高速スライダーの元祖、伊藤智仁のあまりに短い野球人生
2022年6月5日 更新

高速スライダーの元祖、伊藤智仁のあまりに短い野球人生

伊藤智仁投手は、1992年ドラフトでヤクルトスワローズに1位入団をした選手。入団後すぐから大活躍を見せ、ヤクルトにはなくてはならない選手になっていきます。右打者の背中にぶつかりそうなところから、外角にいっぱいに決まる。そんな高速スライダーを武器に、打者をバタバタと切って取っていったのです。

2,645 view
そして2002年オフ、球団から戦力外通告が出されました。それでも現役続行にこだわる伊藤の気持ちを知った、古田敦也や宮本慎也などのチームメイトも支えてくれて、一転球団は伊藤と再契約に。年俸も世間が驚くほどの大幅減額、それでも現役続行が叶うならと、復帰に向けての意欲を見せたのです。

しかし、懸命のリハビリも効果がなく、右肩は手の施しようがなくなっていました。そしてシーズンオフのコスモスリーグが、伊藤の最後のマウンドに。すでに引退を決意してのラスト登板、その時の球速はわずか109kmだったそうです。もはや150kmを超える豪速球も、打者をきりきり舞いさせる高速スライダーも、伊藤からは離れしまっていました。

引退の決意をファンの前で

 (2386125)

毎年恒例になっているファン感謝デーにおいて、伊藤智仁は最後のあいさつをしました。「みなさんこんにちは。私は今シーズンで引退します」と、引退の決意を発表したのです。途中言葉を詰まらせ涙ぐみながらのあいさつでした。そして最後に、伊藤を支えてくれたチームメイト・球団関係者・スタッフ・家族、大勢のファンのみなさんに感謝の言葉を述べて、伊藤の短い野球人生が終わったのです。

手にした花束を笑顔とともに高く掲げた時、球場を揺るがすほどの大きな拍手とありがとうというねぎらいの言葉が、神宮球場を包み込みました。現役通算37勝27敗25セーブで防御率は2・31。これが伊藤智仁の全ての成績です。まさに。記録より記憶に残る男・伊藤智仁のプロ野球人生でした。
24 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト