【石倉三郎】芸能界で喧嘩最強?長渕剛・ビートたけしとの関係も徹底リサーチ!
2020年11月7日 更新

【石倉三郎】芸能界で喧嘩最強?長渕剛・ビートたけしとの関係も徹底リサーチ!

俳優やコメディアンとして活躍し、芸能界では喧嘩最強といわれる石倉三郎さん。さらには交友関係が広いことでも知られ、長渕剛さんやビートたけしさんとの仲の良いのは有名ですよね。そんな石倉三郎さんにスポットを当て、その半生やエピソード・代表作品などを紹介していきたいと思います。

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芸能界で喧嘩最強との噂がある石倉三郎さん

石倉三郎さんのプロフィール

石倉三郎さんのプロフィール

本名  :石原 三郎
生年月日:1946年12月16日
出身地 :香川県小豆郡内海町
血液型 :A型
職業  :俳優
活動期間:1965年~

石倉三郎さんの経歴

1946年、香川県小豆郡内海町に四人兄弟の末っ子として生まれた石倉三郎さん。中学生になると、家族で大阪市鶴見区に住まいを移します。中学卒業後は就職するも、後に上京してアルバイトをしながら生計を立ててたそうです。

1967年、名優で知られる高倉健さんと出会い、その紹介で東映東京撮影所の大部屋俳優となります。この時、高倉健さんの『倉』の文字をもらい、本名である『石原三郎』の面影を残した『石倉三郎』を名乗って芸能界デビュー。
当時は、主に仁侠映画の端役として出演し、俳優としてのキャリアを積みました。しかし、1972年には喧嘩が原因で東映を退社し、演劇・舞台に活動の場を求めるようになります。
1975年になると演芸に転向し、1979年にはレオナルド熊さんとのお笑いコンビ『ラッキーパンチ』を結成しました。
ただ、レオナルド熊さんの人間性にはかなり問題があったようで、無断でギャラの割合を多くとったり、仕事のドタキャン癖に振り回されていたそうです。せっかく結成したコンビも、間もなく解散。その後、一時期に芸能界からも離れて、マザー牧場で働いたといいます。

1981年、『コント・レオナルド』というコンビ名で、レオナルド熊さんとのコンビを再結成。
その面白さから『コント・レオナルド』の人気はかなり高かったそうですが、1985年には二人の不仲が決定的なものとなり、再びコンビは解散という結末を迎えました。
以降は俳優業に復帰され、ビートたけしさんの冠番組『OH!たけし』『風雲!たけし城』ではタレントとしても存在感を発揮しています。現在ではコメディアンやタレントとして、テレビで活躍している姿を見なくなりましたが、俳優としての活躍ぶりはご健在です。

石倉三郎さんにまつわるエピソード

レオナルド熊さん

経歴でも紹介しましたが、コンビ結成・解散を繰り返した相棒で、1994年、59歳の若さでこの世を去られています。
1985年にコンビを解散してから、レオナルド熊さんと石倉三郎さんは顔を合わせることはなかったそうです。そんな石倉三郎さんも、葬儀には参列されたみたい。お別れのときにはどのような声をかけたのでしょうね。

ビートたけしさん

石倉三郎さんとビートたけしさんは無名の新人時代の頃からの仲のようで、お二人は浅草フランス座で共に下積みをしていたとのこと。ビートたけしさんがお笑い芸人として大成し、その冠番組に呼ばれることで石倉三郎さんも全国的な知名度を得ました。
長年のお付き合いという理由だけで、わざわざご自身の番組に呼んだりはしないはずです。
ビートたけしさんも、きっと石倉三郎さんの才能や人柄の良さを認めていたのでしょうね。

坂本九さん

石倉三郎さんは都内で割烹料理店を営み、女将をしている女性と結婚しています。その際の媒酌人を坂本九さんとその妻の柏木由紀子さんが務めることになっていました。坂本九さんといえば『上を向いて歩こう』などの楽曲が有名で、歌手としてだけではなく、俳優・タレントとしても活躍した私たちミドルエッジ世代の記憶にも残る存在ですよね。
残念ながら1985年に発生した航空機事故でお亡くなりになり、石倉三郎さん夫婦の媒酌人になるのは実現しませんでした。しかし、坂本九さんの生前、石倉三郎さんはそのような大役をお願いできるほどの間柄だったということは分かります。
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