戸塚ヨットスクールとは?
校内には寮が併設されており、登校拒否、引きこもり、家庭内暴力、非行などの問題を抱えた生徒は合宿が原則となっています。
体罰容認のスパルタ教育がモットーの「戸塚ヨットスクール」。
因みに、入校に際しての年齢制限はなく、4歳から80歳まで受け入れるとしていますが、4歳児の子供や80歳のお年寄りにスパルタ教育したら命の危険があると思いますが・・・。
《しごき抜いて少年達の甘ったれた根性を直す…竹刀で叩くことも辞さない…13歳の訓練生が死亡して事件化した戸塚ヨットスクール》1983 pic.twitter.com/iVm2WSXhQA
— BON (@1632bdkrst) February 14, 2019
戸塚ヨットスクールは、当初航海技術を教える学校でしたが、情緒障害等に戸塚宏の指導は効果があるとマスメディアでブームとなり、戸塚宏校長も指導をヨットから生活指導等へきりかえ、親元からスクールに預けられる生徒が増加しました。
当時最盛期は100人以上の生徒がいたと思います。
1979年~1982年にかけて、訓練中に生徒の死亡・行方不明事件が複数発生します。
1982年に起きた少年の死亡に関し警察の調べでは遺体から無数の打撲・内出血の痕跡・歯2本の損壊などが確認されました。
更に、1983年の5月にスクール前の道路を走っていた暴走族に対して一部のコーチが暴行して逮捕されたのをきっかけに、傷害致死の疑いでスクール内を捜査が開始されました。
また、その後も指導員が舵棒と呼ばれるヨットの艤装品で生徒の全身を殴打し訓練を続けていたことがわかり、組織ぐるみの犯行として戸塚校長以下関係者15名が逮捕されました。
長年に及ぶ裁判の末、戸塚校長は懲役6年の実刑で服役した後、2006年4月29日に静岡刑務所を出所し、スクールの現場に復帰。
この男性は同月6日に失踪し行方不明となっていて、遺体に外傷はなかったため、事故死か自殺扱いとなっています。
2009年10月19日、戸塚ヨットスクールの寮の3階から18歳の訓練生の女性が飛び降りて死亡する事件が発生、女性は3日前に入所したばかりで、布団干しの作業中に屋上のへりを乗り越え、路上に転落。愛知県警半田署は自殺とみて捜査。
2010年12月20日、30代の訓練生の男性がスクール内の寮から転落し重傷を負う事件が発生。
愛知県警半田署は事故と自殺未遂で調べていると報じられた。
2012年1月9日、スクール内の寮の前で頭から血を流して倒れている21歳の訓練生の男性が発見され、病院搬送後に死亡。「ヨットスクールの生活がつらく、このまま生きていくのもつらい」と書かれたメモがあったことから、飛び降り自殺と考えられている。
支援する会も存在
戸塚宏で検索すると相性の良さそうな方々が芋づる式で出てくるな。 pic.twitter.com/xMniu1Hj9A
— Tad (@TadTwi2011) October 18, 2016
支持者は、厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、同スクールが様々な誤解と中傷に曝されてきたと主張し「戸塚ヨットスクールを支援する会」を組織し支援に当たっているそうです。
主要な支援者の中には石原慎太郎(会長)や俳優の伊東四朗さん登山家の野口健さんなどの著名人が含まれている様です。
映画「スパルタの海」
中日新聞文化部の企画によりノンフィクション作家の上之郷利昭がヨットスクール合宿所に泊まり込んで取材し、『中日新聞』『東京新聞』両紙に半年間にわたって連載され映画版も制作されました。
東宝の配給により、1983年9月に公開される予定でしたが、戸塚校長とコーチ15名が逮捕。上映禁止運動も起こり、公開を断念してお蔵入りとなりました。
制作から20年以上封印状態でしたが、戸塚ヨットスクールを支援する会が2005年春に試写会を開催し、同年にリッチモンド企画から会員向けにビデオとDVDが発売。
また制作から28年後の2011年10月29日からアルバトロス配給でシアターN渋谷を皮切りに全国で順次劇場公開がなされました。
戸塚宏 - 伊東四朗
水谷恒子コーチ - 山本みどり
山内孝伸コーチ - 塩屋智章
工藤忠夫コーチ - 粟津號
川西照光副校長 - 清水宏