小渕恵三さんの略歴
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小渕 恵三(おぶち けいぞう、1937年(昭和12年)6月25日 - 2000年(平成12年)5月14日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。学位は政治学修士(早稲田大学)。
衆議院議員(12期)、総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣官房長官(第49代)、外務大臣(第126代)、内閣総理大臣(第84代)、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁、自由民主党総裁(第18代)などを歴任した。
戦時中に疎開していた軽井沢で、学習院の教授と出会い、父に勧められて学習院に編入。その後早稲田大学に入学し、大学院に進学。38か国を訪問したそうです。
自民党内では佐藤派→田中派→竹下派→小渕派と一貫して保守本流を歩き、渡部恒三・小沢一郎・橋本龍太郎らと共にいわゆる「竹下派七奉行」に列せられた。また、竹下登に一貫して師事し、竹下直系として力を握った。
小渕恵三さんの人柄
絶対に他人を叱らないことで有名だった竹下登の薫陶を受け、小渕もまた敵を作らない、穏やかな性格の持ち主として知られていた。
お皿に書かれた「政清人和」とは、"まつりごと清ければ人おのずから和す"という意味で使われ、清廉な政治は人民を穏やかにするという意味を込められているとのこと。これは元首相の福田赳夫さんが創設した「清和会」が命名したものです。
ちなみに、小渕さんは田中角栄さんの「経世会」系でした。では何故違う派閥の「清和会」の言葉がお皿に書かれていたのでしょうか?
もしかしたら、そこが小渕さんの敵を作らない人柄かもしれませんね(^^)/
ちなみに、小渕さんは田中角栄さんの「経世会」系でした。では何故違う派閥の「清和会」の言葉がお皿に書かれていたのでしょうか?
もしかしたら、そこが小渕さんの敵を作らない人柄かもしれませんね(^^)/
小渕恵三さんの功績
via ja.wikipedia.org
小渕さんが首相になった時は、参議院で与野党が逆転している状況でした。当初の政権基盤は大変不安定なものでした。
現在でも続く自民党と公明党との連立は、この時に小渕さんが決断したことが大きく影響している様です。
自民党単独で政権を維持出来ない状況下で、なんとか与党自民党を立て直そうと尽力したことがうかがえるエピソードです。
現在でも続く自民党と公明党との連立は、この時に小渕さんが決断したことが大きく影響している様です。
自民党単独で政権を維持出来ない状況下で、なんとか与党自民党を立て直そうと尽力したことがうかがえるエピソードです。
数々のあだ名
平成おじさん
27年前にこれをリアルタイムで見た人はRTどうぞっ #平成 #平成おじさん pic.twitter.com/4gJb0Mqxws
— りんこ (@_rinrin_rinko) January 7, 2015
新元号の発表は、国民的な注目を集めていたこともあり、小渕は「平成おじさん」として広く知られるようになった。小渕が「平成」と書かれた色紙が収納された額を掲げるシーンは、昭和から平成への時代変遷を象徴する映像として平成後期の現在でも多く利用されている。
確かに平成の色紙を掲げていたのは大変印象深いですよねぇ(^^)/
小渕さんが初めて国民に広く認知された瞬間だったのではないでしょうか?
まぁ あの時、まさか小渕さんが首相になるとは思ってもいませんでしたが。
小渕さんにとっても我々にとっても印象深い出来事でしたね。
小渕さんが初めて国民に広く認知された瞬間だったのではないでしょうか?
まぁ あの時、まさか小渕さんが首相になるとは思ってもいませんでしたが。
小渕さんにとっても我々にとっても印象深い出来事でしたね。
冷めたピザ
via www.kantei.go.jp
ニューヨークタイムズに冷めたピザと揶揄されたことがありましたね。
娘さんの後日談でありましたが、その時には温かいピザを記者に配るなど、ユーモアがあったそうです。
あと、全く関係無いですが、冷めたピザも美味いですよ(笑)
タイムズはちょっとひねりが弱かったのでは?
娘さんの後日談でありましたが、その時には温かいピザを記者に配るなど、ユーモアがあったそうです。
あと、全く関係無いですが、冷めたピザも美味いですよ(笑)
タイムズはちょっとひねりが弱かったのでは?