90年代にデビューした実力派R&B女性アーティストたち!
2022年5月15日 更新

90年代にデビューした実力派R&B女性アーティストたち!

90年代になると日本でもR&Bを歌うシンガーが増えてきました。みな、歌もうまくて実力派ぞろいですよね。90年代にデビューした女性シンガーをまとめてみました。

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UA

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UAさんは元々美術系の大学に通っていて、デザイン系の大学に進学しました。ですがジャズクラブでアルバイトをしていて生伴奏で歌うようになります。それまでは人前で歌を歌ったことはありませんでした。

大阪のクラブで歌っていたところをスカウトされ、デビューに至ります。

1995年に藤原ヒロシさん、朝本浩文さんプロデュースでシングル「HORIZON」でデビュー。ちなみに本名は「嶋歌織」というのですが、演歌歌手のようなイメージがあるとして本人が「UA」と名付けました。スワヒリ語で“花”と“殺す”という意味があるそうです。言葉の二面性に惹かれて名付けたのだとか。

1996年に「情熱」がヒットし、知名度が上がります。この年に俳優の村上淳さんと結婚されています。俳優の村上虹郎さんは2人の息子。この後UAさんは離婚、再婚をし現在は4人の子の母でもあります。2011年から沖縄に移住。2014年からカナダの島に家族で移住し、現在もそこで生活されています。

DOBULE

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DOBULEはSACHIKO とTAKAKOの姉妹デュオとしてデビュー。本当は三姉妹で2人は次女と三女です。幼い頃から三姉妹で歌っていました。長女のNORIKOがアメリカに留学したことから2人はR&Bに触れるようになり、歌手を目指します。

少しずつ歌の仕事がきて、1995年には事務所に所属。ロサンゼルスのライブハウスに出演したり、日本の海軍基地で定期的にライブをしていました。洋楽のカバーのほか、J-POPのカバーももしていたんですよ。

1998年に「For me」でデビューするのですが最初はあまりヒットせずに終わってしまいます。1999年3月にリリースした4枚目のシングル「Shake」でブレイクし、全国ツアーを行いますが、同年5月に姉のSACHIKOがくも膜下出血で急逝してしまいます。その後発売したアルバムはヒットするのですが、デュオとしての活動は終了、しばらく休養することになります。

2000年にTAKAKOのソロプロジェクトとして復活します。「姉の遺志を継ぎたい」という思いや「1人でもダブルを続けてほしい」というファンの思いに応えたんですね。

MISIA

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MISIAさんは家族全員が医者という家庭で育ちました。父が「離島に新しい医療を届けたい」と一家で長崎県の対馬で育っています。教会でゴスペルに出会ったことから、小さい頃から音楽に触れて生活をしていました。高校卒業後は黒人のボイストレーナーにつき、オーディションを受けたり、デモテープを送ったりしていました。

1998年にシングル「つつみ込むように…」でデビューしますが、クラブシーンを中心に一気にブレイクしていきます。1stアルバムである「Mother Father Brother Sister」は250万枚を超える大ヒットに。

さらに2000年にドラマ「やまとなでしこ」の主題歌「Everything」を歌ったことで幅広い世代から支持されるようになります。

5オクターブの音域があり、現在は日本だけでなくアジアを代表する歌手として活躍されています。日本の女性R&Bブームの火付け役とも言われていますね。

SILVA

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SILVAさんは、高校3年生の時に音大を目指していたのですがEpic Sonyからスカウトされてアーティスト契約をします。1995年、1996年に本名の高橋よしこ名義でミニアルバムを2枚出しました。

その後、事務所を移籍して再度デビューすることになります。事務所のスタッフに「芝浦のゴールドでお前を見かけたから芸名は『ゴールド』にしよう!」と言われたのですがご本人が「プラチナがいい」と主張。結局、そんなタマじゃないといわれてSILVA(シルバー)になったのです。

音楽活動だけでなく、バラエティ番組二も数多く出演していましたね。「味噌汁の汁にババアの婆でSILVAです!」と自己紹介するなどサービス精神旺盛。

1999年には島田紳助さん、ユースケ・サンタマリアさんとともに『すけスケシルバ』というバラエティ番組にレギュラー出演していました。

その後、DJ SILVAとしてDJ活動をしたり、「NAMELESSNESS」というバンドで活動をしたりしました。

bird

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birdさんは大学在学時から音楽活動をしていて、卒業後はニューヨークに1年滞在していました。

その後、帰国して大阪のジャズクラブで歌っているところをスカウトされます。1998年にZEEBRAのミニアルバムの中の一曲「「未来への鍵(Osawa's Realized Mix)」でフューチャリングボーカルを務めて歌手デビュー。当時の髪形がアフロヘアで鳥の巣みたいだったことと、小鳥のような歌声を響かせてほしいという思いからbirdという名前になりました。当時は本名や家族構成などの個人情報は一切非公開でした。

1999年に大沢伸一さん主宰のレーベル「RealEyes」シングル「SOULS」でデビュー。1stアルバム「bird」は70万枚のヒットで日本ゴールドディスク大賞新人賞を獲得しました。

2002年に「RealEyes」から独立し、以降は作曲やプロデュースも手掛けています。

宇多田ヒカル

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宇多田ヒカルさんは母は演歌歌手の藤圭子さん、父は音楽プロデューサーの宇多田照實さん。小さい頃から音楽に触れる機会が多く、歌うことも多かったそうです。

7歳の時には家族3人ユニット「U3」を結成。10歳の時にボーカルとして参加して日本でもデビューしています。そしてこの頃から「自分でも作ってみたら?」といわれ作詞作曲を手掛けるようになりました。

1995年の12歳の時には宇多田さんがメインボーカルとなり「cubic U」名義でアメリカ、ヨーロッパ、日本でもデビューしました。

「cubic U」で活動している中、「日本語でやってみないか?」という誘いを受け「cubic U」名義で日本デビューがきまりました。

そして1998年の12月に宇多田ヒカルとして「Automatic/time will tell」を発売し、ミリオンヒットします。

その後はみなさんご存じだと思いますが、1999年の1stアルバム『First Love』は初週で200万枚、累計765万枚。さらに海外も含めると990万枚売り上げたといわれています。

この爆発的なヒット記録はもう破られることはなさそうですよね。
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