【木の実ナナ】歌手・女優・タレントと幅広く活躍!プロフィールや代表作品まとめ!
2020年10月17日 更新

【木の実ナナ】歌手・女優・タレントと幅広く活躍!プロフィールや代表作品まとめ!

優れた歌唱力とモデル顔負けのスタイルで、世の男性を魅了した木の実ナナさん。多くのミドルエッジ世代が知っている有名人でしょう。今回の記事では、そんな彼女にスポットを当て、そのプロフィールや経歴・代表作品を紹介していきたいと思います。ぜひご一緒に彼女の全盛期の魅力を振り返っていきましょう。

1,785 view

マルチな活躍ぶりを見せる木の実ナナさん

木の実ナナさんのプロフィール

木の実ナナさんのプロフィール

本名  :池田 鞠子
生年月日:1946年7月11日
出身地 :東京都墨田区
身長  :160㎝
血液型 :B型
職業  :歌手・女優・タレント
活動期間:1962年~

木の実ナナさんの経歴

1946年、トランペット奏者である父親とダンサーの母親の間に生を受けた木の実ナナさん。幼いころは体が弱く、3歳まで歩けなかったといいます。身体を鍛えるためにバレエを始めると、そのままダンスにのめり込んでいったそうです。
https://www.irasutoya.com/2013/11/blog-post_3952.html (2232007)

中学3年生のころ、渡辺プロダクションが主催する新人オーディションが行なわれ、木の実ナナさんは友人の付き添いとして同伴しました。しかし、オーディションに参加していた友人は緊張のあまりに固まってしまい、司会者から、木の実ナナさんに代打をするよう指名されたのだとか。
突然、無茶ぶりのように出番が回ってきた木の実ナナさんでしたが、堂々とした歌いっぷりを披露してオーディションで優勝してしまうのでした。
その後、1962年には反対する父親を説得して芸能界入りした木の実ナナさん。デビューした当初は、初期のザ・ドリフターズの専属歌手としてコーラスを担当していたそうです。
同時期、日本テレビで放送されていた音楽番組『ホイホイ・ミュージック・スクール』でテレビ初出演すると、この番組のレギュラー出演といったイメージから”ホイホイ娘”と呼ばれるほどの人気者となります。
しかし、歌手としては低迷した時期が続き、番組終了となった1970年には渡米。本場で、ショービジネスを学んでいます。
https://www.irasutoya.com/2014/04/blog-post_5609.html (2232011)

帰国すると1973年には劇団四季のミュージカルに応募。無事にオーディションを通過して、舞台『アプローズ』への出演を勝ち取りました。この作品はヒットし、木の実ナナさんは舞台女優として高く評価されることになります。
1974年から始まった芝居『ショーガール』では、細川俊之さんとの共演や、歌唱・踊りといったパフォーマンスが受け、シリーズ16作品・公演数547回・観客動員数60万人越えの記録を叩き出すほどのヒットとなりました。その後も、1975年には小沢昭一さんが主宰する劇団『芸能座』の旗揚げ公演『清水次郎長伝・伝』にも出演し、全国を巡っての興行も成功を収めています。

1977年には、テレビ朝日で放送されたバラエティー番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ』にも出演してコントを披露。さらに、1982年には五木ひろしさんとのデュエット曲『居酒屋』を発売し、タレント・歌手としても活躍しました。
近年では2015年に出演した舞台『南阿佐ヶ谷の母』の沖縄公演と終了後、左大腿骨を骨折してしまいます。驚くべきは、それでも演出を変更し、車椅子の姿で出演するといったプロ根性を見せたことでしょう。

木の実ナナさんにまつわるエピソード

芸名の由来について

漢字・ひながな・カタカナの3つを組み合わせたネーミングというのがポイント。木の実ナナさんの歌手としてのデビュー曲『東京キカンボ娘』において、その作曲・作詞を担当した菊村紀彦さんに名付けられたそうです。
その意味とは、歌だけではなく、踊り・芝居もできる存在といった思いを込めたものだと言います。一説には、”着の身着のまま”という言葉が由来だというネタも出回っていましたが、それはご本人が否定されています。

更年期ううつ病を患っていた

1992年辺り、木の実ナナさんは更年期うつを発症してしまい、その症状に苦しめられていたそうです。現在では医師や周囲のサポートによって病状は回復し、芸能活動を続けておられます。
そういった経験もあって、2000年の新聞広告では”私は、バリバリの「鬱」です”というキャッチコピーにてイメージキャラクターを担当されました。

ディズニーマニアとしても有名

木の実ナナさんは芸能界屈指のディズニーマニアとしても有名で、楽屋や自宅は関連グッズで埋め尽くされているそうです。
2002年、フジテレビ系で放送されていた『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際には、花束と一緒に置かれていたミッキーマウスのぬいぐるみに興奮して、司会のタモリさんを驚かせたといった逸話も残っています。
52 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • 📺♪ 2020/10/21 04:58

    以外に知られないがあの「ザドリフターズ」は最初から「全員集合」の現メンバー(故いかりや長介氏・志村けん氏含め)(荒井さんと志村さんが途中でメンバー入れ替え)じゃなかったんです
    (坂本九ちゃんや木の実さんがいたこともあったらしい)

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト