花の82年組の翌年!83年組アイドルはなぜ不作と呼ばれたのか?
2022年7月30日 更新

花の82年組の翌年!83年組アイドルはなぜ不作と呼ばれたのか?

中森明菜や小泉今日子など大物アイドルを数多く輩出した1982年。その翌年にも数多くのアイドルが登場しましたが、なぜか大きなヒット曲に恵まれず、不作という不名誉な言い方をされてしまいました。なぜ83年組は不作と呼ばれてしまったのでしょうか?83年アイドルについて考察します!

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83年組はなぜ不作と呼ばれるのか?

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正統派アイドルから、異色のアイドルまで…。
錚々たるメンバーだったのに、なぜ83年組は不作と呼ばれてしまったのでしょうか?
思い当たるのが、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)の変容です。

花の中三トリオやピンク・レディーら、スーパーアイドルを世に送ったスタ誕は、’81年末に番組が様変わり。審査員として長く番組を支えた阿久悠さん、都倉俊一さん、中村泰士さんらがいっせいに退陣するのです。

振り返れば、彼らこそがアイドル発掘の目利きでした。彼らが最後の年に番組で見つけた原石こそが、ともに82年にデビューを果たす小泉今日子と中森明菜です。

もし、目利きたちがスタ誕に残っていたら、もっと華々しく活躍する83年組アイドルが誕生したかもしれません。
山口百恵や中森明菜を発掘した「スター誕生!」の審査員が1981年末に一斉に退陣したことも理由の一つのようです。

松田聖子さんのように、フリフリドレスを着た可愛いアイドルが求められたのは、1982年までだったように思いますね。
1984年はちょっとエッチで不良っぽい中山美穂さんがドラマデビューします。

そして1985年には、夕焼けニャンニャンのオーディション番組から派生したアイドル「おニャン子クラブ」が時代を席巻しました。
アイドルも多様性を求められる変革期にあった83年組が、谷間に埋もれてしまったのではないかと思います。

不作と呼ばれてしまった83年組アイドルが、魅力がなかったわけではないと思いますね。

まとめ

今回は「花の82年組の翌年!83年組アイドルはなぜ不作と呼ばれたのか?」についてご紹介しました。
アイドル変革期にあったために、不作というよりも谷間に埋もれてしまった不運な世代と言えそうですが、今でも活躍されている方が多いです。
これからの活躍に期待したいですね!
27 件

思い出を語ろう

     
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  • 2022/8/8 02:02

    ヒットの尺度がヒット曲の有無なんですよ。アイドル歌手だから。
    ヒット曲が無いと売れてない歌手なんですよ。ドラマがヒットしてもダメなの。
    伊藤麻衣子や大沢逸美は分かり易いですよね。

    show-wa  (^^♪ 昭和日本偶像 2022/7/30 09:44

    「ひぐらしのなく頃に」の呪い💀🦇?
    さてそれはじょーだんにて野村義男さんのジャニーズバンドが出たとしとは記憶にないです

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