歌詞の内容が「問題アリ」とされたのです。
大相撲の架空の取組みで起こった、ある“ハプニング”を歌った
私はかつてあの様な 悲惨な光景を見たことがない♪
それは10年以上も前の 国技館の話です♪
このような歌い出しから始まる『悲惨な戦い』は、「雷電」と「若秩父」という架空の力士による対戦を描いています。
この空想上の対戦では、巨貫の雷電と地獄の料理人・若秩父が、ガップリ四つに組み合い、接戦を演じた結果、若秩父のマワシが取れてしまうという、いわゆる、「不浄負け」を喫する姿が歌われているのです。
この空想上の対戦では、巨貫の雷電と地獄の料理人・若秩父が、ガップリ四つに組み合い、接戦を演じた結果、若秩父のマワシが取れてしまうという、いわゆる、「不浄負け」を喫する姿が歌われているのです。
全く全国3万人の相撲ファンの皆様は♪
意外な事実を知ったのだ♪
でかい体にゃ●●●がつき物だと♪
…と、“悲惨な戦い”の情景をひたすらコミカルに描写しているのですが、相撲協会からのクレームを恐れた各放送局から、オンエア忌避の対象と見なされ、ながらく日の目を浴びずにいたのでした。
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歌詞に登場する取組、及び力士にモデルは存在したのか?
この不浄負けですが、なぎらが『悲惨な戦い』をリリースした1973年以前に、一度しか起こっていません。
それは、1917年の5月場所。男嶌-友ノ山の一番で、男嶌の前袋が落ちたのが、唯一、当時の時点で記録されている「不浄負け」です。参考にするとすれば、この戦いくらいなものですが、何せ戦前の取組であるため、資料に乏しく、なぎらがモチーフにしたとは考えにくいでしょう。
※後に、2000年5月場所で行われた「朝ノ霧-千代白鵬」の取組でも、朝ノ霧が実に83年ぶりとなる不浄負けを喫しています。
それは、1917年の5月場所。男嶌-友ノ山の一番で、男嶌の前袋が落ちたのが、唯一、当時の時点で記録されている「不浄負け」です。参考にするとすれば、この戦いくらいなものですが、何せ戦前の取組であるため、資料に乏しく、なぎらがモチーフにしたとは考えにくいでしょう。
※後に、2000年5月場所で行われた「朝ノ霧-千代白鵬」の取組でも、朝ノ霧が実に83年ぶりとなる不浄負けを喫しています。