世間がざわめいた80年代芸能スキャンダル
今よりマスコミの攻撃も激しく、タレントも破天荒な人が多かったと言われる1980年代。ワイドショー全盛時代というのも手伝って、芸能スキャンダルは、世間の話の話題の中心にいつもいました。そこで、話題沸騰になった80年代の芸能スキャンダルをプレイバックしてみましょう。
ポールマッカトニー逮捕
現在も多大は人気を誇り、伝説にもなった武道館公演も大成功させたポールマッカトニー。
2014年には体調不良で国立競技場ライブが中止になる事がありましたが、その30年以上前にも
別の理由で公演キャンセルとなる事件が起きたのです。
2014年には体調不良で国立競技場ライブが中止になる事がありましたが、その30年以上前にも
別の理由で公演キャンセルとなる事件が起きたのです。
ポールが1980年1月に世界ツアーの一環として、日本に上陸した際、大麻所持が発覚。
その後、10日間日本で拘留され、強制帰国となり、ライブは中止を余儀なくされた。
その時の事をポールが後日談で「NYでいい草を手に入れたんだ。日本に向かうところで、持っていけないのはわかっていたんだけど、トイレに流すには惜しいものだったんだ」と答え、拘置生活は「素晴らしいとは言えない」もので、他の囚人達と歌をうたい元気を出そうとしていた。」と語っている。
その後、10日間日本で拘留され、強制帰国となり、ライブは中止を余儀なくされた。
その時の事をポールが後日談で「NYでいい草を手に入れたんだ。日本に向かうところで、持っていけないのはわかっていたんだけど、トイレに流すには惜しいものだったんだ」と答え、拘置生活は「素晴らしいとは言えない」もので、他の囚人達と歌をうたい元気を出そうとしていた。」と語っている。
1980年1月16日、コンサート・ツアーの日本公演のためウイングスを随えて成田空港にて入国したマッカートニーは、大麻取締法違反(不法所持)で現行犯逮捕される。日本公演は全て中止。この逮捕をきっかけにグループとしての活動が休止状態に陥ったウイングスは、翌1981年4月のデニー・レインの脱退表明によって自然消滅に近い形で終焉を迎える。数日間の勾留のあと、日本からの国外退去処分を受けて本国・イギリスに送還されたマッカートニーは、ソロ・アーティストとしての活動を9年ぶりに再開。10年ぶりとなるソロ名義のアルバム『マッカートニーII』と先行シングル「カミング・アップ」で成功を収めた。当時休止していた音楽活動を再開させつつあったジョン・レノンは、この「Coming Up」を聴いて再起への意欲を一層奮い立たせたという。ポールは留置場で看守の警官に頼まれサインを何枚も書いたという逸話があり、このエピソードをパロディ化したのがスネークマンショーの「はい、菊池です」である。
中森明菜の自殺未遂事件
当時、人気絶頂だった歌手・中森明菜の自殺未遂と言う、多くの人が80年代最大の芸能スキャンダルと言うほどの衝撃だった。しかも、自殺未遂を行った場所も衝撃度を増したと思うのです。
当時、恋人と噂されていた近藤真彦の自宅で、人気絶頂の歌姫であった中森明菜が左腕を切ると言う衝撃的な自殺未遂を起こした。
理由は、松田聖子とマッチの密会キス報道が報じられたことで、精神的にももろかった明菜が耐えきれなかったなどと言われていますが、真相は謎のまま。
でも、とにかく無事で良かったですよね。
理由は、松田聖子とマッチの密会キス報道が報じられたことで、精神的にももろかった明菜が耐えきれなかったなどと言われていますが、真相は謎のまま。
でも、とにかく無事で良かったですよね。
1989年、4月にシングル曲のみで構成されたデビュー8周年を記念したスペシャル・ライブAKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversaryを開催。1989年7月11日、当時交際をしていた恋人で歌手の近藤真彦の自宅マンションにて自殺未遂事件を起こし、芸能活動を約1年間休止する。この間、7月25日には14枚目となるスタジオ・アルバム『CRUISE』をリリースし、このアルバムはオリコンで3週連続1位を記録。中森は、1982年からこの1989年の8年連続で同チャートでアルバム首位を獲得した。11月にはAKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversaryのライブ・アルバムとライブビデオとなる『AKINA EAST LIVE INDEX-XXIII』がそれぞれリリースされた。このライブビデオは、'89ビデオ・オブ・ザ・イヤーで最優秀ミュージックビデオ賞を獲得する。その後中森は、同年12月28日に新事務所設立(コレクション)を発表、デビュー以来所属していた芸能プロダクション研音から独立となり、12月31日には、近藤も同席し謝罪会見を行った。
近藤真彦、母の遺骨盗難事件
マッチ絡みでもう一つ。
未だに未解決となっている衝撃的すぎる事件。
ファンならずとも同情してしまう事件のオンパレードで、彼はそういう運命の元に生まれたのかと考えてしまいます。
未だに未解決となっている衝撃的すぎる事件。
ファンならずとも同情してしまう事件のオンパレードで、彼はそういう運命の元に生まれたのかと考えてしまいます。
via up.gc-img.net
昭和62年の年末、近藤真彦の事務所にとんでもない要求が突きつけられた。
なんと彼の母親の遺骨を盗んでおり、返して欲しければ年末のレコード大賞を辞退しろと言うものだった。
当時は、全く知らないと言う風に言われていた近藤だが、後日テレビ番組で実は全てを知っていて、苦悩のなかレコ体に出場した話を告白しています。
未だに、犯行理由も犯人も分からず、謎が謎を生む未解決事件となっています。
なんと彼の母親の遺骨を盗んでおり、返して欲しければ年末のレコード大賞を辞退しろと言うものだった。
当時は、全く知らないと言う風に言われていた近藤だが、後日テレビ番組で実は全てを知っていて、苦悩のなかレコ体に出場した話を告白しています。
未だに、犯行理由も犯人も分からず、謎が謎を生む未解決事件となっています。
1987年の『日本レコード大賞』受賞の際に、前年に事故死した母親の遺骨が墓から盗まれ、返してほしくば受賞を辞退するよう脅迫される事件が起きた。マスコミに発表したのは翌1988年の年初で、2013年4月現在遺骨は近藤の元に返ってきていない。2010年3月26日に放送された『中居正広の金曜日のスマたちへ』の「波瀾万丈スペシャル」では遺骨盗難事件などについて語り、19.9%の視聴率(瞬間最高は29.8%)を記録した。