ジョン・ムウェテ・ムルアカ プロフィール
via www.speakers.jp
ジョン・ムウェテ・ムルアカ(Dr. John Muwete Muluaka
生年月日 1961年6月21日 (59歳)
出身 ザイール(現・コンゴ民主共和国)
生年月日 1961年6月21日 (59歳)
出身 ザイール(現・コンゴ民主共和国)
経歴
via ja.wikipedia.org
1961年6月21日 にザイール共和国(現コンゴ民主共和国)レオポルドヴィル(現キンシャサ)で誕生したムルアカさん。
1981年 国立イナザ・イスタ大学電気通信工学科を卒業
1981年 ザイール国営放送局に入社。ジャーナリスト。
1985年 来日
1987年 東京電機大学工学部第二部電子工学科に入学
1989年2月 昭和天皇の大喪の礼期間中、ザイール共和国大統領(当時)モブツ・セセ・セコのスペシャルアシスタントおよび専属通訳を務める。
1981年 国立イナザ・イスタ大学電気通信工学科を卒業
1981年 ザイール国営放送局に入社。ジャーナリスト。
1985年 来日
1987年 東京電機大学工学部第二部電子工学科に入学
1989年2月 昭和天皇の大喪の礼期間中、ザイール共和国大統領(当時)モブツ・セセ・セコのスペシャルアシスタントおよび専属通訳を務める。
鈴木宗男の秘書のムルアカさん元気
— きいてよ (@kiiteyokiiteyo) January 31, 2019
かな? pic.twitter.com/pBmGGL8DAw
1992年に衆議院議員鈴木宗男氏の私設秘書を務め、その風貌が大変目立ったため、メディアでも紹介されて話題となりました。
日本に来日後、東京電機大学で電気工学を学ぶかたわらタレントとして『やまだかつてないテレビ』などに出演されていました。
2002年6月21日に鈴木氏が逮捕され、その後落選したために私設秘書を解雇され、講師も辞めた(事実上の講師更迭)。
日本に来日後、東京電機大学で電気工学を学ぶかたわらタレントとして『やまだかつてないテレビ』などに出演されていました。
2002年6月21日に鈴木氏が逮捕され、その後落選したために私設秘書を解雇され、講師も辞めた(事実上の講師更迭)。
“ムネオ疑惑”
via www.amazon.co.jp
02年、ムネオ疑惑が吹き荒れ、私設秘書だったムルアカさんも巻き込まれた。
「ワタシは旧ザイール国営放送などの取材経験から、宗男さんを巡る騒ぎは外交の現場での権力争いや妬み、嫉みの一種だと見ていたんですが……。しかし、宗男さんが逮捕されると、日本のメディアは逮捕した側が発表した内容を伝えるだけで、その信憑性を一切検証しない。あれには心底、驚きました。ワタシもすべての仕事を失い、当時の川口順子外務大臣から、ムルアカ氏は偽造パスポートを所持している、とウソをいわれ、そのまま報道された。それが誤報だとわかっても何の謝罪もなく、今もワタシが偽造パスポートを持ってると信じてる人が多いのではないでしょうか」
タレント活動
via s.mxtv.jp
ムルアカさん私設秘書を解雇後、しばらくは職が見つからず一時は自給自足を行っていた時期もあったと言います。
しかしその後、一日駅長に選ばれるなどタレント活動を行うなど現在は外国人タレントプロダクション事業共同組合の専務理事も務めています。
しかしその後、一日駅長に選ばれるなどタレント活動を行うなど現在は外国人タレントプロダクション事業共同組合の専務理事も務めています。
2006年1月25日に事務所との金銭トラブルからボビー・オロゴンさんが暴れたとされる事件では、ムルアカさんも現場に居合わせて、事務所の人間と共にボビーを取り押さえたと報道される。1月27日にボビーと共に和解会見を開き、ボビーの大暴れや年齢詐称疑惑について、「アフリカではよくあること」とフォローを入れていました。
その後、K-1でムルアカとボビーが戦う可能性もあると谷川貞治プロデューサーが語り、一部雑誌や新聞で報道されていたが、実現しなかった。
その後、K-1でムルアカとボビーが戦う可能性もあると谷川貞治プロデューサーが語り、一部雑誌や新聞で報道されていたが、実現しなかった。
ボビーオロゴン逮捕か。昔ムルアカぶん殴ってたよな。 pic.twitter.com/AMIEMJHxfA
— halcionbird (@halcionbird13) May 16, 2020
帰化