波乱万丈過ぎるプロ野球カズ山本!幻の巨人入りや戦力外通告も経験。ハンデに負けない不屈の男でした!
2019年1月9日 更新

波乱万丈過ぎるプロ野球カズ山本!幻の巨人入りや戦力外通告も経験。ハンデに負けない不屈の男でした!

カズ山本(山本和範)は南海ホークスや近鉄で活躍したプロ野球選手。難聴のハンデにも負けず、オールスターでのホームランや地元福岡での活躍が記憶に残っています。波乱万丈だった彼の野球人生を振り返ります。

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プロ野球・カズ山本こと山本和範(やまもと かずのり )

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プロ野球人生を23年の間、3度の解雇通告を受けながらも不屈の精神力と自分のバッティング技術を信じながら夢を追いつづけた。

プロ入り~1度目の戦力外通告まで

幻の巨人入り

1975年に巨人の入団テストに合格していた山本だが、高校1年のときに単位が足らず留年していたため入団を断念。
1976年再び巨人の入団テストを受けるが不合格だったため
ドラフト5位で指名された近鉄バファローズに投手として入団。

いきなりのポジション変更

1976年ドラフト5位で投手として近鉄バッファローズに入団するも、1週間で酔った仰木監督から「クビや」と言われて一塁手に転向するも、それも失格で外野手に・・・。
近鉄コーチ・監督時代の仰木彬

近鉄コーチ・監督時代の仰木彬

プロ初ヒットが初ホームラン

4年目に1軍デビュー後16打席ノーヒット、17打席目に初ヒットが初ホームランとなる。その後不振が続き2軍落ち、1982年には自由契約となって退団。

南海ホークス~2度目の戦力外通告まで

バッティングセンターでの練習

1982年に戦力外通告を受け、福岡へ帰郷を決意していたが同僚だった久保康生に引き留められ大阪に残り久保から紹介されたバッティングセンターでアルバイトをしながら練習をしていた頃、当時南海ホークスの監督、穴吹義雄から誘われて1983年、南海に入団。
近鉄二軍時代、南海の二軍監督の穴吹はウエスタン・リーグで対戦する山本の実力を高く評価していて、他球団の選手にもかかわらずアドバイスを与えていた。
1984年頃、山本一義打撃コーチの指導で頭角を現し右翼手のレギュラーを獲得。
翌年には初めて130試合フル出場した。
1986年にはオールスターゲームに監督推薦で出場し、ゴールデングラブ賞を受賞。
南海ホークス時代

南海ホークス時代

元投手だけに強肩の外野手だった

登録名を変更

自分の顔つきから、ドラキュラを略した「ドラ」というニックネームについて「学校で子どもがいじめられる」という理由で登録名をカズ山本に変更した。

『バントをしない2番打者』として自己最高の打率.317の成績を残し、年俸が2億の大台に達する。
しかし95年に右肩を負傷し不本意な成績に終わると、高年棒が逆に足かせとなり、非情の戦力外通告を受け、自由契約となる。
福岡ダイエーホークス時代

福岡ダイエーホークス時代

(チームの名称が南海ホークスから変更)
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